第119話 もうひとりの悪魔召喚者
「エゴスさんは悪魔をお願いします」
穴の空いた壁の向こう、何軒かさきの建物まで開通した吹き抜けを指さす。
ただいま出来たばかりの裏口から、迅速に執事が出ていくのを横目に、壁に背をあずける男にむきなおる。
「パティオ先生……なぜ、あなたが悪魔の召喚を?」
「なぜ……? 他人の興味なんて理解できないものですよ。説明したところで、そこに意味なんてない」
耳の痛い話だ。
「ふむ、では質問を変えます。どうして俺たちに嘘をついていたんですか?」
「ただ否定されるから言わなかっただけですが?」
「パティオ先生、あなたは死の悪魔の手先ですか?」
「……? 訳の分からないことを……私は、ただ、あの悪魔に因縁がありましてね、どうしても会う必要があった、それだけです」
パティオは疲れたようすで、壁から背を離し、グッと背を伸ばした。
「正規の手段では、あの悪魔との邂逅すら叶わない。僕は……このパトゥル・オリナは、あの悪魔を殺す手段をすでにもっている」
「っ、それって、まさかーー」
「この日のために二十年準備してきた……あの老人、吸血鬼でしょう? どちらにせよ、余計なことせずにさがらせた方がいい。ゴルゴンドーラ先生もそこで見ていてください、これは英雄の戦いじゃないですから。……ティナ」
パティオはシャツの袖をまくしあげながら、手に持った杖で瓦礫をひょいと浮かしてもちあげる。
「けほけほっ、先生、まさか、いきなり成功させるとは、思いませんでした……っ、けほ」
「すべて予想外の『
パティオは髪をかきあげ、こちらへ向きなおる。
その顔は、ひどく寂しげで、嬉しげで、優しさを知らない人間が、人生ではじめてひとの温かさを知った、そんな顔をしていた。
「その様子だと、ゴルゴンドーラ先生も
「?」
何を言っているかは、わからない。それに目がうつろで焦点が合っていない。とても正気とは思えない。
だが、話を聞いているかぎり、彼から敵意は感じない。
俺たちが死の悪魔に思いを寄せているように、この男、パティオもひとりで悪魔に至ろうとしていたのだろうか。
聞かなくてはいけないことは山ほどある。
だが、今は火急のとき、目的は同じだ。
部屋から廊下へと出ていく少女と、その一方で壁の穴から外へと出ていく青年。
俺は迷いなく青年の背をおった。
穴から外へ、通りにそって立ち並ぶ屋台やら、家やら、すべてなぎ倒したさきーー。
爆発音とともに、天高く土煙柱が立ちあがる。
数十メートルさきの地面からつたわってくる、その振動はもはや地震と相違ない。
「はは、さすがは吸血鬼、悪魔を一方的に殴り倒しますか」
やや人が変わったような彼は、天高く舞いあがった黒い影を見あげて、素晴らしい、と笑う。
これが素なのか、それとも吹っ切れたのか。
やれやれ、まえのパティオに戻って欲しいな。
悲鳴が支配する市場を、恐怖と驚愕にさらさられた人々が逃げまどう。
「っ、あれは」
空中に舞い上がったその影へ、地上から伸びる赤い軌跡。
それは、中空をアホのようにくるくる回る影に追いつくと、ピンと張りつめて、舞い踊る影を捕まえた。
影はそれ以上、どこかへ飛んでいくことを許されず……瞬く間に、地上へと引きずりおろされ、視界から消えてしまった。
同時、ふたたび大きな土煙柱が高く、高くのぼって、足元を浮かす衝撃波が石畳みわりながら駆け抜けていった。
どうやらエゴスの方が優勢らしい。
さっきからバカスカ土煙が、昇りまくっていることを考えれば、きっと悪魔の体は崩壊寸前に違いない。
いくら死なないとは言っても、あれだけの攻撃を受ければ、五体満足とはいかないだろう。
逃げる人並みにさからって、主戦場にたどり着く。
「っ」
目の前のパティオが、突然横っ飛びにローリング。
遮られていた正面から、何かが飛んでくる。
古典魔術≪
脚力を一時的にたくましく、顔のすぐ横をぬけていく、その質量を回避。
だが、俺の目は見逃さない。
すれ違うそれが、苦痛に顔を歪める執事であることを。
「≪
厳かなトリガー詠唱によって、空気中の魔力が
密度が失われていく、慣れた感覚に同調して、俺もまた同様の魔法を発動していく。
「ヒヒ……きた来たぁ、ぁ……ッ!」
パティオは希薄され、蔑ろにされた時間の流れのなかで、ゆっくりと歩き、胸元から何かを取りだした。
「やれあの棺を紛失した時は、どうなるかと思ったが、こうして間に合ったんだ。よしとしよう」
彼が手に握るソレは、薄緑色に淡く光をはなつ、数十センチほどの
微力な魔力を感じるが、それだけだ。
それが強力な魔道具なのかと聞かれれば、きっと違うと答えるだろう。
しかし、パティオの自信に満ちた表情と、時間が窒息しかける世界で、ただ直立する悪魔へ突き立ててやろうとする、その表情がなによりも手に握る杭が、ただの建築材でないことを教えてくれる。
あれが聖遺物。
悪魔を殺すための、唯一にして絶対の手段。
幸か不幸か、プラクティカに会うまえに、彼女にとって最高の手土産を持っていけるかもしれない。
俺はきたる幕引きを期待して、ほくそ笑み、悪魔と相対するパティオへエールを送る。
「私の勝ちだ。お前はもう死んでるんだよ」
パティオは淡く光りをまとう聖遺物を振りあげた。
その時、不思議なことがおきた。
1秒後に振り抜かれる、致命の杭はーーパティオの胸を貫いていたのだ。
「……ぁ?」
何が起こったのか、まるでわからなかった。
ただ、わかることは、俺の知覚を越えた殺人劇があったことだけだ。
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