何度も語る
小林秀観
色は匂へど
これは真実の物語です。失くしてしまった貴女に、何度も語ります。
今の貴女は現在、過去、未来のどれも、美しかったその目に映してはいません。過去がつくり出す貴女が大好きでした。その黒髪、黒い瞳は月明かりに焦がれる新月の闇空のようで凛として切なく、林檎のように赤い唇が白い肌によく似合っています。貴女の愛は母の歌声のように嫋やかで、海よりも、空なんかよりもずっと大きかった。だからこそ、この星は貴女を愛しています。
雨は貴女のために見なくていい物を隠すように降りますし、花は貴女を慰めるために咲きます。雪は一時でも、貴女にどうにか愛されようと美しく降り積もり、虫たちは昼夜を問わず貴女への愛を唄います。どうか信じてください、私の全てを嫌悪する事があっても、この言葉だけは信じてください。
貴女は月です。私は貴女の光に照らされながら、貴女に触れられぬ烏です。
私の言葉を聞いてください、そして思い出して下さい。理不尽なこの星を、貴女は愛していたはずです。
「王様のお顔が見えなくなりました」
目の前に立つ貴女はそう言ったのを最後に、言葉を失いました。
貴女との出会いは七年ほど前。
戦ばかりの世に生きて、戦が何よりも嫌いな私は、戦を終わらせる為に何人かの兵を連れて戦を終わらせる旅をしていました。人間はきっかけさえ与えれば無意味な戦を終えることが出来るのです。
私たちはお互いに名乗ることはなく、兵とは簡単な呼び名をつけて呼び合っていました。右手、右足、左も同じように二人いて、右目、左目、背、腹、影と九人いました。彼らと共に一つ終わらせるために戦えば、次の戦場を探して旅をする。そんな事を続けているうちに私は旅の王と呼ばれるようになりました。
国土を持たない旅の王がやって来て戦を終わらせる。
そんな風に生きて、髪にだいぶ白髪が目立ち始めた頃、龍神様が住むといわれる滝の近くの村に立ち寄りました。兵たちは普段は姿を見せずに別行動をしているので、私は一人で滝の上に向かいます。私に信仰心はなく、ただ、落ち続ける水の音が爆発音や金属音を消してくれるのではないかと思ったのです。水の匂いのする石段を上るのですが、誰が造ったのか几帳面に大きな石の隙間を小さな石で埋めて、でこぼこの少ない綺麗な石段でした。
しかしその先で、私はこの世に存在するどんな物よりも美しい少女に出会いました。
崖の端、落ちそうな辺りに座っていた少女は十歳に満たないとは思いましたが、滝を見つめているのか、うつむき加減で淡藤色の晴れ着を着せられ、その姿はあまりに妖艶です。息を吸い込むように静かに少しだけ近づくと、真っ赤な唇は微かに震え、瑞々しく煌めく瞳はこの世を哀れむ、あるいは憂いているように見えました。泣いてはいませんでしたが、底知れない海のような悲しみが、その表情から溢れているのです。
私は年甲斐もなく胸を躍らせました。少女は触れることさえ躊躇われる薄い硝子細工のようで、色とりどりの悲しみを、雪が降り積もるようにその身に纏っているのです。私の拙い言葉で感じていただけるでしょうか、その美しさ、切なさ漂う魅力を。
その幼い手がそっと地面に触れ、さらりと私を振り返ると何かを言いますが、声は水の音に消えてしまいます。聞きたくて踏み出したところで、少女が壊れてしまうのではないかという不安から動けないでいると、真っ黒な長髪を揺らしながら近づいてきました。
硝子の膜が転がるように、頼りなげに歩いてきます。
私がしゃがむと、悲しみを纏った美しい少女の顔は目の前です。
「なにか御用でしたでしょうか」
「何をしている?」
激しい鼓動を少しでも落ち着かせようと必死でしたので、私はおそらく無表情で、冷たい声音だったでしょう。
「ひと月の間こうして龍神様と語らいの時を重ね、十六夜月の晩に嫁入りするのです」
視線をそらして話す少女は今にも消えてしまいそうです。何より、少女は分かっているようでした。そこにあるのは何の変哲もないただの死であると。
こんなにも美しい女を見たことがありません。彼女が幾重にも纏う悲しみが、女児を女に見せているのです。しかし、それだけでは無いはずです。悲しみに明け暮れる女なら嫌になるほど見てきました。私は旅の王、戦場を生きてきたのですから。
「私は旅の王だ。お前をさらう」
どうして口をついて出る言葉はこんなにも薄っぺらなのでしょうか、もし私にもう少し勇気があって文を書く事が出来たなら、とめどもなく湧き出す賛辞を書き連ね、嘘や偽りのない真っ直ぐな愛を伝えられたのに。
けれど私に勇気はなく、不愛想にさらった少女が貴女です。
貴女は震えていませんでした。さらわれても震えることなく、涙すら流さない貴女は強く見えるはずなのに、やはり淡藤色の晴れ着と悲しみが繊細すぎる、神経質ともいえる美しさを匂わせていました。
得体のしれない美しさの虜です。
それから、貴女に対しても私は名乗りませんでしたし、名も聞きませんでした。そして呼び名を玻璃に決めました。
「玻璃?」
「それがお前の呼び名だ」
なんとも一方的な私に対し、貴女は鳥が遠慮がちに鳴くような声で返事をしました。
どれほど不安な表情をしているだろうかと思ったのですが、貴女はまだ悲しそうに滝の方角を見ながら呟くのです。
「龍神様、ごめんなさい」
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