第4話 外の人間
西の空には橙色に染まった太陽が、水平線に半分ほど沈もうとしていた。西日が差し込みエリーネはまぶしさに目を細める。
工房の外からは相変わらず人々の楽しそうな声が聞こえてくる。交易船が入港したときはお祭りみたいなものだ。おそらく夜更けまでこの騒ぎは静まることはないだろう。
エリーネは黒いインティリアの前で頭を抱えていた。
自分の魔法でインティリアに新たな結界を張ってみてもまったくなじまず、すぐに剥がれ落ちてしまう。ひびを塞ごうとしてみても結果は同じだった。ならば台座に問題があるのかと調べてみても、特に変わった様子は見られなかった。
「ううーん。わかんないよおぉぉ!」
西日に透かして見たり、穴の開くほど見つめてみたり、匂いを嗅いだりしてみるが、一向に修理のアイディアは浮かんでこなかった。
西日が差し込む窓に、カーテンを下ろすと部屋の中は薄暗くなる。
「シズネさん。帰ってこないなぁ」
解決の糸口が見つからない。
修理の期限は二日後。
それまでには、元の透き通ったインティリアに直してミリアムに渡さないといけない。
インティリアの用途は様々だ。ミリアムが持ってきたインティリアのように、足となる台座を取り付け、観賞用として所有するのが最も多い。
だが、インティリアの歴史はまだまだ浅い。エリーネが母から教えてもらっていない秘密もあるかもしれない。
「女王さま。待ちくたびれてるよね……」
すっきりとしない頭で一階のリビングまで降りていく。薄暗くなったリビングではミリアムがソファに浅く座り、背筋を伸ばし行儀良く座っていた。エリーネの足音に気がつくと、顔だけをエリーネに向けた。
「直りましたか?」
「え? ええっと……その」
エリーネが階段を降りる足を止める。言い訳を考えるが、息が漏れるばかりで言葉は出てこなかった。そんな様子のエリーネを見て、ミリアムは足元に視線を落とした。
「申し訳ありません。急かしたつもりはないのです。少し焦っていたようです」
ミリアムは頭を小さく降ると、静かに深呼吸をした。
焦るのも無理はない。とエリーネは思う。
ミリアムはたった一枚の書き置きを残してエリーネの工房に訪れたとのことだ。その書き置きも「演説までの間、息抜きをしてきます」程度のものだったらしい。体をすっぽり覆うローブを身に着けていたのは監視の目を欺くためのものだ。許して貰えるわけはないだろうから、というのがミリアムの話だ。
外の様子を見る限り、まだミリアムが失踪したことに対しての騒ぎにはなっていないようだ。それでも、夜が明ければ何らかの動きはあるに違いない。できれば早めにインティリアの修理を終えたいのだと思う。
「ごめんなさい。もう少し時間をください」
疲れ切った表情を無理やり笑顔に変え、エリーネが玄関のドアを開けようとすると、
「どこかに行かれるのですか?」
ミリアムは腰を浮かし、少し焦った表情でエリーネを見た。
「ああ……すぐに帰ってきます。この工房にはもう一人、腕の良い職人がいるんですけど、今日は帰ってきていなくて……ちょっと心配だから探しに行こうかと」
「そうですか」
不安なのだろう。
知らない土地で、しかも黙って抜け出してきたのだ。インティリアのために。
ミリアムはソファに腰を落とすと、再び思い悩むように頭を垂れた。
静かに玄関のドアを閉める。エリーネは外へ出ると空を仰いだ。
「もう……シズネさん。この一大事にどこに行っちゃったの」
一人では解決できない依頼に情けなく思いながら、エリーネは小さく息を吐いた。
太陽は完全に沈み、周りには街灯がちらほらと点灯し始めていた。
夜の帳は完全に落ち、夜空には丸い月が、淡く辺りを照らしている。普段のアトランティスであれば仕事を終えた人々が帰路に就き始める頃だ。
しかし、交易船が入港する日は、夜明け近くまで食べ物の屋台が軒を連ねている。街灯も煌々と照らされ、昼間と変わらない喧騒が辺りに満ちていた。
そんな中、朝から何も食べていないエリーネのお腹はずっと鳴りっぱなしだった。
「ううう……お腹減ったよぅ……疲れたよぅ……帰りたいよぅ……」
屋台から漂ってくる魅惑的な香りに、エリーネはついつい泣き言を漏らす。
「シズネさん……どこぉ……」
アトランティスが外界と交易を再開して、五十年ほど。それまでは、アトランティス人同士のいさかいや、食糧難が常だったためあまり娯楽というものは無かった。
外の世界とつながってからは、様々な物資が輸入され、アトランティスはどんどん豊かになっていった。
食べ物や酒。『食』にかかわる部分は、アトランティス人にとって、求めてやまなかったのだろう。輸入された食材は足が速いのも多く、港の周りで食べ物の屋台や、酒場がいくつも並んでいるのだ。
そんな事情はあるが、シズネという酒飲みの訪れる場所が、こうも乱立していてはエリーネも頭を悩ませるばかりだ。
