第2話 雨のニセモノ世界

 ハヤブサになった僕は思いのままに翼をはためかせて上昇を続ける。

 空を自在に翔けるための力強さが僕の体中にみなぎっていた。

 そんな僕の視界の先には先行して飛ぶ鶴の姿がある。

 僕はかなりの高度の空を越えて雲に突入し、真っ白い視界の中でかすかに見える鶴の背中を追った。


 天界ってどんなところなんだろう。

 天国の丘があんなに綺麗きれいな場所だったから、天界はもっととんでもなく美しい場所なんだろうな。

 そんなことを考えながら飛び続け、やがて僕は雲を抜ける。

 その雲を抜ける瞬間に僕は急に空気が変わったような奇妙な感覚を覚えた。

 

 何だ?

 それはとても微細な感覚で、僕は目の前の景色が大きく変わったことに気を取られてすぐにその感覚を忘れてしまった。

 雲を抜けた途端に広がった光景が、僕の想像を大きく上回るスケールだったからだ。


 遥かな上空の高み、雲の上に巨大な円形の大地が浮かんでいる。

 そしてその大地すべてが一つの都市で構成されていた。

 外周の縁に沿って数メートルに及ぶ外壁に囲まれたその都市は、中心部が丘になっていて、外壁に向かって緩やかな下り坂が続く丘陵都市だった。

 そして丘の上には都市全体を見下ろすことの出来る白亜の城が立てられている。

 都市は全体的に整然と区画されていて美しい光景だったけれど、僕は寒々しい印象を受けた。

 それには明確な理由がある。


「誰もいない……」


 そう。

 空から都市を見渡してみても人影ひとつ見当たらず、動くものは何もない。

 まるで文明だけを残して人が忽然こつぜんと消えてしまったかのようだ。


「ゴーストタウンみたいだ」


 その殺風景な様子に僕は何だか薄気味悪い心持ちになったけれど、先行する鶴に続いて静かに宙を滑空かっくうし、都市の外壁近くにあるコンクリートの地面に降り立った。

 先に降り立っていた鶴のそばに近付くと、鶴は初めて僕に話しかけてきた。


「やあアルフレッド君。しばらくぶりだね」


 鶴が話したそれは人の言葉だった。

 そして僕はその声に聞き覚えがあった。

 

「ブレイディ。やっぱり君なんだね。久しぶり」


 そう。

 思った通り、目の前にいる鶴は懺悔主党ザンゲストのメンバーである科学者の少女・ブレイディだった。

 砂漠都市ジェルスレイムで彼女に世話になったことが昨日のことのように思い出される。


「どうだい? ワタシの薬の効能は。前よりもすんなりと動物の生態に順応できただろう? 日々研鑽けんさんを重ねて薬を進化させるのは科学者の務めであり、喜びなんだ」


 ブレイディは嬉々としてそう語る。

 確かに翼を羽ばたかせて飛ぶという鳥の動作を僕は何の苦もなく行うことが出来た。

 まるで昔から鳥として生きていたかのようにごく自然に。

 そう考えると彼女の薬は相当に進化しているんだろう。

 それにしても相変わらずこういう話をするときのブレイディは嬉しそうだ。


「おっと。そんなことより我が主から聞いていると思うけれど、ここからはワタシが君のガイドを引き受けるよ。よろしく」

「こちらこそ。それでブレイディ。僕は何をすればいいの?」

「ジェネットから行方不明事件のことは聞いてるね? 実はワタシたちのゲームからこのゲームに参加して行方不明になったのは2名。その2名はその後、無事に保護されたんだけど自身がどうして行方不明になったのかは何も覚えていないらしい。それから我が主は2名のログを解析してみたんだ。それは何者かによって巧妙に消去されていたんだけど、復元プログラムを使ってね」


 そう言うとブレイディは後方を振り返って無人の街並みを指差した。


「するとどうやらその2名は、この場所に一定期間留まっていたことが判明したんだ。すでに聞いてると思うけれど、ここは下界の天使たちが足を踏み入れることの出来ない場所だ。名目上は神の鎮座する場所だからってことになってるけど、実はこのゲームのシステムを司る場所なんだよ。このゲーム全体を人の体に例えると、ここは脳だね」


 ブレイディの話に僕は思わず眉を潜める。


「そ、そんな場所に僕らが軽々と踏み込んでいいの?」


 僕の言葉にブレイディは悪戯いたずらっ子のような笑みを浮かべた。


「ダメに決まってるさ。ワタシら不法侵入者だよ。ま、アルフレッド君は脱獄犯だし、今さら不法侵入なんてどうってことないよね」


 あるよ!

 人を極悪人のように言わないで下さい。


「けど心配しなくていいよ。今ここはまともに機能してないから」

「どういうこと?」

「とりあえず飛びながら話そうか。今から向かう場所に着けば、この場所に起きている問題が一目で分かるから」


 そう言うとブレイディは僕を先導して再び宙を舞う。

 天樹を抜け出した時によく晴れていた空はいつの間にか分厚い雲に覆われ始めていて、今にも雨が降り出しそうだ。

 そんな曇天どんてん模様の空の下、僕らは街の中を抜けるような低空飛行で進んでいった。


「こうして誰もいない街を行くっていうのも、ディストピアチックで悪くないよねぇ」

「そ、そうかなぁ」


 な、何だかブレイディは楽しそうだ。

 僕は緊張してそれどころじゃないってのに、彼女は饒舌じょうぜつに語り出す。


「全ての人類が滅んだ後、世界に生き残ったのはブレイディとアルフレッドだけだった。なんつって。うひぃ~! 世界に男がアルフレッド君しか残されていないなんて、女としてはキッツい状況だと思わない? ふむ。困ったな。そうなったら子孫を残すという本能を優先すべきか、それとも女としての感覚を尊重すべきか」


 いや、それを僕に直接言うか普通。

 陰口は陰で!

