第3話 犯行現場

 鳥の姿で無人の都市を移動する僕とブレイディは街の中の一角に奇妙な景色を見た。

 狭い路地の向こう側に、こことはまるで別世界の光景が広がっていたんだ。


「向う側が本物の世界だ。こちらは偽物ってことになるね」

「ほ、本物と偽物?」

「そうさ。この街に入る前に雲を抜けたろう? その時に変な感覚を覚えなかったかい?」


 ブレイディの言葉に僕はさっきの奇妙な感覚を思い出した。

 雲を抜けた瞬間に確かに空気がガラッと変わったような感じがした。


「裏の世界に入り込んだんだ。そしてあっちの本物の世界でせわしなく歩いている奴らは、この天国の丘ヘヴンズ・ヒルを運営している本部からの指示を受けて、このゲームの各所へ指令を出しているんだ。要するにあっち側が本物の世界なんだよ。それではここで本題だ」


 ブレイディは僕を見つめて力強く言う。


「今回、ワタシとアルフレッド君に我が主が託した指令。それはこの偽物の世界で数々の証拠をつかむことさ。この裏世界を利用して不正を働こうとしている連中が確かにいるんだ。そいつらの首根っこを押さえるための動かぬ証拠をワタシらが手に入れるんだ」

「証拠を……」

「ああ。その上で誘拐ゆうかいされたキャラクターを見つけられたら上出来。そのキャラクターを救出できたら万々歳だ。とはいえ、そこまで気張らなくても……おっと。お客さんだ」


 ブレイディが指差す先では大通りから1人の男性天使がこちらの路地に入り込んできた。

 僕はブレイディに促されて彼女と共に建物の陰に身を隠す。

 僕らはそこから路地の様子をじっと見つめた。


「見てごらん。アルフレッド君。あそこに空気のまくのようなものが見えるだろう。あれが向こう側の世界とこっち側との境界線だ。ちなみにあの空気のまくはマジックミラーのようになっていて、こちら側からは向こうは見えるけれど、向こう側からこちらを見ることは出来ない」


 ブレイディの言う通り、前方の大通りからこちらの路地に入り込んですぐのところに、薄い空気の膜のようなものが見える。

 そして路地に迷い込んできた上級天使の男性がその空気のまくを抜けると、そこがまるで水の波紋のように揺らいだ。

 だけど男性は自分が別の場所に足を踏み入れていることにも気付かずに、じっと手元の資料に目を落としたまま歩き続けている。


 仕事熱心なのはいいけど、歩き読みは危険ですよ!

 僕が内心でそんなことを思っていたその時だった。

 頭上から黒い人影が踊り、それはいきなり天使の男性の目の前に舞い降りたんだ。

 現れたのはスラリとせた全身を黒い体毛に覆われた人型の悪魔だった。


「ひいっ!」


 あまりに突然のことに上級天使の男性は持っていた書類のたばを取り落とし、顔を上げると短い悲鳴を漏らす。

 だけど彼はそれ以上、声を出すことは出来なかった。

 せ悪魔がスッと手を伸ばして天使の口元を押さえ、もう片方の拳で天使の腹部を鋭く突き上げたんだ。


「ムグッ!」


 せ悪魔の拳で思い切りみぞおちを殴られた天使の男性は一撃で気を失ってしまい、ガックリと前のめりに倒れる。

 そんな天使をせ悪魔はサッと抱え上げると、あっという間に上空へ飛び立っていく。


「ゆ、誘拐ゆうかいだ……」

「ああ。まさか犯行現場を目にすることになるとはさすがに思わなかったな」


 それはあまりにも鮮やかな手口だった。

 誘拐ゆうかい現場を目の当たりにした僕は、動揺で口をパクパクさせて隣のブレイディを見る。

 だけど彼女は落ち着いていた。

 その目に赤い光が走ったように見えた。


 な、何だ?

 よく見ると鶴の姿の彼女の目の中には赤い文字で『REC』と浮かび上がっていた。

 ろ、録画?


「よし。犯行現場を録画したよ。ふふふ。ワタシのスキルの一つ。視覚録画ヴィジョン・レコードだ。動かぬ証拠を入手した。あの男性天使には気の毒だけど、我々には幸運だぞ」


 ブレイディは自信満々にそう言った。

 

「そうか。この鳥の姿なら怪しまれずに証拠映像を押さえることが出来るのか」


 そう言う僕にブレイディはニヤリと笑ってうなづいた。


「そうさ。隠し撮りのし放題だよ。アルフレッド君も自宅の窓辺に鳥が飛んできたら注意したほうがいいよ。それワタシだから」

「やめて差し上げて!」


 そんなこと言ってる場合じゃない。


「早く追いかけないと悪魔が逃げちゃうよ!」

「いいや。すぐに追ってはダメだ。怪しまれる。逃げられるリスクより気付かれるリスクを重視しないと。何しろワタシたちには悪魔と戦う力がないからね」


 ブレイディは冷静にそう言う。

 そ、その通りだ。

 今、あのせ悪魔に襲われたらどうにも出来ない。


「少し離れてから追跡するんだ。見失わないようにワタシが上から見張るから。あくまでも普通の鳥のように振る舞うことが大事だから、それを忘れずに。まあ大丈夫。今は君の体にも鳥としての本能が染み付いているから」


