第116話 老骨の傍観者

 

 四方八方へ流れる水流に逆らって、膝までの深さの水たまりを、ジャブジャブしぶきを上げながら、ひた走る。


 いた、ようやく見つけたぞ。


 両断され、水圧に押しつぶされた噴水のうえ……何かのオブジェのように、海老のごとく反り返り気を失った老人。


「何寝てるんですか、ほら、さっさと帰りますよ」


 俺はあたりで誰も見てないことを確認し、びしょ濡れのその老人を担ぎあげた。



 ⌛︎⌛︎⌛︎



 紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。


 真夜中、いまだ人影ある宿屋のエントランスホールの待っていると、ひとつの影がちかづいてくる。


「ハーブティでございます、サラモンド殿」


 老齢の執事ーーエゴスはカップを俺の目のまえに置いて、向かい側に腰をおろした。


「ありがとうございます、エゴスさん……気分はどうですか?」


「快調、とはいきませんね。なにせ久々にあれほどの『血式魔術けっしきまじゅつ』を使いましたから、軽い貧血を起こしているようです」


 エゴスは弱気に微笑み、窓のそとへ視線をずらした。


 血の魔術。

 伝説の吸血鬼たちが使用する呪われた闘争術か。

 途中から、もしやとは思っていたが、やはりエゴスは吸血鬼、あるいは吸血鬼の血をひいた存在らしい。


「外が騒がしいですな」


「だいぶ派手にやりましたからね。あぁ、そういえば、宿屋から離れたのは、俺の魔法被害を見越してのことですか?」


「ははは……いえ、まさか」


 薄く笑い、カップ口もとへ。

 エゴスは熱で口を湿らせ、こちらへゆっくりと向き直った。


「して、サラモンド殿、まずは感謝を。わたくしめに掛けられた、悪魔の秘術の解術、まことに見事でした」


「いえ、なんか、エゴスさんの体調に応じて強度に触れ幅のある呪いだったらしいです。

 かの怪物かいぶつに強制力を働かせる魔法なので、何かしらの欠点があるとは思ってましたけど、案の定でした」


「だとしても、悪魔の魔法に挑める魔術師など、エゴスの両手で事足りるほどしかおりませんでしょう」


 エゴスは両手を広げて、にっと笑い、疲れたように肩をおとした。


「それでは、エゴスさん。死の悪魔とプラクティカ様ついて話していただけますね?」


「はい、このエゴス、すべてを話しましょう。しかし、お忘れなきように。わたくめは、事の当事者ではなくあくまで傍観者であって、彼らの思惑の底を知らないと言うことをーー」


 エゴスは前置きして、スッと腕を持ちあげた。

 新たな白手袋を着た指が擦られ、乾いたいい音を鳴らす。


 同時に、わずかな魔力の波動を感じた。


「ほんの減音効果がある、血式魔術けっしきまじゅつを使わせていただきました。……では、改めまして、サラモンド殿。

 まず、死の悪魔……かつて、パットと名乗っていた彼と、奥様の出会いを語るには、半世紀まえにさかのぼります。

 当時、奥様は無名の魔法使いでした。いえ、もちろんあの頃から、天才であり、極めて優れた魔術師ではありましたが、奥様は名声というものに興味がなかったのです。


 ただ、ひたすらに難解なるこの世の摂理を紐解き、魔術をもちいて、空の法則にたどり着くこと目指しておられたのです。


 しかし、同時に奥様の体は人間の限界に差し掛かっていました。人のことわりに縛られたままでは、研究を完遂することができない、そう思われた奥様は、いつしか気が触れてしまいました。

 そして、当時は論理的、人道的観点から禁忌とされていた、不老不死の研究に傾倒していったのです。


 わたくしは吸血鬼です。わたくしは、この特異なる神秘の体を、奥様の研究に差し出しておりました。……いまにして思えば、愚かなことだったと、間違いなく断言できます」


 エゴスは一息つき、懐から何かを取り出した。


 真っ黒に鈍く光る、夜空を切り取ったような柄のロザリオ、白手袋と対照的な色ゆえ、その邪悪さは清さをむしばんでいるかのようだった。


「触らぬように。これは『悪魔あくま破片はへん』です。もはやなんの力も宿ってはいませんが、かつては若かった頃のエゴスが、吸血衝動をおさえるために身につけていました。

