今日越えて
それからは、今まで隠してきた惨たらしいこの世をありったけ見せました。戦場にも連れて行き、仕事もまかせます。私が見てきたのと同じ、わがままで盲目的な決して愛する事のできないこの世を見せるのです。
けれど貴女はその目に映る全てのものを愛していたのだと、今なら分かります。私のしたことが間違っていたのだと、今なら分かります。
愛の先にしか、悲しみは在ってはいけなかったのに……。
「右目と共に行き、蛇使いを殺せ」
そうすれば蛇使いの口車に乗せられた両国の戦は終わります。
貴女は力強く返事をして走っていきます。
「有能な軍師の首を取れ」
そうすれば力に怯えた王様の戦は終わります。
俯きながらも貴女は確実に成長していきました。
「一人前の戦士だ」
そう声を掛けると弱弱しく微笑むので、私はまだ足りないのだと思ったのです。
シャンシャンとぼたん雪の降る日、私たちは通りかかった村人に呼び止められました。
「お久しぶりでございます。以前、旅の王様に助けていただいた村の者です。おかげで多くの命が救われました。どうか寄っていって下さい、美味しい酒をご用意いたします」
私は村の人たちの酒宴に貴女を連れて行きました。
「旅の王が戻られたぞ!」
「我らの尊き旅の王様、もう二度と会えぬと思っておりました」
「助けていただいたおかげで、息子も無事に成人いたしました。今は獣医の仕事のかたわらで、棒術の稽古をしているのです」
貴女は最初、とても誇らしげな顔をしていました。村人たちに紹介すると、貴女はあっという間に酔っ払いの中へ流されていき、肉だ魚だと厚く歓迎されているようでした。
私は久しぶりの酒に酔っていました。
「あれから、あちらの国では家臣たちが集団で自害したと聞きました」
「なんでも姫君が狂ってしまわれて、無理難題を言いつけていたとか……」
「条件はどっちも同じなんだ、あっちが自分たちの尻拭いが出来なかったってだけの話なんだから、仕方ねぇよ」
「王様、どんどん飲んで下さい。それから今夜はこのまま泊まっていって下さいね、だから酔いつぶれても平気ですよ。たまには息抜きもしないと」
昔は酒豪だった自覚があるのですが、だいぶ弱くなってしまったようで、だから……私はかなり酔っていたのだと思います。私は貴女を愛していますから、稽古や最近の戦場では怪我もしますが、本当は貴女に傷一つ付けたくないのです。心だって綺麗なまま、あの滝の上で初めて会った時のように、ひたすらに悲しみを抱く月のように美しくあってほしいと願っているのです。黒い瞳は引き込まれそうなほど純粋な黒で、白い肌はいくらか焼けてしまいましたが、足と腕には艶っぽく筋肉がつき、その頃は乳房が大福餅のように膨らんできていました。よく自分でキュッと噛んでしまって赤い唇から血を流していましたが、それさえ見ていたら胸が痛むほど貴女には無傷で、綺麗なままで居てほしいと願っているのです。
だから私は酔っていたのだと思います。その時までは貴女に注ぐ悲しみの量をちゃんと調節していたのに、つい止めが利かなくなってしまったのです。溢れるほどの目薬を差すかのように、痛み止めを飲み続けてしまうかのように、私は際限なく貴女に悲しみを注げば、それだけ早く会えるような気がしてしまったのです。
私は貴女に言いました。
「私は一人の男を殺してこの村を守った。例えば戦があのまま続き、大勢の村の人間が死ぬ時、きっと私に殺された男は勝利と共に生きていただろう。どちらにしても戦は終わる。多くを守るのなら一つを守ることはできない。一つを守るのなら多くを守ることができない。話し合いは無意味だ。支配する立場の人間同士はわがままを言うから決して話は纏まらん。不利な話になればまた力、武力、戦だ。分かるか? 人殺しにしか守れないんだ」
残念ながらその時の貴女の表情は覚えていません。その話をした場所すら曖昧です。けれど貴女に吐いた言葉は感情の形そのままでしたので、間違えなく覚えています。これ以上は言ったらいけないと何となく感じていたのですが、口と感情が馬鹿になって止めようがありませんでした。
やはり人間と言うのは、最終的には感情を越えることは出来ないのでしょう。
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