第11話 命の泉

 サーバーダウンの余波でノアと共に休憩室に閉じ込められた僕は、非常に誤解を受ける場面でタイミング悪く入ってきたミランダに必殺の一撃を食らって昏倒こんとうしたんだ。

 それからミランダにしこたま怒られながら必死に事情を説明し、何とか誤解だということを分かってもらった僕はようやく解放されて休憩室から通路に出ることが出来た。


「そうならそうと早く言いなさいよ。馬鹿ね」


 いや、僕が何かを言うよりも早く地獄の殺人エルボーをお見舞いしておいて何て言い草だ。

 とは言えない僕は先を行くミランダの背中を恨めしげに見つめた。

 そんな僕の隣を歩くノアは、声を潜めて僕に言う。


「そなたの主人は乱暴だな。アルフレッド」

「いや、君の勘違いのせいだからね? 分かってる? ノア」

「そんなことは気にするな。小さい奴め」


 ぐぬぬ。

 どうしてこう僕の周りは人の話を聞かない人や早合点な人ばかりなのか。

 会話のキャッチボールは大事ですよ!


「と、ところでミランダ。さっきのサーバーダウンで僕らは休憩室に飛ばされちゃったけど、君は大丈夫だったの?」

「大丈夫じゃないわよ。牢の中にいたはずなのに、いきなり別の部屋に飛ばされたと思ったら、デカ女たちもどこか別の場所から同じ部屋に飛ばされてきたわ」

「ヴィクトリアたちも? マジか」


 ミランダは苛立いらだって通路の壁を蹴飛ばす。

 すると壁があっさり崩れ、壁の向こう側にまた、つい今さっき出てきたばかりの例の休憩室が現れた。

 この休憩室から出てもう5分は歩いてきたのに、この部屋がまた目の前にあるのは明らかにおかしい。

 位置関係が完全に狂っている。

 システム異常としか言いようがなかった。


「この調子で坑道の中のあちこちがバグってんのよ。このゲームもう終わってるでしょ。これは早いところ脱出したほうが良さそうね」


 そう言うミランダはふと僕を振り返った。


「ところでアル。さっきのローザとマットの件、あんたはどう思ってんのよ?」


 ミランダがにらんだ通り、あの女悪魔はキャメロンの秘書であるローザだった。

 そして裏天界で僕らを襲ったせ悪魔がキャメロンの助手であるマットだということも判明した。

 僕はさっき、ノアとの誤解を必死に解いている時に、そうした一件についてもミランダに説明しておいたんだ。

 ローザはノアの一撃でゲームオーバーになってしまったから、結局のところあれはマットやローザの独断だったのか、それともキャメロンが裏で糸を引いているのか、この状況では何も分からなかったけれど。


「僕は……正直よく分からない。キャメロン自身が黒幕なのか、別の誰かが黒幕なのか。でも、出来ればキャメロンは潔白であってほしいと思ってる。彼は僕のために武器を与えてくれたし、天樹にとらわれたジェネットたちを救出するよう天使たちに訴え出てくれていたらしいし」


 キャメロンを疑う気持ちと信じたい気持ちとが僕の心の中で葛藤かっとううずを生み出していた。


「チッ。相変わらず甘い奴ね。アル。よく覚えておきなさい。本当に悪い奴は本当にいい奴と見分けがつかないもんよ」

「えっ? どういうこと?」

「最低の悪人は最高の善人のフリをするのにけているってこと。ま、あんたのお人好しは筋金入りだから今さら直らないだろうけど」


 そう言ってあきれながら少し前を歩くミランダについて行くと、大広間のような広い場所に出る。

 そこにヴィクトリアたちやゾーランとその手下たちが集結していた。

 よかった。

 皆、無事な様子だ。

 僕はさっきミランダに説明したローザとの話をあらためて皆にしようとしたけれど、ふいに近寄って来たエマさんに手を引かれた。


「オニーさん。ボロボロじゃない。とりあえず話は後。ちゃんと治療しないと」


 そう言うとエマさんは僕の手を引いて大広間の端に向かう。

 面倒くさそうに舌打ちをしながらミランダが後からついてきた。

 大広間の壁にはいくつかのとびらがあり、開けるとそこは治療室だった。

 ベッドや診察用の椅子いすが置かれていて、多くの医療用アイテムが戸棚に並んでいる。

 僕はエマさんに勧められるままベッドに横たわった。


「オニーサン災難ねぇ。悪魔の女に刺されて引っ掛かれて焼かれた挙げ句、乗り込んできた悪魔のような別の女にトドメを刺されるなんて。まあ災難というより女難か」


 そう言いながらエマさんは神聖魔法で僕を治癒ちゆしてくれる。

 確かに僕は閉じ込められた休憩室で悪魔の女(注:某ローザ)にさんざん痛めつけられ、助けに来てくれたはずの悪魔のような女(注:某ミランダ)に強烈なひじ打ちを浴びてノックアウトされた。


「誰が悪魔のような女よ。っていうかアンタ、私の家来にあまりベタベタ触るんじゃないわよ。尼僧にそうのくせにちょっとつつしみが足りないんじゃないの?」


 エマさんが僕を回復する様子を寝台のすぐそばにらみ付けているミランダがそう文句を言うけれど、エマさんもこればかりは自分の領分だというように平然と肩をすくめる。


「仕方ないでしょぉ。わたしの回復魔法・癒しの手ヒーリング・タッチは直接手で触れないと回復できないんだから。誰かさんが暴力的だからオニーサンの回復が必要になるの。ね、オニーサン」

