第6話 紅の鷹

 せ悪魔のナイフに刺されて両足を負傷した僕は、痛みのあまり気が遠くなるのを感じていた。

 一気に大きなダメージを受けたせいで僕の意識レベルがいちじるしく低下していたんだ。

 ブレイディを逃がさないといけないのに。

 気を失っている場合じゃないのに。

 僕は必死に自分の意識を暗闇の奈落から引っ張り上げようとした……その時。


「ぬうっ! な、なにっ?」


 聞こえてきたのはバサバサとすぐ身近で鳥が羽ばたく音と、せ悪魔が忌々いまいましげに上げる声だった。

 な、何だ?

 僕が目を開けると、目の前に真っ赤な羽をしたたかが羽ばたきながらその太い爪でせ悪魔を攻撃している。


 あ、あれ?

 もしかしてブレイディがまた変身したのか?

 逃げたはずじゃ……。


 真紅しんくたかが爪やくちばしで激しく攻めているおかげで、せ悪魔が僕の首をつかんでいる手を放した。

 左の太ももにナイフが刺さったままの僕は立っていられずにその場にへたり込む。

 激しい痛みは強くなりすぎたせいで感覚が鈍り、鈍痛にさいなまれる左足はひたすらに重く感じられる。

 たかせ悪魔への攻撃を緩めずに続け、せ悪魔はそれを振り払おうとするために僕から少し離れた。


 い、今だ。

 僕が四つんいになって必死にせ悪魔の近くから逃げ出そうとすると、誰かが僕の手を引っ張ってそれを手助けしてくれた……えっ?


「あのたかは私じゃないよ。アルフレッド君」


 そう言って僕を引っ張ってくれたのはブレイディだった。

 彼女は素早く僕に回復ドリンクを飲ませると、何も言わずにサッと僕の左足からナイフを引き抜いた。


「あぐうっ!」


 思わず苦痛の声を上げる僕だけど、彼女はテキパキとした動きで僕の傷ついた両足に止血用の包帯を巻いてくれる。


やしの効果のある薬が塗られた包帯だよ。じきに痛みも治まるし傷口もふさがるから安心してくれ。悪かったね。ワタシの下手な挑発でミスター・デビルを怒らせたもんだから、君に痛い思いをさせてしまった。申し訳ない」


 彼女は神妙な面持ちでそう言う。


「ブ、ブレイディ……どうして逃げなかったの?」

「言っただろう? 君を見捨てて逃げたら後でジェネットに大目玉を食らうこと確定だからね。それに……あのたかが空から舞い降りてくるのが見えたんだ。事情は私も分からないけれど、私の薬を飲んだ誰かさんだね……おっと。時間切れのようだよ」


 そう言うとブレイディは赤い羽のたかを指差す。

 彼女の言う通り、たかは鳥の姿からどんどん大きくなり、人の姿へと戻っていく。

 ブレイディの薬を飲んだ誰か?

 懺悔主党ザンゲストの人が救援に来てくれたのか?


「っぷはぁっ!」


 現れたその人物は大きく息を吐きながら地面に降り立ってせ悪魔と対峙する。

 赤い髪にオレンジ色の瞳、そして褐色かっしょくの肌。

 その姿に僕は思わず声を上げた。

 

「ええっ?」


 背が高くて、手足は筋肉で引き締まり、豊満で重そうな胸をものともせずに背すじを伸ばして凛々りりしく立つその姿は戦いの女神を思わせる。

 僕は歓喜の思いを込めて彼女の名を呼んだ。


「ヴィ……ヴィクトリア!」


 そこに現れたのはつい先日、行動を共にしたばかりの長身女戦士ヴィクトリアだったんだ。


「よう。アルフレッド。また会ったな」


 ヴィクトリアはそう言うとせ悪魔と近距離で対峙しているというのに、僕の方を向いてニカッと笑う。

 すきを見せたヴィクトリアに、せ悪魔は即座に手に持っていたナイフを彼女目掛けて投げつけた。

 危ない!


「フンッ!」


 だけどヴィクトリアは目にも止まらぬ早さで腰帯から引き抜いた羽蛇斧ククルカンで、このナイフを叩き割った。

 衝撃で真っ二つに割れたナイフが、カラカラと音を立てて床に落ちる。

 す、すごい。

 あの至近距離からのナイフをほとんど目視せずに弾き落とすヴィクトリアの技量にボクは舌を巻いた。


「ナメんなよ? そんなナマクラでアタシに傷ひとつでもつけられると思ってんのか」


 悪魔に向かってそう言うとヴィクトリアは羽蛇斧ククルカンを腰帯に戻し、アイテム・ストックから取り出した両手斧・嵐刃戦斧ウルカンを構えた。

 そして僕に背を向けたまま彼女は言う。


「アルフレッド。色々とアタシに聞きたいこともあるだろうけど、とりあえず話は後だ。このガリガリ悪魔野郎を叩きのめす」


 そう言うとヴィクトリアは斧を振り上げて猛然とせ悪魔に突進した。

 せ悪魔は新たなナイフを2本取り出すと、それを両手に構えてヴィクトリアを迎え撃つ。

 体格も武器の大きさもヴィクトリアの方がはるかに上なのに、せ悪魔は正面から彼女とやり合うつもりなんだろうか。


「うおらぁぁぁっ!」


 ヴィクトリアは嵐刃戦斧ウルカンを大上段から振り下ろす。

 まともに浴びたら体を真っ二つにされてしまいそうな一撃を、せ悪魔は素早い身のこなしで避けると、両手に持ったナイフでヴィクトリアに斬りかかる。

 素早さではせ悪魔の方が数段上に見えるけれど、ヴィクトリアは至って冷静だった。

 