 心の声は心の中で!


「そ、それにしてもジェネットとアリアナは大丈夫かなぁ。ミランダもまだ見つかってないし」


 他のみんなのことが気になって僕はついそうこぼしてしまう。

 3人とも僕なんかよりずっとしっかりしてるし、ジェネットとアリアナには神様もついていてくれるから心配ないとは思うんだけど……。

 そんな僕を慰めるようにブレイディは言う。


「ここに来る前に我が主から連絡があったよ。ジェネットもアリアナも静かに牢に入ったままだってさ。今のところ追放処分にはなっていないみたいだ。まあそう心配しなさんなって」

「え? 神様と通信できるの?」


 僕たちはこの世界に入ってきた時、外部はもちろん、仲間同士でも通信が出来ないように仕様を変更された。

 それはあくまでも僕らがこの天国の丘ヘヴンズ・ヒルにとっての部外者であるためだ。


「君たちは正式な客だからね。コソコソとぎ回ることが出来ないよう用心されているんだろ。その点、ワタシらは招待状のない客だ。コソコソし放題だし、通信だってフリーパス」

「それって客と言わないでしょ」


 僕は思わず苦笑した。

 だけどジェネットとアリアナの状況が分かるのはありがたい。

 あの2人は強いし、神様がついていてくれるなら大丈夫だろう。

 問題は……。


「ブレイディ。ミランダの状況は分からない?」


 行方不明のミランダはまだ安否すら分からない。

 僕の問いにブレイディは首を横に振る。


「ミランダ嬢はまだ位置捕捉できていないんだよ。ワタシたちのゲームには戻っていないようだから、ゲームオーバーにはなっていないはずなんだけど。今、シスター・エマとアビーが彼女の足取りを追っている」

「あの2人もこっちに?」

「ああ。ワタシと同じく非正規の客としてね」


 2人の名前に僕は驚いた。

 エマさんとアビー。

 2人はジェネットやブレイディと同じ懺悔主党ザンゲストのメンバーで、僕は前回、砂漠都市ジェルスレイムで2人にもお世話になった。

 アビーは獣人・犬族の少女で、エマさんはジェネットと同じくシスターだった。

 

「あの2人がミランダ嬢を見つけ出してくれることを祈りつつ、ワタシたちは自分の仕事をしようじゃないか。どちらにしろこの街の中に入った時から外部との通信は不可能になるから、現時点ではもうワタシは誰とも連絡が取れないんだよ」

「え? そうなの?」

「ああ。何しろここは……おっと。とうとう降り出したぞ」


 そう言うとブレイディは頭上を見上げる。

 重苦しく垂れこめる雲から堪え切れなくなったように雨のしずくが落ち始めた。

 ポツリポツリと羽毛に弾かれる雨粒が少しずつ降り注ぐ中、ブレイディーは僕を先導して飛んでいく。


「そ、それにしても、こんなふうにノンキに行動して大丈夫なの? 本当に誰もいないにしても、監視カメラとかに見つけられちゃうんじゃないの?」


 僕は何となく不安でビクビクしていた。

 今もあの角にある建物の陰に誰かが隠れて聞き耳を立てているんじゃないかと思ってしまう。

 だけどブレイディは平然と道の真ん中を低空飛行で進んでいく。

 

「ま、仮に監視カメラがあったとしたらワタシらの姿もバッチリ映っているだろうね。でも今ワタシらは鳥だし、ただ鳥が飛んでいるとしか見られないよ」

「そ、そう。それにしても天界って想像していたところと違うなぁ。天国の丘ヘヴンズ・ヒルとは大違いだ。どうしてここには誰もいないんだろう」

「それはね、ここがエラーによって生み出された裏の世界だからさ」


 鋭い眼光を帯びた目を無人の街並みに向けながら、ブレイディはそう告げる。

 彼女の言葉に僕は眉を潜めた。


「裏の世界?」

「そうさ。ほら見えてきたよ。アルフレッド君」


 そう言ってブレイディが首を伸ばした先にあるのは、丘の中腹に位置する建物の間にある狭い路地だった。

 両側を2階建ての建物に挟まれた薄暗いその路地に目を凝らした僕は、その中に奇妙な光景を見た。


「んんっ?」


 路地の十数メートル先にはもう一本向こうにある大通りが見えているんだけど、そこには多くの人々が行き交っていたんだ。

 皆、ビシッとした法衣を来て背すじをピンと伸ばしながら、一様にせわしくなく歩いている。

 そして彼らの頭の上には天使であることを表す光の輪が二段になって浮かんでいた。

 ライアン主任と同じ、上級天使の証だ。


 ここは無人じゃないのか……い、いや。

 何かおかしいぞ。

 雨がポツリポツリと振り出しているこちらとは違って、向こうは陽の光に照らされた晴天模様だった。

 こちら側と向こう側ではまるで雰囲気が違っている。


「な、何で向こう側だけ……」

「向こう側が本物の世界だ。こちらはニセモノってことになるね」


 そう言ってブレイディは我が意を得たりと笑みを浮かべた。

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