有為の奥山

 出会ってから五年、貴女が十三の夏のことです。

 紫陽花は枯れ、代わりに蓮の花が蕾を開き始め、蝉の声が耳に響く季節、ここ何年かはその頃になると自分の体の衰えを感じていました。もちろん、旅の王として生きてきて身につけたものには自信があって、若く経験の浅い戦士たちに負ける気はしませんが、かつての自分と比べると情けなく感じます。夏の日射しに頭がくらくらして息が乱れ、刀はいつもより少し重く、道のりは予定の半分ほどしか進みません。

 すると貴女は自分の分の水を差しだします。その姿があまりに健気で、私はつい意地の悪いことを考えました。

 蒔いた種がなかなか芽を出さないのなら、きっかけを作ればいいのです。

 私はいつも通り貴女を一人きり残して戦場に向かいます。いつも通り仕事は影や腹、それから新人の左手、左足を率いて十人で行います。そして、わざと怪我をして帰るのです。できれば足から盛大に出血しているのが理想です。誰かが私を暗殺しようと追ってきて、兵たちに用事を言いつければ絶体絶命の出来上がりです。

 その日は全てが私のおもわく通りに進みました。私は右足のつけ根あたりをザックリ切られ、いつもは近くをうろついている影にさえ用事を言いつけると、一人で貴女のもとへ帰ります。どうやら敗戦が決定的となった国の戦士が2人、後を付けてきているようでした。

 気付かないふりをして帰りつき、貴女の前で座り込み、弱音を吐いてみせます。初めての状況に戸惑いながら貴女は治療をしようとしたのですが、追って来ていた二人の戦士が動きました。

「玻璃! 刀を抜け!」

 本当は二人を地面に叩きつけるくらいは出来たのですが、それでは意味がありません。私は動くことさえ辛い怪我を装いながら一人の腹に刀を突き刺します。貴女はと言うと、五年間もの鍛錬の日々の賜物か、あまりにも勇ましく、鳥が飛び立つように、いとも容易くもう一人を斬りつけたのです。血の量や悲鳴、倒れる時の様子から死んでいることは明らかでした。風のない、ジンジンと陽が照りつける日、汗を滴らせながら寒気を感じました。

 蒔いた悲しみの種が芽を出した瞬間です。

 私は貴女を気遣うことさえ忘れて喜びに浸りました。蕾をつけろ、花を咲かせろ、夏の日射しに焼かれ凍てつく冬を越えるからこそ花は美しいと聞きます、早く会わせておくれと願いながら、私は笑っていたのではないでしょうか。

「……無事、でしょうか……」

「ああ、玻璃。お前が守ってくれたから私は無事だ。ありがとう……立派になったな」

 私は気を付けて、出来る限り優しく、一番ひどく貴女の心を抉る言葉を選びました。


 初めて自分の手の中で死を感じた貴女は何を思っていたのでしょうか。私が若様を殺した時、私の手の中にあった感情は虚しさでした。その黒髪や白い肌を血が流れて落ちても、貴女は両手で刀を握りしめたまま動けないでいます。そのまま黙っていたら、可哀想に震え出してしまいました。

 もしかしたら貴女は悲しみに囚われて、今すぐにでも美しく咲いてくれそうに見えます。けれど少しだけ、まだ足りないのでしょうか……年相応に震えるだけで、美しくはないのです。理由は分かりませんが、きっとまだまだ足りないのだと私は結論づけました。

「おいで、お前は優秀な私の生徒だ。よくやってくれたな」

 もう血まみれの右足さえ気にならないくらい舞い上がっていたので、立ち上がり貴女を抱きしめてやりました。

 足りないものは何でしょうか……貴女の中に見えるものは、不安、恐怖、おそらく優しい貴女は罪悪感を抱いているかもしれません。私と同じ虚しさを感じることができたでしょうか、守ると言う行為は貴女を閉じ込めてくれるでしょうか。

「守るという事は、巡り巡って誰かの死につながる。今のこんな世の中では仕方がない事なんだ。お前が気に病む必要はない」

 貴女は考えたのでしょう。守るという言葉の意味を、死にたくなるくらいに。それは若さの特権ですから、きっと考えたでしょう。

 それらを越えて、どうか美しい花を咲かせて下さい。先の短い私のために。

 そんな事を考えていました。


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