「フンッ!」


 せ悪魔に避けられて地面の石畳を割った嵐刃戦斧ウルカンをサッと手放すと、ヴィクトリアは両手の手刀でせ悪魔の手首を鋭く打ってナイフを落とさせる。

 そしてすぐさま腰帯から小ぶりな手斧である羽蛇斧ククルカンを引き抜いて両手に持つと、それでせ悪魔に斬りかかった。

 せ悪魔はどこから取り出したのか次のナイフをすでに持っていて、羽蛇斧ククルカンを受け止めようとする。


 だけど力ならヴィクトリアのほうが段違いに強かった。

 せ悪魔のナイフは弾き飛ばされ、ヴィクトリアはそのすきに鋭い前蹴りでせ悪魔の腹を蹴飛ばした。


「グゲエッ!」


 せ悪魔は苦痛の声を上げて後方に吹き飛ばされる。

 よしっ!

 ヴィクトリアの強さは相変わらず安定していた。

 接近戦では不利と察したのか、せ悪魔は後方に下がりながら次々とヴィクトリアに向かってナイフを投げつける。

 あのせ悪魔、一体何本のナイフを隠し持っているんだ。


「こざかしいんだよ!」


 ヴィクトリアは羽蛇斧ククルカンでこれを簡単に弾きながらせ悪魔を追う。

 素早さではやはりせ悪魔の方が上で、ヴィクトリアの間合いである接近戦に再び持ち込むことは簡単じゃないように思えた。


「チョコマカ逃げてんじゃねえ!」


 ヴィクトリアは怒声を上げながら2本の手斧・羽蛇斧ククルカンせ悪魔に向かって投げつける。

 せ悪魔は建物の壁を蹴って反転し、巧みな身のこなしでこれをかわすけれど、ヴィクトリアの念力で操られた羽蛇斧ククルカンはどこまでも相手を追尾して宙を舞う。

 それでもせ悪魔はヒラリヒラリと羽蛇斧ククルカンをかわし続けた。


 な、何て素早さだ。

 でも……ヴィクトリアは冷静さを失っていなかった。


「そろそろだな」


 彼女がそう言うと、それまで華麗に跳躍して羽蛇斧ククルカンをかわし続けていたせ悪魔が、いきなりガクッと体勢を崩したんだ。

 そして下から何かに足を引っ張られるかのようにして地面に落下した。


「ぐうっ!」


 その時になって僕は初めて気が付いた。

 何かがせ悪魔の右足首に絡み付いているせいで、足首の体毛が毛羽立っている。

 それは時折、光の反射で見える程度の透明のワイヤーだった。

 そしてヴィクトリアの投げた羽蛇斧ククルカンせ悪魔の周囲を旋回する度にそのワイヤーがキラキラと輝いた。

 もしかして……。


羽蛇斧ククルカンのケツに長い尻尾をつけたんだよ。透けて見えにくいやつをな。そいつが敵をがんじがらめにするんだ!」


 ヴィクトリアはそう叫ぶと羽蛇斧ククルカンを手元に呼び寄せてつかんだ。

 途端にせ悪魔がズルズルと地面を引きずられてヴィクトリアの方へと引き寄せられる。

 やっぱりそうか。

 羽蛇斧ククルカンに結びつけた透明のワイヤーがせ悪魔の体に巻き付いてその自由を奪ったんだ。

 ヴィクトリアはたった1日会わないうちに進歩していた。


「おまえのマネだよ。アルフレッド。アタシも戦闘に役立つようなアイテムを買うことにしたんだよっと!」


 そう言いながらヴィクトリアは一気にせ悪魔を手繰り寄せて羽蛇斧ククルカンで一撃を浴びせようとする。

 せ悪魔は全身をワイヤーに絡め取られて体勢が悪く、踏ん張ることも出来ずに引きずられた。

 だけどそこで唐突に僕の隣にいるブレイディが叫んだんだ。


「殺さずに生け捕ってくれないか!」


 それを聞いたヴィクトリアは咄嗟とっさ羽蛇斧ククルカンの刃を返して、握った柄の方でせ悪魔の腹を鋭く突いた。


「グェアッ!」


 せ悪魔は激しい痛みに声を上げながらも、それでも抵抗しようと暴れるけどヴィクトリアはそれを許さない。


「この距離でアタシから主導権を奪えるつもりか? おもしれえ」


 そう言うとヴィクトリアはせ悪魔にのしかかった。

 あ、あんなに至近距離まで近づいて大丈夫なのか?

 心配する僕をよそにヴィクトリアはせ悪魔を押さえつけて組み伏せようとした。

 だけどその時、せ悪魔はいきなり全ての抵抗をやめて動きを止めた。


 な、何だ?

 観念したのか?

 次の瞬間、せ悪魔の体毛という体毛が全て逆立った。

 そしてその体から何か鋭利なものが四方八方に飛び散ったんだ。


「ヴィクトリア!」


 当然、せ悪魔に密着していた彼女もその何かを体に浴びてしまう。

 周囲の壁に突き立ったそれを見て僕は背すじが寒くなるのを感じた。

 それは長さ20センチはあろうかという黒い針だった。

 それだけでなく、針は薄気味悪い緑色の液体で濡れていて、明らかに毒針の類だと思われた。

 そして僕とブレイディがその針を浴びずに済んだのは、ヴィクトリアが身をていして僕らを守ってくれたからだったんだ。


「ヴィクトリアァァァァ!」

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