第120話 古典魔術≪身代わり≫


 胸部を穿たれ、背中から黒槍がはえる。

 否、それは槍というには短く、そして太すぎる。


 鋭利よりも、丈夫さに重きを置かれたその黒いものは、くいと呼ぶのがふさわしいだろうか。


「うが、ぁがぁあああッァア!」


 全面に不可思議な言語を、紅光とともに浮かび上がらせる杭先が、ゆっくりと地面へおりてくる。


 時間の密度が著しく低いなかでの出血。


 本来ある超自然的な法則をゆがみから、術者は自分の身を守るための策を講じる。


 古典魔術は、それらの安全装置をこみで完成された古典の神秘知識がもたらした傑作魔術だけを集めている。


 だが、出血はまずい。


 これは≪時間歪曲じかんわいきょく≫に限った話ではないが、自身を個として、

 まわりの環境とは違うものとして仮定、発動する魔法の最中に、出血すると、自分と外側との境界が曖昧になりやすいのだ。


 ゆえに、術者の予期せぬ事態が、極めて高い確率でおこる。


 時間の密度がだんだんと増していき、世界が加速していく。


 どうやら制御できなくなるまえに、魔法を解除したようだ。


 しかし、参った。

 悪魔には時間概念の操作が効かないなんて、誰が気づけるんだよ。


 俺の切り札のひとつを、隠すために動かなかったのだが、これではパティオが無駄死になってしまう。


 火属性二式魔術≪汝穿なんじうが火弾かだん≫。


 色を完全に取り戻した世界を、紅の槍が抜けていく。


「無駄だと言うのにーー」


 最後まで言葉を紡がせずに、シニカルに微笑む悪魔の体が、ふたたび建物群をなぎ倒して、瓦礫のなかへ消えていく。


「ゴブふ……っ」


「あぁ……クソ、パティオ先生、戦いを早まり過ぎですよ、なにいきなり突っ込んでるんですか」


「ぅ、ぐ、ぁ……私の、アク、マが……ッ」


 血の泡たまる口端がわずかに痙攣するも、パティオの傷は致命的だ。


心臓が穿たれているかわからないが、それでも拳ほどの太さの杭が胸に穴を空けているのだ。


 これは、もうーー助からない。


「ーー私は……あの、あ、先、生を……ッ、必ず、そのため、に、頑張って、きた……のに……っ」


「……なに?」


 手の施しようがないパティオの傷。

 それは疑いようもなく致命の一撃だったはずだ。


 いいや、違和感はそこじゃない。

 ありえない現象は、俺の手のなかの存在が、だ。


 俺の手のなかの消えかけていた命。


 それは、俺の認識を越えて、いつのまにか幼い少女の命へと変貌を遂げていたのだ。


「ティナ……っ!?」


「へ、変態、さん……先、生は、どこ…で……ーー」


 もはや光をなくした双玉は、せまる影に怯えて揺れる。


 だけれど、最後のその瞬間まで師の存在をさがす。

 なんという健気なのか、もう終わるとわかっていないのだろうか。


 いや、違う、それでも、なのか……。


「大丈夫、パティオ先生は、このサラモンド・ゴルゴンドーラが、必ず……だから今は、ゆっくりと休むといい」

 

「はぁ、ぁ……ぁ、り、がとう……」


 ティナは細く長く、息を吸い、最期の命をつかい、空気を震わせた。


 胸の奥につっかえる、反吐がでそうな不快感。


 ティナの懐からこぼれ落ちた杖ををひろう。


 使い古された、よい杖だ。


 俺はぐっと怨嗟を飲み込み、努めて冷静に、黒い杭に、彼女の短杖の先端を押しあてた。


 ーーピキキィィッ


 固形物を構成する魔力構造、その難解な術式を紐解いて、俺は杭を自然の円環のなかへとかえしていく。


 チラチラ光る黒い煌めきが舞うなか、俺はまだ温かいティナの体を、阿鼻叫喚に染められた市場へと横たえた。


 遠くで誰かが戦う音が聞こえる。


 魔感覚をなでる、高度な魔法の連続詠唱。


 それを迎え撃つのは、魔術式も詠唱も使わず、魔法発動のための触媒として、杖すらも中継しない、まったく異なる理論の異界の神秘。


 パティオ、悪魔と単騎でやりあえるほどの魔術師。


 いままで、まるでパッとしないよう、目をつけられないよう大人しくしていたんだろう?


 だが、もうお前の魔術師としての等級は明らかだ。


 やつもまた、俺とおなじ領域の魔術師だ。


 やつは俺がどうしても修められなかった、古典魔術≪身代みがわり≫、

 信頼と才能ある魔術師の、尊厳と肉体とを引き換えに、現実を書きかえる暗黒の儀式を行えるのだ。


 厄介な奴と知り合ってしまった……な。


「痛たた……やれ、あの悪魔め、さすがは異界の鬼といったところですな」


「エゴスさん、無事でしたか。かなり強烈に吹き飛ばされてましたけど……」


 エゴスは内ポケットから予備の白手袋をガバッと取り出し、破れたジャケットを脱ぎ捨てながら歩みよってくる。


 すぐに足元で眠る少女に気づき、彼は俺の顔をいちべつして、静かにめいもくした。


「なんと残酷な……。今戦っておられるのはパティオ殿ですか……?」


「えぇ、複雑な気持ちです。彼は彼の目的があるみたいですけど、その目的のために、平気で俺たちを騙して、魔力を使い、そして、内弟子までも自身の高等魔術の生贄に使うなんて……現代魔術の普及者として、そして何よりも、人として、とても容認できない」


「同感ですな。やれやれ、どうしてこう厄介な物事は連続するのでしょうかな」


 首を鳴らし、眉根をひそめるエゴスは深いため息をついた。


 死の悪魔の撃破。

 そして、無名の大魔術師パティオの捕縛。


 現状、俺たちがやるべきことは2つ。

 大きな大きな、困難だ。


 やれやれ、本当に困ったものである。

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