第114話 血線術


 ゆるやかに流れる時間。


 ひらけた空間での乱暴な使用は、我が身を滅ぼす最短距離だが、時にはそうしないといけない時もある。


 その点、この古典魔術は使い勝手よく、無理が効く。


 まわりに見える赤い線の包囲網。


 視覚と魔感覚を凝らさなければ、死の空間が広がっていることに気づけなかっただろう。


 風属性二式魔術≪風刃ふうじん


 切断能力の高い魔法を、まわりに乱発しておき、エゴスへ向かっては水属性魔術で生成した、魔力伝導率の高い、操りやすい水をすべらせておく。


 この間、2秒。


 俺はすぐに時間をもとに戻して、水のなかにエゴスを閉じこめる。


 空中の糸がパラパラと、細切れになって落ちていくのを横目にほくそ笑みながら、俺は水中で苦しそうにもがくエゴスに、さらなる水圧をかけていく。


 呪いの解除には、まずエゴスを無力化する必要がある。


 いまは苦しいと思うが、我慢してもらおう。


「っ」


 油断なく魔力をコントロールする俺の魔感覚が、右手前よりせまる、死の気配を感じとる。


 倒れこむようにすばやく死の反対側へ前転。


 振りかえり、自分のいた場所をみると、そこには不自然な傷が地面についていた。


 何かで鋭利なもので引っ掻いたような、ただひたすらに直線をえがく、無機質な跡。


 しかし、不思議な気持ちを抱くのも一瞬。


 すぐに同じ色をした、死の気配が、四方八方縦横無尽にせまってくる。


 怪腕の魔術により、全身の筋力を強化。


 グンタネフ王国より受け継いだ武の体さばきで、ひたすら避ける、避ける、避けるーー。


「っ!」


 激しく身をかわすさなか、頭の片隅で、エゴスを抑えていた水魔力の圧が溶けていき、魔法とのつながり崩されていくのを感じとった。


 俺の魔力の伝導率より、エゴスの魔力の伝導率のほうが高くなっているらしい。


 髪の毛をかすめ、毛先を数ミリ切断ーー集中力が高まり見せてくる時間の遅くなった世界で、

 エゴスへ視線を投げれば、彼を拘束し圧迫していた水塊が、赤く濁って公園の石畳みを、まっかに染めているのがわかった。


 月の明かりを照らした池面には、全身を赤く濡らした黒執事が息を荒く、たたずむ。


 俺も地にしっかりと足をつき、一息。


 交わる視線……ん、気のせいか、エゴスの青い瞳が真っ赤になっているように見える。


「サラモンド殿! ご容赦くださいませっ!」


「っ!」


 一拍置いて、エゴスはぐっしょりと濡れた手のひらをすばやく叩き合わせ、大きく開いた。


 右手の指と左手の指、それぞれの五指を繋ぐ、赤い線がたゆみーー刹那、わずかに上下にぶれたと思うと、暗闇に残像を残して消えてしまった。


 だが、魔法の速射をとらえる鍛えられた俺の動体視力が、まっすぐに向かってくる赤線をとらえる。


 身をひるがえし、間一髪回避する……と同時に、鼻先を高速で通り過ぎる赤い光をまじかで目でおう。


 やはり間違いない。

 視認困難な攻撃の正体は、糸だ。

 なにやら赤い糸が、意思を持つように襲いかかってきているのだ。


 だが、意図にいったいどれだけの威力があるというのだ。


 試してみることにした。


 だが、俺がわざわざ試みる必要はなく、攻撃が直線軌道にして、絶対にあたってはいけない、致死性の攻撃だと知るのに、さしたる時間はかからなかった。


 地面と垂直に、まっすぐ向かってきたソレを避けると、背後の噴水が綺麗に両断されてしまったせいだ。


「はぐ!?」


 凄まじい破壊力に、びっくりして舌を噛みそうになる。


 魔力の気配は薄く、魔法界屈指と自称する魔感覚を用いても、その接近を完全にとられるわけではない。


