第10話 ノアの後悔

 母。

 その言葉に幼い少女姿のノアの目からは涙がとめどなく流れ落ちていく。

 僕は言葉もなくノアが泣き止むのを待ち続けた。

 それからしばらくしてノアはうつむいたままポツリとつぶやいた。


「母……ではない。母のような人だ」

「そ、そうなんだ」

「ノアは……彼女に会いたくて地獄の谷ヘル・バレーを選んだのだ。それなのに……」


 そこまで言うとノアは再び目に涙をため始めた。

 僕が持っていたハンカチを彼女に差し出すと、ノアはそれをひっつかんで自分の両目に押し当てた。

 その肩が小刻みに震えている様子を見て、僕は意を決して告げた。


「ノア。お母さんってどんな人なの?」

「そなたには関係のない話だ」


 にべもなくそう言うノアだけど、ミランダにきたえられた僕はそんなことじゃへこたれない。


「そうだけど、いつここから出られるか分からないし、せっかくだからこの機会にゆっくり話をしない?」

「そなた……幼女に詰め寄る不審者のようだな」


 違うから!

 オイ誰だ?

 それっぽく見えるとか言ってる奴は。


「も、もしかしたら君の話を聞けば、今のその不具合を修復できるかもしれないし」

「そなたにか? どう見ても無能なそなたにそのようなことが出来るのか?」


ぐぬぬ。

ま、負けないぞ。


「ぼ、僕は無能だけど、僕の仲間たちは有能な人材がそろってるから。だから良かったら事情を話してみてよ」


 そう食い下がる僕をじっと見つめていたノアは一度目をつぶってため息をつくと、仕方なくといった風にうなづいた。


わらにもすがるという言葉もあるし、犬にでも愚痴ぐちると思えば良いか」


 わらの犬。

 ふ、ふふふ。

 僕の忍耐力も大したもんだろう?

 こんなに小馬鹿にされてもへっちゃらなんだぜぇ?

 恐らく引きつった笑みを浮かべている僕に、ノアは話を切り出した。


「ノアが移転先に地獄の谷ヘル・バレーを選んだのは……母さまがあのゲームでキャラクター・デザインを担当しているからだ」


 ……はい?

 キャラデザ?

 

「え? ちょ、ちょっと待って。お母さんってNPCじゃないの?」

「違う。母さまはノアのキャラデザを担当してくれた女性だ」


 う、運営スタッフの人か。

 その人が今、地獄の谷ヘル・バレーで仕事をしているってことは転職したんだな。

 

「母さまが地獄の谷ヘル・バレーにいるということノアに知らせたのはキャメロンだ。あの小僧がどうしてそんなことを知っているのかは分からぬが、そんなことはどうでもよかった。ノアは……ノアは母さまに会ってどうしても聞きたいことがあるのだ」


 話をするうちに色あせていたノアの表情に赤みが差し、その言葉も熱を帯びていく。


「母さまが最初にデザインしてくれたノアは今のこの姿ではなかった。最初の設定では18歳の女性だったのだ。ちょうどそなたが使った変幻玉で変身したあの姿に似ていた」

「そ、そうたったの?」


 だからノアはあの大人っぽい姿の自分をことのほか気に入っていたのか。


「でもどうして今の姿に?」

「運営本部の要請だ。美女キャラは多くいるので幼女キャラが欲しいと言われ、母さまは反発した。母さまは最初にデザインしたノアの姿を会心の出来栄できばえだと、この上なく気に入っていたからだ。だが、まだ駆け出しだった母さまに運営本部の意向を突っぱねることは出来なかった」


 ノアの話は理解できる。

 キャラデザってのは第一案で決まることもあるけれど、幾度も没案ぼつあんを繰り返すこともザラにあるらしいから。

 最終決定までに何度も姿を変えて、より洗練された容姿になるキャラクターもいれば、ノアのようにまったく違った姿になるケースもある。


「母さまはスタッフでありながら実際にゲームをプレイしてノアのことをかわいがってくれた。だが、母様の心の中にはおそらく最初に描いたノアの姿があったのだと思う。それから日々は流れ、母様のデザインが認められるようになったある日、母さまは運営本部に申し出たのだ。ノアのデザインを第一案に戻せないかと」

