第5話 語られない想い

「シズネさあぁぁぁん! やあぁぁっと、見つけたあぁぁ!」


 びしり、と指を突きつけると、赤ら顔のシズネはへらへらと笑いながら定まらない視線でエリーネを見た。

 エリーネは床を踏み鳴らし、シズネの元へと歩いていく。


「あっれえぇぇ? エリーネだあ。どうしたのぉ? そんなに汚いかおでぇ?」

「きっ、汚い顔……。心配して、探し回ってたのに……!」


 シズネの行きつけの酒場を回ること十数店。ようやくぐでんぐでんに酔っぱらったシズネを見つけることができた。

 すでに辺りは真っ暗だ。今日はそれでも交易船が入港している日なので、まだまだ街中は活気に満ちていた。


 エリーネの額には汗でぺったりと前髪が貼り付き、砂ぼこりと潮風で顔中汚れている。

 シズネがどこかで行き倒れてやしないかという心配はなくなったが、だらしなく笑う姿を見せつけられては徐々に腹が立ってくる。


 いつも二日酔いでげろげろなのに。いつも私が介抱しなきゃいけないのに。そんな文句が次々と頭に浮かんでくる。


 新調のカーペットにげろげろされた事を思い出し、怒りに体を震わせていると「やーん。こわいー」とシズネが甘ったるい声を出した。


 周りを囲んでいる男たちは、顔中の筋肉を緩めたにやけ顔で、空になったシズネのコップになみなみとお酒を注いでいた。

 エリーネは床で酔いつぶれている男たちを、ひょいひょいと跨ぎコップを口に付けようとしているシズネの腕をつかんだ。


「シズネさん。帰るよ! 仕事あるんだから!」

「えー。せっかくただ酒飲んでたのにー。やんやん」


 体全体をくねらせて、だだをこねるシズネを見た瞬間、エリーネの何かが切れた。


「もおぉぉぉぉぉぉ! いい加減にしなさい! おとといも昨日も今日も飲んでばっかりで! お母さんも悲しんでるよ!」


 シズネの腕を離してテーブルを思い切り叩く。コップに入ったお酒が波打ち、テーブルの上を濡らした。


「ほらっ! 見てよ。このインティリア。悔しいけど……私だけの力じゃどうしようもなかったんだからっ!」


 エリーネが黒いインティリアを突きつけると、うつろだったシズネの瞳が見開かれる。震える指で黒いインティリアを撫でると、


「エ、エリーネ。あんたこれどこで」


「今日きたお客さん! こんなの初めてだから私どうしていいかわかんな――」

「ちょっとこっち来て!」


 シズネはエリーネの手首を勢いよく掴むと、そのまま酒場の外まで引っ張っていく。

 酒場の熱気にあてられたのか。外の空気に触れると、火照った顔が冷えていくのがわかる。


 怒らせてしまったのだろうか。いや、悪いのはシズネだ。


 シズネの表情からは緩さは消え、むしろどことなく緊張している面持ちだ。腰まで流れる艶やかな黒髪が、闇夜の中でも美しく映えている。


「シズネさん。怒ってるの……?」


 シズネの変わりように、エリーネは少し怖気づいてしまう。

 酒場の裏手まで来ると、シズネは掴んでいた腕を離しエリーネの肩に手を置いた。


「もう一度聞くよ。このインティリアをどこで手に入れたの?」

「えっ? だから、お客さんだって。買い物をした後、工房に帰ってきたら……修理を依頼されて……」


 少したじろいでしまう。


「どんな人?」

「あ……女の人、だよ。えっと、私と同じくらいの年の子……外の大陸の子みたいだけど」


 ウィランド王国の女王ということは、ひとまず伏せておいた。このシズネの反応は何か知っているのかもしれない。


 シズネはそれだけを聞くと、エリーネの肩から手を離した。背中を向けると黒いインティリアを指で撫でながら目を細める。


「ねぇ、シズネさん。お願いだから手伝ってよ。私ひとりじゃこのインティリアを直すことなんてできない。私よりもインティリアの職人としての経験が長いシズネさんなら」


 背中を向けたまま、シズネは振り向きもしない。


「その子。今どこにいるの?」


 小さく消え入りそうな声だった。悩みというものを知らないかのように、いつも底抜けに明るいシズネの声だとは到底思えなかった。


「まだ、工房にいると思う……」

「そう……」

「シズネさん。その子のこと知ってるの?」


 エリーネはアトランティスに来る前のシズネのことはほとんど知らない。シズネがエリーネの母に弟子入りした時は、まだほんの子供だったし、過去のことを聞いても茶化されて話してくれないからだ。


 長い沈黙がその場を支配する中、口を開いたのはシズネだった。


「私、今回は手伝わない」

「えっ?」


 信じられなかった。


 大酒飲みでいつもへらへらとしているが、仕事となれば人が変わったように没頭するのがシズネだ。アトランティス人ではなかったがエリーネの母の指導の下、シズネ自身の努力もあり、インティリア制作の魔法習得は早かった。


 だからこそ、投げ出すような言葉をシズネが言い放ったのが信じられなかった。


「どういうこと。シズネさん? 手伝わないって」

「そのまんまの意味だよ。ついでに、その子がアトランティスを離れるまで工房には帰らないから」


 何かが引っかかる。シズネは隠していることがある。


「シズネさん。その子と知り合いなの? 何か隠してるでしょ」


 シズネは動揺を隠すように、自分の髪を払った。


「ごめんね。エリーネ。今は言いたくないんだ」


 エリーネは逃げるように歩き出すシズネの肩を掴んだ。


「今言ってよ!」


 苛立ったシズネはエリーネの腕を払う。


「言わないよ。今回の件は関わりたくないんだ」

「言ってくれないと納得できないよ! シズネさんはいつも仕事放り出すことしないじゃない。なんで今回に限って……」


 怒りと悲しみと動揺が入り混じった感情がエリーネの心をかき乱す。鼻がツンと痛み出し、いつの間にか涙がこぼれ落ちていた。


「エリーネ……」

「泣いてないよ!」


差し伸べられた手を振り払うかのように、エリーネはシズネに背を向けた。乱暴に何度も目をこすった後、エリーネは力なく肩を落とした。


「シズネさんは私よりも長い間、お母さんにインティリアのことを教えてもらったんだよね? それなのになんでそんなこと言えるの?」


 シズネは何も答えない。


「インティリアを持つ人にはいつも笑顔でいてほしい。お母さんの思いだよ?」


 シズネはこぶしを握りしめ肩を震わせている。


「でも……私は」


「もういいよ」


 エリーネはシズネの手から黒いインティリアを奪い取ると、踵を返し歩き始めた。

 辺りからは賑やかで楽し気な声が聞こえてくる。


 エリーネは再び溢れてくる涙を手の甲で拭った。そこだけが、ひんやりと冷たく感じられた。

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