 もはや、意味をなしていない水塊の魔力コントロールを手離して、バックステップで距離をとる。


「見たことのない、すごい魔法だ……いったい何の術なんですか?」


「それも言えませぬ。ただ、どれだけ魔術の才があろうと、これだけは真似できないとだけ、伝えておきま……しょうッ!」


 呪いによる言葉の制限。


 せまる糸の腹に、中杖の先端を合わせる。


 タイミングをミスれば命はない。


 だが、俺ならやれる。


「……っ、ここだッ!」


 カウンター魔法≪反撃効果はんげきこうか≫ーーその魔法は心の中で唱えたのと、ほぼ同時、ロスタイムなく発動して赤い糸のたゆませて威力を打ち消した。


「っ、なんと……ッ!?」


「なんだと……?」


 威力の死んだ糸をじっと見つめて、つい驚愕の感情を溢してしまう。


 エゴスも何やら驚き硬直しているので、その隙にもう一度、距離をとることにする。


 両断された噴水をはさんで執事と家庭教師。


 まずいな、あの赤い糸、ただのの塊じゃない。

 魔法による攻撃ならば、土属性魔力で構築された鉄鋼でさえ、弾き返せるのにそれが出来なかった。


 つまり、あの糸はエゴスの技術だけで操作されていることになる。


 聞いたこともない戦い方、見たことない魔法。


 恐ろしい怪力と練度……本当に人間か?


 嫌な予感が脳裏をよぎる。


「まさかエゴスの緋糸あけいとをとらえるとは…うぉ見事でぃじゅじぉ!


 エゴスは称賛をおくりながら、赤い糸を歯で噛み、固定しながら、不思議な軌道で手を動かした。


 右からせまる鞭のようにしなる糸の先端。


 鋭く、短く、≪汝穿なんじうが火弾かだん≫で撃ち落とす。


 切断以外にもさまざまな芸を持っている。


 出来れば傷つけたくなかったが、もはや時間の猶予はないのかもしれない。


「エゴスさん、すみません」


 古典魔術≪時間歪曲じかんわいきょく


「っ、サラモンド殿、それはーー」


 広々とした空間の時間密度をさげ、きしむ足を踏み出してエゴスに寄る。


 そして、俺は短杖をかたまるエゴスにむけて≪風打ふうだ≫を詠唱。


 魔力量は調整した、死にはしないはずだ。


「エゴスさん、あまり恨まないでくださいね……」


 一言謝りながら、魔法を解除しようとする……と、その時ーーエゴスはわずかに体をのけぞらせた。


「っ! 動きーー」


 希薄された時間が正常な密度を取り戻したと同時に、エゴスの体は暴力的大気圧をうけて、凄まじい速さで、吹き飛んでいった。


 ーーバギィンッ!


 凄まじい音がして、植え込みの木をへし折ったエゴスの体は、そのまま近くの金属製の魔力灯に激突した。


「あぁーッ! エゴスさんッ!?」


 完全にやりすぎた。


 痛烈な後悔の念よりはやく、俺の体は弾かれるように、倒れた彼のもとへと急行する。


 まずい、まずい、まずい、まずい!


 今のは平気で人が死ぬ音がした!


「エゴスさん!」


 倒れる老人にかけより、うつ伏せの体を抱き起こす。


 その瞬間、俺の視界は方向をデタラメに、ふいの衝撃に襲われた。


 ーーピキキっ


 宿屋で掛けておいた防御魔法の一部が、悲鳴をあげて砕け散っていくのがわかった。


 自然へと還りゆく魔力の粒子たち。


 俺はふらつく体でなんとか、バランスを取り戻して、まっすぐにその人物を見据える。


「サラモンド殿、その程度では、このエゴス、


「嘘だろ……」


 俺はやや砕けた疑惑ある、頬の骨をさすりながら、普段よりずっと大きくて強靭にみえる執事の評価をあらためた。


 この人、やっぱり人間じゃないかもしれない。

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