とはいえ、エリーネも皆の楽しそうな声を聞いていると胸が躍る。辺りでは、老若男女問わず、幾人もの人々が酒の入ったジョッキをぶつけあっている。その中には外の大陸の人間も含まれているのだろう。
その姿を見ていると、エリーネの胸の中に熱いものがこみ上げてくる。
だからこそ――。
「シズネさぁぁぁん! どこおおぉぉ!」
はやくシズネを見つけてインティリア修復の糸口を見つけ、自分もあの喧騒に加わりたいのだ。楽しそうにする人々にもう一度視線を向ける。
エリーネは疲れ切った足にもう一度力を込め、踏み出そうとすると――なにか違和感に気がついた。
笑顔を絶やさない人々の中に、険しい表情の人物が何人か紛れ込んでいるのを発見した。
その人物たちは食べ物や酒に気を取られるわけでもなく、周囲に気を配っている。数人ほどが固まって歩いており、ひそひそと何やらお互いに耳打ちをすると細い路地へと消えていった。
「……なんだろう?」
普段であれば気にならないことでも、この楽しそうな雰囲気の中では妙に不釣り合いに見える。
路地へと消えていった数人を眺めつつ、歩いていこうとすると、
「……きゃっ」
どんっ、という衝撃。人にぶつかってしまった。エリーネは地面に尻もちをついてしまう。この人が多い中、よそ見をしてしまった。エリーネは謝ろうと思い、視線を前に向ける。
「失礼しました。お怪我はありませんか?」
目の前に突然、すらりとした綺麗な手が差し伸べられた。
驚いて視線を上に向けると、妙齢の女性がエリーネを見据えていた。シズネと同じくらいの年齢だろうか。
肩口へと垂らされる金色の髪の毛は、一つに編み込まれており、闇夜でもよく映える。切れ長の瞳はどこか冷えたものが感じられる。薄く引き締められた口元からは、ほとんど感情が感じられず、エリーネは少し怖気づいてしまった。
「あ、あの……ごめんなさい。私……よそ見してて」
そんなエリーネの弁解を気にするふうでもなく、その女性は腰を折り、戸惑うエリーネの手を取った。
ふわり、と果物の良い香りが鼻孔をくすぐった。それと共に女性の大きな胸元がエリーネの眼前に突きつけられた。
むむ、とエリーネはその豊満な胸に釘付けになってしまう。
鮮やかな金色の髪の毛は、このアトランティスではあまり見られない。ミリアムと同じく外の大陸の人間なのだろう。エリーネも、エリーネの母もそこまで胸は大きくなかった。シズネもそうだが、外の大陸の人間は皆、胸は大きいのだろうか。
なんだか複雑な気分になっていると、女性の胸元からペンダントが覗いているのがかった。
若鳥が大空へと飛び立とうとしている絵が描かれたペンダント。ミリアムも同じものを持っていた。この女性も、ウィランド王国の人……?
そんな憶測がエリーネの頭の中に浮かんだかと思うと、女性はペンダントを手に取り服の中にしまった。
あ、と思う前に、エリーネの手は女性に掴まれ、ひょいと立たされてしまう。
「お怪我は?」
「あ……いえ。ありがとうございます」
「そう。良かった」
そう言うと、女性は目にかかった自分の髪の毛を耳にかける。女性の口元が僅かに緩む。
その所作にふいに、エリーネの心臓は高鳴った。
「今日は人も多くて危ないわ。あなたもよそ見をしないで前を向いて歩きなさい」
そう言うと、女性はエリーネの肩口をやさしくぽん、と叩くと、その場を去っていった。
「はああぁぁぁぁ……」
エリーネの口からは感嘆のため息が漏れる。
すらりと背が高く、姿勢よく歩く姿は目を奪われてしまう。
「さっきのペンダント……あの人もウィランド王国の人かな?」
そう思ったとき、先ほどとは違う胸の高鳴りがエリーネを襲う。
ミリアムは一枚の書き置きを残して、抜け出してきたと言った。許して貰えるはずがない。そう言っていたことも思い出す。
今の女性。それに、先ほど路地に入っていった人たち……。
ひょっとすると、ミリアムを探しているウィランド王国の人間ではないのか?
「これって……まずいんじゃ」
成り行きとはいえ、一国の王女が自分の工房にいるのだ。港で二日後にはアトランティスとウィランド王国との友好を示す演説が行われるという話を聞いた。今思えば、ミリアムの二日後までという期限もそれを見越してのことだったのだ。
そんな大切なことを控えているミリアムを匿っているということは……。
「もしかして私……大変なことしてるんじゃ」
ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。
先ほどの女性を追ってみるが、喧騒にまぎれ見つけることができない。
「どうしよう……とにかく、シズネさんを」
鼓動を強める心臓を抑えながら、エリーネは探していない酒場へと駆けていった。
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