「そ、それで?」

「結果はNOだった。それはそうだろう。ノアはすでにこの姿でゲームの中に存在していたから、途中からいきなりキャラデザを大きく変えることは出来ない。無論、そのようなことは母さまも分かっている。だからノアの新たな能力として一時的にでも大人の女性に変身するスキルを身に付けさせてはどうかと母さまは提案したのだ」


 なるほど。

 面白いアイデアだと思う。

 でもどうやらその人は運営本部からはあまりよく思われていなかったんだろう。

 話の続きは聞かなくても分かった。


「運営本部の返答はやはりNOだった。当時の運営の重鎮じゅうちんに、自分の領分を逸脱いつだつしていると母さまはひどく叱責しっせきされたそうだ。以来、母さまは運営本部から冷遇されるようになってしまい、プレイヤーとしてノアの元に来てくれる回数も減ってしまった」


 そう言うノアの寂しげな顔に僕は胸が痛んだ。


「そんな折、母さまは他のゲームから引き抜きの打診を受け、転籍することを決めたのだ」

「それが地獄の谷ヘル・バレーだったってことだね」


 ノアはうなづく。


「デザインについての大きな権限を任され、母さまの気持ちをおもんばかってくれる良い条件だったらしい。そこならば存分に腕を振るえると母さまは喜んでいた。だがノアは……」


 そこでノアはくちびるを噛み締めて自分のひざを叩いた。


「ノアはそんな母さまを祝福することが出来なかった。母さまにとって喜ぶべきことだというのに、ノアは駄々だだをこねてしまったのだ。どこにも行かないで欲しいと、まるで子供のような駄々だだをこねて母さまを困らせてしまった。いや、失望させてしまったのだ」

「ノア……」


 その日以来、ノアの母親は姿を現さなくなったという。

 ノアはずっと自分を責め続けてきたのかもしれない。


「つまらぬ感情で母さまの門出かどでを祝うことが出来なかったおろかなおのれをいくら恥じても、母さまはもう戻ってこない。だからノアは母さまに会って聞きたかったのだ。あの時、ノアがあのような振る舞いをせずに笑って送り出せたら、母さまは今でもただのプレイヤーとしてノアに会いに来てくれていたのかと」


 ノアの後悔と無念はよく分かった。

 だけど、それならなおさら僕は彼女をこのままにしておくわけにはいかない。


おろかでも何でもないよ。だって好きな人がいなくなっちゃうんだよ? 駄々だだをこねて当然じゃないか」


 そう言う僕をノアはにらみつけてくる。

 

「馬鹿を言え。ならば母さまが自分の出世をあきらめてノアの元に居続けるのが正解だとでも言うのか?」

「それも違うよ。君のお母さんが自分の行く先を決めて旅立ったのも、君がそれを寂しがったのも間違いなんかじゃない。当然のことだよ。もちろん笑って見送ることが出来れば一番いいけど、誰しもがそんな強い人ばかりじゃないから」


 僕だってもしミランダがどこか別のゲームに転籍してしまうとなったら、笑って送り出す自信はない。

 

「ならば……ならばノアはどうすれば良かったのだ? どう振る舞うのが正解だったというのだ? 答えよ。アルフレッド」


 僕はそう言うノアの眼差まなざしをまっすぐに受け止めて答えた。


「その時どうすれば良かったのかを考えるんじゃなくて、この先どうするのかを考えよう。それがノアの抱えている苦しみを解き放つ一番の薬になると思う」


 ノアは涙で充血した目を僕に向けた。


「偉そうなことを言うからにはアテがあるのだろうな?」


 僕自身には彼女の母親を探し当てる力はないけれど、もっとも適任な人物を1人知っている。

 神様だ。

 かつては運営本部の幹部として僕らのゲーム運営にたずさわり、今は顧問役を務める神様であれば、ノアのお母さんだった人を見つけることはそう難しいことじゃないだろう。

 まあ、神様がすんなり応じてくれるかどうかは別として。

 そのことをノアに言うと彼女は意外そうな顔で僕を見る。


「アルフレッド。そなたは奇妙な人脈を持っているな」


 確かに。

 自分でもそう思うよ。

 まあ、僕自身の力ではないけれど、人と人をつなぐ役割を果たすことは出来る。

 そんな僕を見て、ノアは自嘲気味な笑みを口元に浮かべた。


「ノアは母さまに会いたいと思うても、その手段がまるで思い浮かばなかった。だから、とにかく強くなって有名になれば、母さまがノアの元に戻って来てくれると思い、日々の研鑽けんさんを重ねたのだ。今にして思えばまるで子供の考えだな」