 そう言うとブレイディは羽を広げる。


「君は建物の屋上伝いに少し遅れてワタシについてきてほしい」

「分かったよ。気をつけて。ブレイディ」


 ブレイディはうなづくと上空へと舞い上がっていく。

 降雨量はさっきよりも増していたけれど、彼女は気にすることなく翼をはためかせた。

 離れていく彼女を見送りながら僕は深呼吸をして自分を落ち着かせ、せ悪魔の追跡を開始した。


 ブレイディは慎重に空を飛びながらせ悪魔の向かう先を僕に示してくれる。

 僕は建物の屋上から屋上へと飛び移りながらブレイディを見失わないように追った。

 緊張しながら慎重にその動作を続けていくうちに、僕は自分が街の中心にある白亜の城に向かっていることが分かった。

 どうやらせ悪魔はあそこに向かっているってことか。


 それにしてもあのせ悪魔。

 どこかで見たことあったかなぁ……。

 さっき見たあの顔がどこかで見覚えがあったような気がするんだけど、イマイチ思い出せない。


 そんなことを考えながらふと上空を見上げると、ブレイディがそれ以上進むのをやめて、上空を旋回しながらゆっくり降りてくるのが見える。

 僕はその後を追うように無人の街中を飛翔して、彼女の降下地点に先回りした。

 鶴の姿のブレイディはゆったりとした動きで地面に舞い降りると、僕を促して建物の陰に身を隠した。


「悪魔の行き先が分かったよ。この先にある城の手前の教会に天使を運び込むのを見たからね」

「教会……そこに天使を連れ込んで何するつもりなんだろう」


 僕がそう首を傾げるその前で、ブレイディがいきなり人の姿に戻った。

 科学者らしい白衣と、ふちとがった赤いフレームの眼鏡。

 そして栗色のショートヘアーと眼鏡の奥の茶色の瞳はよく覚えている。

 砂漠都市ジェルスレイムで出会った少女・ブレイディの姿はあの時とちっとも変っていない。


「ブレイディ? 元の姿に……」

「ああ。薬の時間切れじゃないよ。原点回帰オリジン・リグレッション。自分の意思で元の姿に戻れるスキルさ」


 そう言うとブレイディはアイテム・ストックから別の薬品を出した。


「本当なら鳥の姿のまま薬が使えればいいんだけど、それは難しいからいつでもワタシ自身は元の姿に戻れるようスキルを実装しておいたんだ」


 ブレイディはそう言うと薬びんを手に僕の前にしゃがみ込む。


「鳥のまま建物の中に入るのは不自然だからね。ネズミにでも化けるか……」


 ブレイディがそう言いかけたその時、彼女の頭上に人影が踊った。


「危ない!」


 僕は咄嗟とっさに鳥の体でブレイディの肩に体当たりを浴びせた。


「うわっ!」


 ブレイディは驚いて後ろにひっくり返り、そのすぐ手前に人影が降り立った。

 キンッという金属音が鳴り響き、その人物が刃物を振り下ろしたことが分かり僕はゾッとした。

 そしてすぐ間近で見るその人物の姿に僕は息を飲む。


「……なぜ人間がここにいる」


 抑揚のない声でそう言ってブレイディを見据えているのは、僕らがつい先ほどまで追いかけていたはずのせ悪魔だった。

 な、何でここに?

 せ悪魔は手に握っている禍々まがまがしい装飾の施された鈍色のナイフの刃をブレイディに向ける。


 ブレイディは青ざめた顔ながらもせ悪魔をしっかりと見据えている。

 その目に赤い光がわずかににじむのを僕は見た。

 そうか。

 まだ彼女は視覚録画を続けているんだ。


「へえ。よくここが分かったね」


 努めて平静な口調でそう言うブレイディにせ悪魔は鋭い眼光を向けた。


「人間の臭いはすぐに分かる」

「なるほど。君って嗅覚が鋭いんだね。それってスキルか何かなのかい?」


 ブレイディの口調はあくまでも落ち着いているけれど、その表情に余裕はない。

 それはそうだ。

 彼女は懺悔主党ザンゲストのメンバーとは言っても戦闘要員ではない。

 刃物を持った悪魔を前に抵抗するすべはないんだ。

 僕は何とかブレイディを逃そうとせ悪魔の顔の近くで必死に羽ばたく。


 ブレイディ!

 今のうちに逃げ……。


「邪魔だ」


 あうっ!

 せ悪魔に手で払われて僕は強い衝撃とともに地面に落下した。

 う、うぐぅ……。

 眩暈めまいで頭がクラクラして全身がしびれたように動かない。

 揺れ動く視界の中でせ悪魔がブレイディの首をつかみ、その顔にナイフを突きつけているのが見える。


「女。貴様何者だ? どうやってここに入ってきた? あの鳥は伝書用か?」

「ううっ……し、質問が多いなぁ。あの鳥は野生の鳥だよ。野鳥を乱暴に扱うなんて悪い奴だなぁ。あ、キミ悪魔か」


 苦しげな表情ながらそれでもナメた口調を崩さないブレイディだったけど、悪魔はその拳でブレイディの腹を突き上げた。


「うぐっ!」


 ああっ!

 ブレイディ!

 彼女は苦悶に顔をゆがめてその場にうずくまってしまった。

 な、何てことを……。


「カハッ! ゲホッ! ゴホゴホッ!」

「俺の質問にだけ答えろ。次は拳じゃなくてこいつを腹に突き刺すぞ」


 冷然とそう言い、せ悪魔はナイフの切っ先をブレイディの腹部に向けた。

 くっ!

 このままじゃブレイディが!

 強い危機感に襲われたその時、僕は体の中にムズムズとした奇妙な感覚を覚えた。


 こ、これは……。

 僕は自分の体に起きた変化の正体をすぐに悟った。

 大きく見えていたブレイディとせ悪魔の姿がどんどん小さくなっていく。

 すなわち僕の体が大きくなっているんだ。


 そう。

 ブレイディの薬の効果が時間切れとなり、僕はハヤブサの姿から元の人間の姿に戻っていったんだ。

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