第7話 まどろみの中で

「……うむぅ……? ふが……」


 朝日が窓から差し込み、寝ぼけ顔のエリーネの瞳を刺激する。あまりの眩しさに目を細めると、よろよろと這いつくばり点けっぱなしだった水晶の照明を消した。

 よだれを拭いながら横を見ると、丸くなったミリアムがソファに横たわり、可愛い寝息を立てていた。


 昨晩、夕食を済ませた後、エリーネとミリアムはまるで古くからの友人だったかのように、お互いのことを語り合った。


 時には笑い、共感し涙も流した。今まで生きてきた十五年という歳月で何を考え、どんな風に生きてきたのかを知ってほしかったのだ。

 夜は更け、港での宴も収まりかけた頃、エリーネとミリアムは幸せな思いを胸に、そのままソファで眠りに落ちた。


 ミリアムはとても女王とは思えないほど、無防備に眠りこけている。時折、むにゅむにゅと薄ピンク色の綺麗な唇を動かしている。漏れる吐息は幼子のように愛らしい。

 思わず頬に触れてみると、ふわりとマシュマロのように柔らかい。


「ふわあぁぁ。柔らかい。やっぱり育ちが良いからかな」


 エリーネが興奮しながら、何度もミリアムの頬をつつく。うう、と不満げな声がぷっくりとした唇から漏れた。


「あ、やばい。すごい、気持ちいい」


 さらに不満の寝言を漏らすミリアムを無視し、頬を撫でまわしていると、


「何をしているのですか?」


 ミリアムが興奮しているエリーネを半眼で見つめていた。


「ああ、いや、その……つい」


 ぱっと、手をひっこめ、エリーネは視線をあちこちに泳がせる。

 動揺しているエリーネが天井に視線を向けたとき、


「えいっ」


 可愛らしい掛け声が聞こえてきたと思うと、エリーネのほっぺたにミリアムの指が触れた。


「エリーネの頬もとても柔らかいです。まるで幼子のよう」


 ミリアムはまるでいたずらっ子のように、エリーネの頬をふにふに、と摘まむ。負けてなるものかと、エリーネもミリアムの顔に手を伸ばした。


 ――と、その拍子に、バランスを崩してしまい、二人は寝そべっていたソファから転がり落ちてしまう。


 エリーネの体に、ふわりとミリアムの小さな体が覆いかぶさってくる。長いまつげに深い青色の瞳。精巧な人形と見紛うほどにキメの細かい肌艶。現実離れをした可愛らしい容姿に、思わずエリーネはぎゅうっと抱きしめてしまいたい欲に駆られてしまう。ただ、そんなことをしてしまうとさすがに怒られてしまいそうなので、エリーネは伸ばしかけた腕をひっこめた。


「だ、大丈夫ですか? エリーネ。思い切りあなたの上に落ちてしまって……」


 あわてて、エリーネの上から降りると、ミリアムは手をばたつかせる。


「うん。大丈夫だよ。ごめんね。私も調子乗っちゃった。ミリアムちゃんは大丈夫?」

「ええ。エリーネがしっかりと私を受け止めてくれましたから」


 そう言うと、ミリアムは赤い舌を覗かせ、恥ずかしそうはにかんだ。そんなミリアムの愛くるしさにエリーネは表情を緩めていると、


「……あっ!」


 ミリアムが床に視線を落とし、小さな悲鳴を漏らした。

 エリーネがミリアムの視線を追うと、ソファから落ちた衝撃でテーブルに置いてあった数個のインティリアが床に転がり落ちていた。


 ミリアムはそのまま、床に手を伸ばしインティリアを拾っている。


「ああ……インティリアが床に……汚れてしまってはいないでしょうか」

「大丈夫だよ。インティリアは埃とかじゃ汚れないから」


 エリーネも一緒になりインティリアを拾う。


「そうでしたね。昨夜のお話で」


 昨晩。インティリアの性質はエリーネが知っている限りはミリアムに話した。インティリア内部の『核』が所有者の感情を察知し、インティリアに色を付けること。


 ミリアムのインティリアも感情により色が付いていることを。


 女王としての責務。エリーネには想像もつかないミリアムの負の感情。昨晩の話だけでは、ミリアムのすべては知ることはできない。どのような半生を過ごしてきたのか。それを思うと、エリーネの胸はちくり、と痛んだ。


