#031:精密だな!(あるいは、光の闇の/意識の狭間の)
「異世界が
自分から「異世界」とか言い始めた、いまや完全な泥酔者と変貌した
本当にあかん。今日はちゃんと隣同士の二部屋を
実に、「80,400¥TB」もの
そんなこんなで酒場で豪遊気分ですきっ腹からがんがん強めの酒で攻めたのが、先の知れ切った失策であったわけで。だが
自身も頭から足元まで覚束ない状態ながら、酔っぱらいの帰巣本能とでもいうべき絶対技能を以ってして、ようよう今夜の宿まで辿り着いた。のが5分ほど前。2階の部屋まで階段という、物理的段差と格闘しながら、もうこちらに全身を預けてくるようになった軟体をなるべく触れないようにしながら、上へ上へと押し上げる作業に徹して部屋のひとつまで何とか行き着いた。のが2分ほど前。
大枚2枚を
心底心地よさそげな誘惑を、これまた鋼の自制心で振り捻じり切ると、肩に担いでいたネコルをベッドに腰かけさせてから、ゆっくりと横倒しにしてやる。本当にむにゃむにゃと言い始めた満足そうな寝顔を見て、掛布団を肩まで引き上げてやるが。
刹那、だった……(と言うほどでもないか……もはや刹那中毒なのか……
「……」
右手首を、いつの間にか握られておる……それも酔っぱらい特有の、加減を知らない力の入れ方で。
勘弁してくれよ……と本当に声に出てしまいながらも、俺は猫科由来と思しき相当長鋭い爪が静脈らへんに結構食い込んでいることに戦慄を覚えながらも、左手を使って丹念に一本いっぽんを引きはがそうと苦心する。が。
「ふみゅー♪」
酔っぱらい猫女は、そんな上機嫌そうな声を上げると、屈んだ不安定な状態の俺の首へと、今度は左腕を巻き付けてきやがったのであった……!! バランスを崩した俺は、つんのめるようにしてベッドに横たわるネコルの胸元へとダイブしてしまうわけであって……
「……!!」
瞬間、時間は止まる……沈み込むような柔らかさを有したその渓谷は、俺の顔全体を優しく温かく包み込むように、甘き破滅へのトバ口まで誘おうとするのであった……
崩壊危機。だが、限界まで研ぎ澄まされそして増大したかに思えたそこで、俺の
そこにあったのは、泣きたくなるほどの安堵感だったからだ。
……嗅覚触覚に覚えは無えが、何だか母親の胸に抱かれているような、そんな気分が酔った頭と体に染みわたっていくようだったから。
「全能の安心感」、そんなものがあるというのなら、これがまさにそうなのだろう……もういいか。例えこのまま一緒に寝こけてしまったとて、何事も起こらんと当然言えるのだから。だが、
「ネコルは……お前はあの時の……」
心地よい体温に包まれながら、朦朧としながらも、そんな問いが、つい口をついて出ちまうのだが。俺は何を言っている?
