第122話 魔導フィッシング


 倒壊する建物群の中央、突き立った長大な一本の黒杭のうえに、うら若い美しい少女が降りたった。


 ふわりと自然法則を無視していた蒼髪が、へたりと肩に流れかかる。


「あら、エゴスにサリィじゃない。どうしてこんなところにいるのかしら。あなた達はエールデンフォートにいると、聞いていたのだけれど」


 愛らしく首をかしげ、年端もなく唇に人差し指をあてる仕草。

 中身ババアなんだから、勘弁しろ……と、普段なら勧告しただろうが、今はとてもそんな気分にはなれない。


「エールデンフォートと、ローレシアを行き来する手段なんて、プラクティカ様ならいくらでも考えつくでしょう」


 警戒をおこたらない。

 杖を持ちあげようとする手にはいる力。

 額には汗がにじむ。


 ああ、なんという圧力。


 あんなに気さくな人だったのに、その愛嬌の裏に非常な魔術師の顔をかくしていたと思うと、恐ろしくて恐ろしくて、とてもかなわない。


 それが、彼女自身の意思でないとしても、今まで付き合ってきたその関係すべてで、

 いつでも俺を殺せる、そんな事を考えていたのだとすると……あぁ、なんて恐ろしいんだ。


「どうしたのサリィ、そんなに恐い顔して? それにエゴスも表情が硬いわね。久しぶりの再会だと言うのに」


 やけに平坦な声だ。

 落ち着いていると言えばそれまでだが、この場においてその声調は、不気味さにしかなり得ない。


「パティオ殿! はやく悪魔を!」


 エゴスの叫び声が響く。


 司会の端っこで炎柱が燃えあがり、それが悪魔の無尽蔵の魔力放出によるものだとわかると、事態はもう変化しているのだと、嫌でもわからされた。


 パンッ、と鼓膜につんざくほどに、勢いよくエゴスは手をたたき、一呼吸の間にプラクティカの足首へ糸を走らせた。


 達人の早業に、プラクティカは一瞬驚いたように目を開く。


「奥様、ご容赦くださいませ!」


 怪力が糸を引き、プラクティカの体がはるか遠方へとぶん投げなれた。

 エゴスは彼女の相手をするべく、そのまま戦場を離脱していった。


 パティオはエゴスが危機を排除するや否や、全力の強走で悪魔に接近、杖を軽くふり、炎柱を一枚外側から重たい水でかこって消化しにかかった。


 すぐさま鎮火した、悪魔の拘束具へ思いきり聖杭を突きたてるパティオ。


「っ、面倒だな」


 あと一歩、ただそれだけで決着がつくと言うのに、遠方の空から、直線軌道で投擲される巨大な黒杭に、悪魔への接近を邪魔されてしまう。


 ーーぱギギィ!


 黒杭に注意を奪われるわずかの間、今度は悪魔を拘束していた、岩の鎖が死んでいく。

 

「鉱物の急熱、急冷は感心しませんねぇ」


 悪魔は三日月の口を醜悪に拡張し、ホロホロ崩れる拘束を、完全に脱して、すべてを振りだしに戻すべく地上を走りだした。


「逃すか」


 ふわりと膨らむ魔力の層。


 風の刃が、無限軌道を描いて悪魔の背中をつけ狙う。

 だが、悪魔はタイミングよく振りかえり、指を鳴らすだけで風属性魔力を打ち消してしまう。

 

「想定内だ」

「おや、これはーー」


 パティオは自身の魔法が、打ち消されたことにまゆひとつ動かさず、俺の方へ視線だけむけてきた。


 悪魔の近くの空間座標におくった、俺の魔術式に期待にしてるのか。


 火属性二式魔術≪発火炎弾はっかえんだん


 魔法は式とおり発動し、何もない空間を強力な爆炎に包みこんだ。


 衝撃を受けて、吹き飛ばされる悪魔。

 笑顔で笑っているが、通常人類なら骨すら残らない火力と衝撃力だったはずだ。


 やはり、悪魔は通常攻撃が効かないらしい。


 エゴスの糸なら切断できていたが、血も流さず、綺麗に元どおりになるあたり、それも本質的なダメージにはなっていない。


 物理も魔法も効かない。


 そのくせ、高度な魔力と吸血鬼を殴りとばすフィジカルを備えているときた。


 800年前、ある男が人類の敵わない生物群をそうじて、「怪物かいぶつ」と呼びだしたという。


 俺は、ようやく怪物というものを知ったのかもしれない。


「まっ、人類が勝てない、なんて全然思わないけどな。≪風打ふうだ≫」


 アホらしくくるくる回転する悪魔を狙い撃ち。


 悪魔に俺の風魔力が届いた瞬間に、着弾した魔力の指向性を書き換えて、大気圧のまゆに捕獲する。


 そのまま、魔力コントロールで地上へ引きずりおろしーー何かが飛んでくる。


「っ」


 高速で飛翔してきたそれ。

 悪魔を包む風の繭に、黒杭がぶっ刺さった。

 

「ひ、酷いことしますねぇ、ワタシも痛んですけど……ゔぇ!」


 当然のように悪魔の腹に穴を開ける黒杭は、その尻部が紐付けされた釣り竿だ。

 杭は、魔術言語が刻まれた先端を、バカッと開かせて、かえしを展開すると、勢いよく飛んできた方向へ引かれていく。


「逃すな、引っ張れ!」

「言われなくてもわかってる!」


 怪腕の魔術で、師匠の大杖と、ティナから預かった短杖を思いきりひき、悪魔を持っていかれないようひき止める。


 パティオもすぐさま加勢してくる。


 しかしーー。


「なんて馬鹿力だ!?」

「ヒィ、搭載してる、魔力の器が違いす……ぁあ!」


 パティオが前かがみにコケるのに巻き込まれ、ドミノ倒し的にバランスを崩してしまう。


 踏ん張っていた魔力の糸は、たまらずはちきれ、悪魔が向こうの空へと飛んでいく。


「ワタシからのプレゼントです、あっは!」


 悪魔は指を鳴らし、乾いたいい音を響かせた。


 途端、俺たちの足元から危険な魔力のうねりを感じとる。


 いちはやく鮮やかな後転で回避するパティオ。

 やや遅れ、俺は前転でもって危険地帯から離脱。


 すぐのち、地面が内側から弾け、真紅の爆発で、あたりに溶けた瓦礫を撒き散らした。


 体制を立て直し、空を仰げば、杭に引かれ、こちらへ手をふる悪魔の姿はずっと遠くなっていた。


 俺とパティオは一も二もなく、即座に駆けだした。

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