 ノアの言葉に僕は以前にヴィクトリアが言っていたことを思い出した。

 ノアは強くなることに貪欲どんよくなNPCで、そのために勝てば多くの経験値をゲット出来るヴィクトリアを執拗しつように狙ったと。

 それにはそういう理由があったのか。

 それから僕はノアに大事な話をした。


「君のお母さんのことは、ここから出て神様に連絡がついたら僕から頼んでみるよ。君には別にやってみてほしいことがあるんだ」

「何だ?」

「僕の友達の中に、今の君の身に起きている不具合を修復できるかもしれない人がいるんだ」

「ほ、本当か?」


 僕の言葉にノアは血相を変えて詰め寄ってきた。


「う、うん。でもそのためには君の体を色々と調べなきゃならないんだ。君に嫌な思いをさせるかもしれない」


 ノアは堕天使たちの身勝手な実験の被験者として嫌な思いをたくさんしている。

 だから理由はまるで違えど、同じように体を調べられるのは彼女にとって苦痛だろう。

 それを示すようにノアはじっと視線を落として口を真一文字に結び、何かを考え続けている。

 だけどやがて覚悟を決めたように顔を上げた。


「ならば任せよう。どうせ一度は打ち砕かれた誇りだ」

「ありがとう。君がまたあの巨大竜になっちゃうと僕らもとても困るから」


 僕がEガトリングで対処できるとしても絶対じゃないから過信は出来ないしね。

 ホッと安堵あんどするぼくの前でノアはいきなり、ゴロンと仰向けに寝転がった。


「さあやれ! この体を好きにするがいい!」


 何を勘違いしたのかそう言うと、ノアはキュッと固く目を閉じる。


「え? い、いや、ここでは何もしないから」


 ノアのことはもちろんアビーやブレイディに調べてもらうつもりなんだけど。


「遠慮はいらぬ。その手でノアの体を隅々すみずみまで好きにするがいい」


 そう言うとノアはガシッと僕の手をつかんで僕を引き寄せる。


「いやいや。君の体を調べるのは僕じゃなくて……ちょ、ちょっとノア?」


 小さいながらも力強い彼女の手に引っ張られながら僕が懸命に抵抗をしているその時、ゴウンと音がしていきなり部屋の明かりがチカチカと幾度も明滅する。

 視界がまばゆい光と暗闇を交互に受けてチカチカと見えにくくなる。

 サ、サーバーが復旧したのかな?

 同時にさっきどんなに開けようとしても空かなかった入口のドアが、向こう側からまるで蹴破られるかのようにバタンと大きな音を立てて開いた。

 そして聞き慣れた声が響く。


「アルッ! 無事なの? いるなら返事を……」


 ミ、ミランダだ!

 僕は目をしばたかせて彼女の方を見た。

 ようやく照明の明滅が収まりボンヤリと焦点しょうてんが合ってきた視界の中で、ミランダは唖然あぜんとしてこちらを見ている。


「アル……見てはいけないものを見てしまった気分だわ」

「へっ?」


 僕の目の前ではノアが自分の胸の前で僕の手を握り、その小さな体をブルブルと震わせている。

 こ、これじゃあまるで僕が今からノアを襲おうとしているみたいじゃないか。

 僕は首を横に振りながら必死にミランダに弁解をしようとした。


「ち、違っ……これは違う……」

「問答無用! 現行犯は撲殺! 死ねっ!」

「ぐはぁっ!」


 ミランダの容赦ようしゃないひじ打ちを後頭部に浴びて、僕は無慈悲にKOされたんだ。

 ごふっ。

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