 これはパットと名乗った青年から恵まれたものです。が、ご存知のとおり、彼は悪魔でした。もちろん、はじめて会った時は、そうとは知らなかったのですが……。


 不老不死の研究に難航する奥様をみて、エゴスは考えたのです。奥様と、エゴスにとって信頼おけるパットを引き合わせることを。

 わたくしを血の呪いから解放してくれた彼ならば、きっと何か力になってくれる……そう信じていたのです。


 彼はこころよく、意欲的に奥様の研究に協力し、その成果として、奥様の肉体を若返らせることに成功しました。いえ、それだけではありません。奥様は歳すらとらない、生命の息吹満ちあふれる、不老の体を手に入れられた。

 奥様のお姿は半世紀前より、ずっとかわらず今のままなのです。


 パットは研究の成功を祝い、すぐに姿を消してしまいました。次に彼が現れたのは、実にいまから13年前のこと……奥様がお嬢様をお腹に宿し、しばらくしてのことでした。


 昔と姿の変わらない、彼との再会を奥様はたいへんに喜ばれました。わたくしめも嬉しかった、かつての恩人がまた会いに来てくれたことが。

 この時、ちょうど原因のわからない体調不良に悩まされていた奥様は、自分の体にガタが来ているのだ、とエゴスに教えてくれました。


 奥様は気がつかれていた、肉体年齢をとめようとも『たましい磨耗まもう』をとめることができないことを。つまり、不老の肉体を手に入れることは可能でも、それは永遠の寿命を約束するものではないという、こな


 そのせいか、彼との再会をきっかけに、奥様は耳の痛い提案をなされました。なんと奥様は、まだお腹になかにいらしたお嬢様に、転生術の刻印を印つけると言いだしたのです。


 エゴスはこの時、奥様の悲願を知っておりました。そしてその原因が、生まれながらにして不死身であるエゴスにあることも知っていました。不老不死の怪物である、このわたくしが、どうして主人の生への執着を否定できましょうか。


 わたくしは、お嬢様が誕生するまえに、すでに忠義を尽くすべきお嬢様を見捨てていたのです。ろくでなし、でしょう。


 しかし、どういうわけか奥様は直前になって、お嬢様へ魂の移しかえをおやめになった。

 パットが死の悪魔を名乗りはじめたのも、ちょうどそのころです。お嬢様が産まれたのもまた同じ。


 何かが起こった、あるいは変わったのです。その大事はわたくしの知るところにはありませぬ……ですが、確実に言えることもあります。

 死の悪魔は、このエゴスを呪い、まさしく数刻まえまで使役しておりました。なぜ、エゴスなのでしょうか。エゴスだけなのでしょうか」


「……そんなわけがない、ですか」


「えぇ、語るまでもなく、おそらく奥様は死の悪魔の強い影響下にあるのでしょうな」


 エゴスは疲れた顔でカップに手を伸ばした。


 約50年も昔から、プラクティカは死の悪魔と、共に不老不死の研究をしていた。

 なんとも胡散臭いが、話が真実ならば、プラクティカが若過ぎることの説明はつく。

 死の悪魔はプラクティカのことを『不老の魔術』と言っていたのは、そのせいか。きっと本当に歳を取らないのかもしれない。


 だが、まだわからない。

 どうして師匠は死の悪魔に狙われていたんだ……師匠の友人であるプラクティカを、師匠は助けようとしていた。

 プラクティカが俺に何の助言もしてくれないのは、エゴスと同様に死の悪魔の影響下にいるからか?