「あ、あの……エリーネ」


 そんなエリーネの胸中に反して、ミリアムは頬を赤らめ、もじもじと肩を揺らしている。


「魔法を……インティリアを作成するところを、目の前で見てみたいのですが」


 少し申し訳なさそうにするミリアムだったが、その宝石のような瞳はさらに輝きを増し、エリーネを見つめてくる。


「そっか。ミリアムちゃん。魔法あんまり見たことなかったって言ってたもんね。いいよ。簡単なものを今から作って――」


 そう言い、エリーネは立ち上がろうとするが、何かを思い出したように口に手を当てる。


「そうだ……『核』がもう無かったんだ」

「……かく?」


 ミリアムが不思議そうな表情で小首を傾げた。


 エリーネは拾ったインティリアを掲げると、外壁をやさしくなぞる。ぱきん、という乾いた音と共に、インティリアの外壁は消え去った。ミリアムは小さな驚きの声を上げる。エリーネの手のひらには小麦の粒ほどの核が収まっていた。


「これが、インティリアの『核』。これを中心に添えて、周りに魔法の外壁を張るんだよ」

「へえぇぇ。そうなのですね。それはとても興味深いです」


 そう言っている間に『核』からは僅かに魔法の粒子が空中に解き放たれていく。魔法の粒子はしばらくの間、空中を舞っていたが、次第に空気と混ざり合い消え去っていった。


 ミリアムはその消え去っていく粒子を、少し寂し気な表情で見つめていた。


「このところ、インティリア制作の依頼が多かったから『核』を補充しなきゃなって思ってたんだよね。ミリアムちゃんのインティリアのこともあるし……今回はお昼までには帰ってくるとは思うから、少しだけ待ってて。買いに行ってくるよ」


 そう言うと、エリーネは出掛ける支度をしようと、壁に掛けられた外用の服を手に取る。サイフをどこに置いたのだろう、と部屋の中を見渡していると何かを言いたそうに、口をもごもごとさせるミリアムが目に入った。


「……ん?」


 疑問顔を向けられたミリアムは、急いで立ち上がるとエリーネの顔をまっすぐに見つめた。


「あ、あの。私も、その『核』の補充についていってもよろしいでしょうか? 私も……このアトランティスを見てみたい!」


 あまりに気合の入ったミリアムの言葉に、エリーネはのけぞってしまう。そんなエリーネを気にするふうでもなく、ミリアムはなおも、ぐいぐいと迫ってくる。


「あ……一緒に行く? ん、いや……でも」


 エリーネの脳裏に浮かんだのは、昨晩、シズネを探しているときに出会った、ウィランド王国の人間と思われる女性。おそらくは、書き置き一つで抜け出してきたミリアムを探していたのだろうと思われる。


 急に、忘れていた不安が湧き出てくる。


 確かに、ミリアムは自分の意志で工房を訪れているのだが、王国の人間からすれば、エリーネはアトランティスとの友好を示す演説を控えている大切な女王を引き留めている不埒な無礼者に思われるかもしれない。


「あ、あのね。昨晩のことなんだけど。ミリアムちゃんを探しているかもしれない人たちと会ったの」


 ミリアムは一瞬、驚きの表情を見せたが、小さくため息を吐くと服の裾を掴んだ。


「そ、そうですよね。書き置き一枚では皆に心配をかけてしまうのは当たり前のことです」

「黒いインティリアは必ず私が直す。直して見せる。だからそれまではこの工房から出ないほうが良いんじゃないかな……って」


 ミリアムが残念そうに視線を床に落とす。


「あ、あのさ。また今度来た時にアトランティス観光しようよ。その時は、私がいっぱい案内してあげるからね!」


 そんなエリーネの励ましにも、ミリアムは一向に顔を上げようとはしない。ミリアムの美しい瞳に、うっすらと涙が浮かんだと思うと、


「次、など」


 ミリアムのあまりにも悲しそうな声に、エリーネの体は固まってしまう。


「十年です。私がアトランティスを再び訪れたいと思ってから十年かかりました。今回だって、無理を言って予定に組み込んだのです。次はいつ来られるのかわかりません」


 突然、ミリアムが顔を上げると、エリーネの手を強く握った。


「わがままなのはわかっています。でも、私はこのアトランティスをもっと見てみたい。お願いです。エリーネ。あなたに迷惑はかけません!」


 真摯な瞳を向けられてエリーネの心がざわめく。


 もちろん、ミリアムにはアトランティスを見てほしい。ミリアムは大切な友人だ。もっと、アトランティスのことを好きになってほしい。でも、


「ううーん……どうしよう」


 エリーネは懇願するミリアムを前に、ただ唸るしかなかった。

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