第3話 思わぬ来客

「ふうぅぅ。ただいまぁ……」


 エリーネは両手いっぱいの荷物を、リビングのテーブルに置くとそのまま床にぺたん、としりもちをついた。荒い息を整える。だるくなった腕を揉みながら立ち上がると、紙袋いっぱいに詰まった戦利品を一つ一つ確認していく。


 果実を絞ったビン詰めの飲み物。アトランティスでは採れない珍しい果物や野菜。チョコレートに甘いお菓子。さらには干し肉やふっくらとした小麦のパンもたくさん買い込んだ。


「女王さま……見られなかったなぁ」


 船の前でしばらく待ってはいたものの、結局、女王は見ることができなかった。それでも、港にいた人から、「二日後にはアトランティスとの友好を示す演説が行われる」という話を聞くことができた。その時にでも見ることができるだろう。


「シズネさぁーん。帰ってきたよー」


 声をかけるが返事は返ってこなかった。


「もー。どこ行っちゃったんだろう。人に買いに行かせといて……」


 エリーネはぶつぶつ文句を言いながら、紙袋に手を突っ込む。


「ひゃっ。ちべたい」


 氷のような感触にエリーネが嬉しい悲鳴を上げる。


 アイスクリームだ。


外の大陸のアイスクリームは濃厚で、舌がとろけてしまうほどに甘い。シズネと一緒にこのアイスクリームを食べるのが、交易船が入港した時の一番の楽しみだ。


 エリーネは紙の入れ物に入った二つのアイスクリームをじっと見つめる。


「……シズネさんいないんだよね……」


 エリーネの喉がごくり、と鳴る。


「二つ食べちゃおうか……このままじゃ溶けちゃうし……仕方ないよね」


 アイスクリームの入れ物に触れると、キン、とした冷たさが指先を刺激する。エリーネの舌の上には前回食べたアイスクリームの味が思い出されていた。

 エリーネはきょろきょろと周りを見渡す。アイスクリームの入れ物のふたをゆっくりはがそうと手を伸ばすと、控えめなノックが二度、部屋に響いてきた。


「うっひゃあぁぁぁ!」


 反射的にエリーネはアイスクリームを紙袋の中に押し込んだ。冷や汗を拭い、胸を押さえながらエリーネは外へと続くドアを見る。


「シ、シズネさん?」


 返事はない。


 エリーネはゆっくりと窺うようにドアを開ける。ドアに取り付けられたシズネ制作のインティリアがぶつかり合い透き通った音が辺りに響く。

 りぃん、りぃん、と音がこだまする中、ドアの外にはさわやかな陽気に似合わない出で立ちの人物が佇んでいた。


 足首まである紺色のローブを頭からすっぽりとかぶり、俯いたままエリーネを見ようともしない。身長はエリーネよりも少し低いくらいだったが、これでは男か女かもわからない。

 この異様な人物にエリーネは少しだけ身構えてしまう。


「あ、あの。お客さんですか?」


 ローブの人物は顔を上げることなく袖に腕を入れると、何かをくるんだ布を取り出した。なにも話さず、金糸で刺繍された布を丁寧にめくっていく。


「え……これって」


 布で包まれていた中身は、一見すると黒い絵の具を塗った卵のようだった。目を凝らして見てみると、黒く見えたものは内部で煙のように揺れ動き、出口を求めてさまよっているようにも感じられた。


「……手に取ってみてもいいですか?」


 ローブの人物は小さくうなずくと、黒い卵のようなものをエリーネに手渡した。

 恐る恐る手に取り、全体をしっかりと観察する。


 下には木材で作られた簡素な台座が取り付けられている。外壁に触れてみると、金属や木材ではない魔法の波動が感じられた。


 間違いない。これはインティリアだ。


 通常インティリアは手垢などで汚れることはなく、常に美しく透き通っている。長い間所有することにより、持ち主の感情に晒され多少の色が付くことはあるが、ここまで不気味に変色するインティリアは見たことがない。


 それ以上にエリーネを驚かせたのは、このインティリアには所々ひびが入っていたのだ。

 外部からの衝撃では壊れることがないインティリアがなぜ?