 だとしたらーー。


「そうか、そういうことか。師匠は死の悪魔の支配から、プラクティカ様を救おうとしていた……間違いない。だから、死の悪魔のパペットであるイチゾウは、師匠を襲ったのか……っ」


「どうやら、答えが出たようですな。サラモンド殿のお師匠と奥様にどのような関係があったか、わたくしめは存じ上げませぬが、

 奥様が頼れるだれかに、自身の救済を託していたことは十分に考えられます。なにせ、このエゴスも使い物になりませんでしたから」


 ああ、違いない。

 ローレシア校長を務める、プラクティカ・パールトンほど偉大な魔術師が、助けを求める相手は、当時帝国史上最高の天才とうたわれていた『四属しぞく魔術師まじゅつし』いがいにありえない。


 見えてきたぞ、この俺の背負うべき使命が。

 果たすべき、亡き師から引き継いだ最後の仕事が。


「エゴスさん、レティスお嬢様とアヤノさんをお願いします。俺は……俺は、今すぐにローレシアに帰らなければいけなくなりました」


「……そうですね、このエゴスの呪いを打ち消した手前、死の悪魔がどんなアクションを取ってくるかわかりませぬ。早めの帰還をしたほうがよろしいでしょう」


 頼れる執事の許しをへて、俺は部屋へと戻り、荷造りをはじめた。


 師匠より継承した大杖を手にとり、部屋をでる。


 すると、部屋の前で待つ、やや背の高くなったアヤノと目があった。


「エゴス様から話を聞きました。火急の用でローレシアへ帰られるそうですね」


「えぇ、はい。アヤノさんとエゴスさんには迷惑をおかけしますが、何卒、残りの研修期間中、お嬢様をお願いします」


「はい、もちろんです。用が済んだらすぐに帰ってきてください。私ひとりではお嬢様は手にあまりますので」


 ん、アヤノひとり?


「サラモンド殿、では、参りましょうか」


「っ、エゴスさん……」


「おや、なにを驚かれているのですか? まさか、家庭教師ひとりに行かせるとでも、お思いになられましたか? 

 このエゴス、長らく止まっていた時間が、ようやく動きだしたのです。じっとなどしていられるわけがありません。共に参りましょう」


 エゴスは先ほどより、いくばくか色のよくなったしわ顔に笑みはり、執事服の腰にたずさえた一振りの剣をひと撫でした。



 ⌛︎⌛︎⌛︎



 とある路地裏。

 そこに店を構える、陰湿な男の店のなか、石造の床に堂々と巨大な魔法陣を描いていく。


「エゴス…ずいぶんと都合よく、うちの店を使ってくれるじゃねぇか…うちは情報屋だっつてんだろ…」


 小鬼ような男、吸血鬼のエンディング・デスプルネットは忌々しそうにカウンターに頬杖をついて、壁に背をあずける執事へ、睨みをきかせた。


「別に構いはしないでしょう。ここを訪ねてくる客などいはしないのですから」


「チッ…間違っちゃいねぇが…やれやれ、転移魔法陣なんざ、面白いもんじゃなければ、即刻のお引き取りを願ったのによ…」


 悪態をつきながらも、その声音から不機嫌さは不思議と感じられない。


 どうにも、本心から出てる言葉じゃないらしい。


 と、そうこう吸血鬼たちのやりとりを環境音に、魔力触媒で作られた金貨数枚相当のチョークを使いきった。


「完成した。これでローレシアの工房と繋がったはずです」


 地面で淡くひかりを放つ、活性化した魔法陣のなかへ足を踏み入れる。


「お見事です。まさかこんなに早く描き切るとは。エンディング、偉大な英雄と知り合えてよかったじゃないですか。感謝してくださいね、サラモンド殿をここへ融通したのは、このエゴスなのですか」


 執事は魔法陣へ足を踏み入れながら、エンディングへ手をふった。


「やれやれ…魔法陣ができたなら、さっさといっちまえよ。床を掃除したくてたまらねぇ…」


「ふむ、素直じゃない人ですな。……では、サラモンド殿、参りましょう」


 おざなりに手をふるエンディングに、薄くわらいかえし、俺は足元の魔法陣を起動させた。

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