散りぬるを


 貴女をさらってしばらくは九人の兵に指示だけしておいて、私は貴女と、戦場から距離のある町に宿をとっていました。

 貴女には旅支度だなんだと言ったと思いますが、本当はただ、悲しみに囚われた美しい貴女を眺めていたかったのです。私を酷い男だと思うでしょうね。

 けれどこの感情はおそらく本能ですから、どうしようもありません。

 聞いてみると貴女は八歳でした。湿気た匂いのする雨降りの日の静かな宿で貴女が動くたび、薄い氷が割れるような幻が見えます。割れる音、切なさ、儚さ、愛おしさ、その全てが貴女で、雰囲気はとても八歳とは思えません。

「私は、命を拾っていただいたのですね」

 突然ぽつりと言うので、私は答えに困ってしまい目をそらしました。ありがとうございます、と言って黙り込んでしまうと、雨の音しか聞こえません。しとしと雨が悲しみに囚われた貴女の美しさを強調していました。

「お前を傷つける気はない。目の届くところで自由にしていなさい」

 やはり私はこんな事しか言えませんでした。けれど貴女は花の匂いを連れた蝶のように単純に微笑むのです。

「王様、大好きです」

 その時からもう悲しみの色は見えなくなりました。初めての涙すら嬉しそうに、明日を夢見た顔で流すので、さっきまでの悲しみに囚われた妖艶な少女とはまったくの別人です。

 悲しみの花は散ってしまいました。

 あっけないもので、もう少女は美しくなくなってしまったのです。酷く美しかった少女はただの子供になってしまいました。

 なぜか私は迷子の時のように寂しく感じました。酷いのは貴女です。


 子供というのは本当に単純で、悲しみの色が見え隠れする事はありましたが、もう美しいといえる程ではありません。貴女はいつも私のそばを歩き、言いつけを守り、失敗はするけれど私のためにと言ってよく働きました。命を助けてくれた大好きな王様だそうです。

 どうしてなのか、貴女の笑顔は温かく太陽のように純粋で残酷で、可愛らしいのですが私の胸は躍りません。どうして虚しさが拭えないのか、最初は分かりませんでした。

 分からないまま、私は戦場の近くまで貴女を連れて行くようになりました。影に貴女のお守りをさせて自分は戦場で仕事です。胸くそ悪い景色ですので、まだまだ貴女には見せられませんし、とても聞き分けが良いので文句も言わずに待っているのですが、時々なにをしても駄目なほど泣き止まずに困る事がありました。

「おかえりなさい」

 大抵はそう言って迎えてくれます。貴女がそう言うときの笑顔は水面から顔をのぞかせる人魚姫です。それが、待たせすぎたり怪我をして帰ったりすると、私を睨みながら泣くのですが、その姿は微笑ましく、見ていて幸せを感じるものでした。

ある時、ほんの一時だけですが、滝の上で出会った時の、悲しみに囚われた美しい少女の顔をしたことがありました。

 戦が一つ終わり、次の戦場を求めて歩き出した二日目です。

 その時に終わらせた戦は、どちらの国も諦めが悪く引き分けという結果は頭にないので苦戦させられましたが、無駄な死がどんどん増えるだけですので、私は様々な策を講じて終わりを演出しました。けれど戦は長引いて、ふた月ほど経った頃ようやく終わりを迎えました。今回は兵のうち二人、左手と左足が行方不明です。こういう時、生きている可能性は低いと分かっているので私たちは先に発つ事にします。

「また戦場に向かいますか?」

「ああ」

「王様の命は大事です……」

「けれど止めなければ戦士たちは、わがままな主の死の号令から逃れられないぞ。あの日のお前と同じだ、玻璃」

 言わなくてもいい事を、わざと口に出しました。それでも貴女は私の期待した表情をしてはいませんでしたので、また諦めて前を向いたのですが、近づいてくる馬の蹄の音が聞こえました。音からして、かなり早く走らせているようです。

 念のため腰の刀に手をかけ、音のする雑木林を睨んで待ちます。

「何が旅の王だ、侮辱しやがって! あんな終わりは認めない!」

 飛び出すなりそう叫んで襲い掛かってきた若い戦士を、思わず斬り殺しました。貴女のことを想うと体が勝手に動いたのです。傷一つ付かないようにと。

 初めて貴女の前で人を斬ったので純粋に心配になって、しゃがみ込む貴女を振り返ります。悲しみに囚われた貴女が美しいのであって、貴女を大切に思う心は別ですから。

 貴女は最初、真っ白な顔で震えていました。私が、出来る限り優しい声で大丈夫かと聞くと、頷いて固く目を閉じてしまいます。

 それから、ビクビクと目を開けた貴女はすっと涙をこぼし私を見つめます。その時の貴女は、悲しみに囚われた美しい、妖艶な、あの滝の上で出会った少女だったのです。突然の再開に、喉を締め付けるほど激しく胸が躍ります。可哀想な白い兎のような貴方は、ほんの少し動くことさえ出来ないで、どんどんと悲しみの色を濃くしていきます。

「ありがと、ございます……」

 そう言って俯いたまま、何やら物思いにふけっているようでした。私は無口な方でしたので会話が無いことは気にならず、二、三日の間、待ち望んだ美しい少女を眺めました。

 けれど四日目に悲しみは急激に薄らいで、五日目の朝はなんの変哲もない子供です。

 あの感情を色欲と呼んでいいのか分かりませんが、欲望を抑えることは困難です。私はまたあの少女に会いたくて仕方ありません。

 考えて、考えて……私は貴女の心に悲しみの種を蒔くことにしました。見ず知らずの戦士の死が悲しみの少女を呼び起こしたのなら、ただ私と共に歩く世界の悲しみは計り知れないでしょう。それなので私は貴女に刀を持たせました。

いつか同じ景色を見て、貴女が悲しみの花を咲かせますように。

「玻璃、この世は自分勝手だから、その刀で守り、生きなさい」

 貴女は無邪気に、王様を守りたいと笑っていました。種は蒔かれたばかりですから、今は無邪気でも、いつか悲しみの花が咲いた時、もう一度あの妖艶な少女に出会えますように。

 そして、私だけが慰める事のできる貴女であればいい。

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