「チッ! さっきのは誤解しても仕方ないでしょ! ドアを開けたら裸のアルが幼女にのしかかろうとしていたんだから」


 そ、それ、色々と間違ってますからね。

 僕の名誉のために言っておきますけど。


「アル。回復ドリンクあるんだから、それを使いなさいよ」

「う、うん」


 うなづく僕だけど、それを制してエマさんがピシャリと言う。


「ダメよ。オニーサンは体中、傷だらけなんだから。こっちに来てから結構無茶してきたのが一目瞭然いちもくりょうぜんよ。回復ドリンクじゃ見た目のライフは回復しても、体内の細かい痛みまではケアできないの。こういうのが蓄積ちくせきされると、深刻なデータ・エラーにつながる恐れもあるのよ。だからその場しのぎで一気に回復するんじゃなくて、じっくり時間をかけて回復しないといけないの。ミランダ。あなたの大事な家来のオニーサンがどうなってもいいわけ?」


 め、珍しくエマさんが真剣な話をしている。

 その専門的な意見にさすがのミランダも押し黙るほかなかった。


「チッ! 分かったわよ。アル。とりあえず私はアイツらにローザのことを説明してくるわ」


 説教されたことが面白くなかったのか、ミランダは寝台を離れて休憩室の外へと出ていった。

 それを見送ったエマさんは苦笑しながら僕に視線を落とす。


「モテる男は辛いわねぇ。オニーサン」

「へっ?」

「ん~ん。何でもないわ。それにしても女難よねぇ。まるで、浮気相手の家で別れ話を切り出して逆上した浮気相手に殺されかけていたところ、そうとは知らずに乗り込んできた本妻にトドメを刺される、みたいな面白いシチュエーションよね。うふふ」


 それ全然面白くないから!


「か、勘弁してよ。エマさん」

「はいはい」


 エマさんはそう言いながら僕の素肌に手を当てる。

 美人のエマさんがそのスベスベの手で触れてくれるから、というわけではないけれど、彼女の治癒魔法はゆっくりと体の中に染み込んでいやしてくれるような心地よさがあった。


「でもオニーサン。さっきの話は忘れないでね。痛みは確実に蓄積ちくせきされていくわ。それは無茶しがちなオニーサンだけじゃなくてミランダのような強いキャラクターでも同じだから」

「う、うん。きもに銘じておくよ」


 普段はおちゃらけているエマさんだけど、真面目な話をする時はシスターらしく見える。

 こういう時ばかりはいつもの妖艶な笑みが慈愛に満ちた優しい笑みに見えるから不思議だ。


「ということでオニーサン。ミランダがいないうちに、わたしのサービス受けてみる?」


 エマさんはいきなりつやっぽい表情に変わり、横たわる僕の上に覆い被さろうとする。

 い、いや何のサービスですか。

 

「ちょ、ちょっとエマさん? 一体何を?」

「大丈夫よ。ミランダあっちに行ってるし。見られないって。今のうち今のうち」

「い、いえいえ。こ、これはマズイですよ。だいだいちょっとムフフなことをしていると、ミランダにその場面を目撃されて手痛い一撃を喰らうっていうのが僕の宿命ですから」

「ムフフなことってこんなこと?」


 そう言うとエマさんはピョンッと寝台に上に飛び乗り、僕の腰の両脇に左右のひざをつけてひざ立ちになった。

 間近に迫るエマさんの体からは何だかいいニオイがする。

 こ、これが大人の女性の香りなのかな。


 そんなことを考えた僕はそこでエマさんに起きた変化に目を見張った。

 僕の治療をするための神聖魔法・癒やしの手ヒーリング・タッチを使う時はエマさんの手が光を帯びるんだけど、今は彼女の体全体が光を帯びている。

 そんなエマさんは僕の心臓の位置に合わせるようにして、僕の胸に両手を重ねた。

 そして彼女は高鳴る僕の心臓の鼓動に合わせるように短く呼吸を繰り返す。

 その手がどんどん熱くなっていく。

 こ、これは……。


命の泉ライフ・ファウンテン


 エマさんがそう唱えると彼女の手から伝わる熱さが僕の胸の中へと浸透し、心臓が心地よい温かさに包まれた。

 その温かさが体の隅々まで行き渡り、やがて静かに消えていく。

 ふ、普通の回復魔法とは違うような気がするけど……。


「こ、これは?」

「ナイショ。困った時にオニーサンを助ける秘密の魔法よ。わたしが一日一回しか使えない特別な魔法だから」


 い、一体何なんだろう?

 僕が不思議に思ったその時だった。

 とびら一枚をへだてた大広間に控えていた悪魔たちの中から、突如として悲鳴が上がったんだ。


「うぎゃああああっ!」


 ただごとでなはいそのけたたましい叫び声に僕とエマさんは顔を見合わせ、すぐに寝台から跳ね起きた。

 そしてとびらを開いて即座に大広間に飛び込んだんだ。

 同時に大広間の中にパッと赤い光が瞬き、何かがげるような嫌な臭いが鼻を突く。

 見ると大広間の床に1人の悪魔が倒れていたんだけど、その悪魔は体中が炎に包まれてすでに息絶えていた。

 そ、そんな……何が起きたんだ?


「敵襲だ!」


 大広間の中央にいたゾーランが立ち上がり、そばに控える部下たちが周囲を警戒しながら各々の武器を手に身構えた。

 そんな彼の頭上で天井の岩肌が赤く光ったんだ。

 僕が声を漏らすよりも早く、ミランダが叫んだ。


「ゾーラン! 上よ!」


 その声に反応したゾーランが即座に身を投げ出すようにして地面を転がった。

 すると天井をすり抜けていきなり、真っ赤な光を帯びた巨大な長い物体が姿を現したんだ。


「あ、あれはへび? ……いや」


 それはへびではなく、赤く燃え盛る岩石で出来た長い体を持ち、無数の足を持つ巨大な百足ムカデだった。

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