「この、インティリアの修理を……お願いに伺いました。店主に、会わせてください」


 突然の言葉に、エリーネは体をびくつかせた。

 その異様な恰好からは想像もできないくらいに、か細く不安に満ちた声色だった。

 エリーネは唇を引き締めると、フードの奥の表情を確かめるようにしっかりと目の前の人物を見据えた。


「私のお母さ……いえ。店主は五年前に亡くなりました」


 母の訃報を伝えると、エリーネの胸に消し去ったはずの悲しみが満ちてくる。


「えっ?」


 理解が追い付いていなかったのか、目の前の人物は疑問の答えを求めるように、エリーネの顔を見つめている。


 ふと、フードから顔が覗く。エリーネと同じくらいの年頃の女の子だ。


 アトランティスの海よりも深い青色の瞳は動揺を隠しきれていない。ふわりと空気を含んだ巻き毛は紺色のフードに隠れていてもなお美しい金色に輝いていた。幼さが感じ取れる口元は、わなわなと震え、次の言葉が紡げないようだ。


 お互い見つめ合う時間が永遠にも感じられる。


「そうでしたか。失礼しました。私はこれで」


女の子は早口でそう言うと、黒いインティリアをエリーネの手から受け取り、踵を返し立ち去っていこうとする。


「ちょっと待ってください!」


 頭で考えるよりも先に声が出てしまった。

 呼び止められた女の子は、振り返らずに歩みを止めた。


「私は今の店主のエリーネと言います。そのインティリア。もっとよく調べさせてください」


 未だ女の子は振り返ろうともしない。


「それは直せるという事ですか?」


 その言葉に、エリーネは一瞬息が詰まったようになってしまう。

 かつてアトランティス全土を覆っていた結界魔法を応用し、インティリアという小物を作る技術を生み出したのはエリーネの母だ。これまでに制作の依頼はあっても、修理の依頼は頼まれたことはない。


 女の子が持っているインティリアは間違いなくエリーネの母が制作したものだろう。


 卵のように丸みを帯びたインティリアは一切のゆがみがない。この美しい曲線を描くインティリアはシズネでも制作するのはむずかしい。

 それに――触れたときに感じた魔力の波動は、暖かく懐かしさを覚えるものだった。


「直せる自信がないのなら結構です。壊されたくはありませんので」


 エリーネの動揺が伝わってしまったのだろうか。女の子は吐き捨てるようにそう言うと、フードを深くかぶり直し立ち去ろうとする。


「必ず直して見せます!」


 エリーネ自身、なぜここまで必死になるのか疑問だった。エリーネの心に引っかかっているのは、真っ黒に変色したインティリア。そして、女の子の表情が寂しさを携えているように見えたからだった。

 インティリアの持ち主にはいつでも笑顔でいてほしい。母とシズネ。そしてエリーネ自身の思いだ。


 エリーネの言葉に女の子は歩みを止めた。訝しげに振り返ると、深くかぶったフードを取った。


 少しだけ開いたドアの隙間から風が吹き込んでくると、女の子の金色の巻き毛がふわり、と揺れた。心の奥まで見透かされてしまいそうな瞳は胸中を探るように、エリーネの顔を凝視している。

 直してあげたい、と思う気持ちは嘘ではない。エリーネはその気持ちを視線に込め、見つめ返した。

 女の子は、ふぅ、と小さく息を吐くと、再度ローブの中をまさぐり始めた。取り出したのは、革で作られた手のひらほどの大きさの袋。


「修理代はこれで足りますか?」


 女の子が革の袋を部屋の真ん中にあるテーブルに置くと、重く乾いた音が響いた。

 袋の中を覗き見ると、まばゆく光る金貨が詰まっていた。

 エリーネとシズネのひと月の生活費が大体、金貨一枚分だ。それが、少なく見積もっても三十枚ほど入っていた。


「こ、こ、こんなにはいらないと思います! とりあえず、インティリアを預かって……調べてみて……ええっと、とりあえず十日ほどお時間をいただいて……かかった日数分で……料金は応相談としましてですね……」


 女の子は、指を二本立てきっぱりと言い放った。


「二日でお願いします」

「ええっ! 二日? ……ええと……もしかして外の大陸の方ですか? そう言えば、青い瞳と金色の髪の毛ってアトランティスじゃあまり見ないかも」


 ふと、エリーネは女の子の胸元に光るブローチに視線を奪われた。若鳥が大空に飛び立とうとしている絵柄だった。


「あっ。綺麗なブローチ。その紋章って……もしかして王室の方だったりして……」


 女の子は一瞬目を見開くと、エリーネから視線を外す。きょろきょろと周りを気にした後、背筋を伸ばし再びエリーネに視線を合わせた。

 その姿があまりにも堂々として、エリーネは圧倒されてしまいそうだった。


「ウィランド王国の女王。ミリアム・ウィランドと申します。このことはどうかご内密に」

「へ?」


 予想外のことに、エリーネの頭は何も考えられなくなっていた。


「必ず直してください。それまでここで待たせてもらいます。よろしくお願いします」


 女王に深々と頭を下げられてしまい、エリーネはますます頭が真っ白になってしまう。

 窓からは暖かな日光と共に、子供たちがはしゃぐ声が聞こえてきた。

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