「『全能』ですから。『全能』なんですよぅ……」
その答えのような、答えじゃないような声。俺の背中をとんとんとあやすように叩きながら、ネコルのそんな遠くで鳴る波音みてえな声が聴こえてくる。起きてたのかよ。いや……ここに至るまで、全部が全部、フリだったのかもしれねえな……
急に脳の奥底らへんが冷えてきた。
この「異世界」での諸々、それは、孤独に死んでった俺へ、「俺」からの、魂の
……猫を、助けようとしたからじゃなかったか。
記憶の立体ジグソーパズル(そんなものがあればだが)から外れていた……いや無理やり外してぐしゃぐしゃに握りつぶしていた
自然と元のかたちへ元の場所へと戻っていくのを、奇妙なイメージのままに感じている。
アスファルトの路面から立ち昇る陽炎に巻かれながら。一匹の痩せ猫がふらふらと路上を無防備に歩いてはいなかったっけか。
あぶねえっ、と近づいた俺に気付いて、水をかけられたかのように凄い勢いで、何とか向こう側の歩道に吹っ飛んで逃げていけたんじゃあなかったっけか。
結局それは助けたことになったのか、なってなかったのか、俺があそこで踏み出さずとも、案外器用に車を避けて何事もなかったんじゃあねえだろうか。それは分からない。
急な動きで立ち眩んだか、履いてたサンダルがずる滑って無様にすっこけたか、ともあれ結果、俺は車に撥ね飛ばされ、死んだ。
であればこれはやはり夢じゃねえか。あるいは幻覚か。死ぬ間際の色々を盛り込んだ「幻想」。騙されてたってわけか、他ならぬ俺に、いや、俺の……大脳に。
プラスそこに何らかの「意思」みてえのが、よそから介入したのかも知れねえ。あの時の「猫」の意思? そいつもまあ信じられないことではあるが、「異世界転生」よりはまだしも現実味があるんじゃねえか? あるいはそれ込みで、全ては俺の脳のオーバーヒートがもたらしているものなのかも知れねえ……
だから
定まらない思考とは別に、急速に自分の体温が失われていくような感覚が襲って来た。身体が、冷たい。血液の流れが滞っているかのような、末端から、痺れ、冷え、固まっていく、かの、よう、な……
「銀閣さんっ」
ふいにはっきりと聴こえてきたのは、ネコルの呼ぶ声だった。俺の、俺の名前を呼ぶ声だった。
甘い香りの、温かい胸元から、顔を上げる。そこには、酔いなど、どこかにうっちゃったかのような、柔らかな微笑みがあって。
「……夢じゃないです。夢みたいですけど、夢じゃないんです」
説得力の
「夢じゃ……ねえのか……幻でも……ねえんか……」
俺の口から出たのは、確かに声帯を震わせながら発せられたのは、そのような言葉であった。
「元の世界には戻れませんけど、ここにあるのは確かな
相変わらず説得力は無かったものの、五感に感じてきた諸々は、確かな確からしさであった。
「今まで生きてきた『世界』と少し異なっても、異なるからこそ『異世界』なんです」
言葉遊びみたいな気もしないでもなかったが、俺の両頬を包むようにあてがわれたネコルの掌から伝わってくるのは、確かな熱なわけで。
「貴方は、この世界を救うべく、私が選んだ……勇者サマなのですっ」
浮世離れ感はただならなかったが、その奥に潜んでいるかのような、
迷うな。迷ったら多分終わりだ。肉体は死ななくとも、精神が死んじまう。そんな思いはもうたくさんだ。
俺の、俺の為に、俺は為す。
「邪神を倒す」ことが、差し当っての「目的・目標」ならば、とりあえずそれを為してやる。
それが、こんな俺を選んでくれた、
そっから先のことは分からねえ。だが、この「世界」で生きていくことに、さして違和感を覚えていない俺は確かにここに在る。だったら。
「……都合よく、いけんだろ? だったら乗っかるぜ。まあ『全能』とはとても言えねえ神サマのお役に立てればまずは良しってなもんだ。そこからの事は、そこから考える。そいつはずっと変わらねえ。変わりようも無かったことだったんだよな……腑に落ちた。すとんと肚底にようやっと落ちていったぜ……」
俺にしてはつらつらと言葉を連ねるが、それは少し涙ぐみながらも潤んだ瞳を笑みのかたちにしてこちらを見上げてくる破壊力の凄まじい
歪みっ放しの顔面の俺を見据えながら、だから「全能」ですってば……とこれまた笑みを含んだ言葉を紡ぎ出してくるその唇に、目線は吸い寄せられっ放しだ。やっぱりこれか、この流れに飲み込まれんのか。何だったんだよ俺の先ほどまでの苦悩じみた逡巡はよォァッ!? この思わせぶりっこめェェェェェッ!!
「『全能』の証明……しましょっか?」
心の奥底で絶叫しようが、この場を統べる「
リミッターはとうの昔に吹き飛んでいる。そこにさらに的確に追い打ちをかけてくるのが、コイツだ。もう俺は分かってきた。分かってきてはいるんだが……ッ!!
「『全能』……キスして……っビィム……」
抗う術は、俺には無かったわけで。
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