第19話 熱中症

 失礼かもしれないが、大きな声を出そう。

 俺は戸を開けながら、

「ごめんくださーい。」

 と、声をかけたが、すぐにそっと戸を閉めた。

 ありえない程の生臭さが立ち込めていたからだ。

 何これ、ヤバイやつ ?

 俺はすぐ後ろにいた正司と顔を見合わせた。

 中から返事はやはり返って来ない。

「俺、正司と中に入ってくる。ナオちゃんをとりあえずお家に送っといて。」

 ヒロミに声をかける。たぶん2人はここを離れた方がいい。

 あの臭いに気づいていなければいいが。

 ヒロミが不安そうな顔をしていたので

「確認するだけだから心配ない。ナオちゃんをよろしく。」

 2人が立ち去ろうと後ろを向いたので、もう一度戸を開け素早く中に入る。正司も続く。閉めたくはなかったが、家の中の邪気が流れ出そうなイメージなので仕方なく閉めた。

「すみませーん。おじゃまさせてもらいますっっ。」

 と、声をかけた。鼻声になってしまう。

 意を決して、うなずきあって靴をぬぎ、そっと廊下を進んでいった。

「細萱さーん。」

「いませんかぁ。」

 口まで覆いたくなる臭いと戦いつつ、最初の扉を開ける。キッチンだ。さらに臭いがひどくなる。誰もいる気配がないので戸を閉めて、次に進む。

「細萱さーん。」

 涙目になりつつ逆側のふすまを開けようとした時、かすかだが、廊下の奥の方から呻き声のようなものが聞こえた気がした。

 すばやく、目配せしつつ声のした方へと進む。

 奥に和室があり、襖は開けたままになっているので中の状態はそのまま見ることが出来た。布団の上に青のストライプ柄のパジャマを着た男の人が横たわっている。

「大丈夫ですか ! 」

 肩に手をかけ呼びかけると、声を出そうとしたのか、単なるうめき声か、口から音が漏れ出てきた。しかし起き上がる気配はない。

「熱中症かも ! 」

 額や身体を触って正司が叫ぶ。

 2人してキッチンに戻り、冷蔵庫に飛びついていく正司を横目に俺は固定電話を取った。コードレスになっているため、寝室に戻りながら 1、1、9 を押した。自分の携帯を使わなかったのは、位置情報をより正確にするためだ。自分が知っているのは町名と細萱という名前だけだからだ。

「はい。119番です。火事ですか、救急ですか。」

 繋がった。

 慌てるな、と自分に言い聞かせながら救急です、と伝え、相手に問われるままに、自分の知っている事、細萱さんの状態などを伝えていく。必死に、声がうわずるのをおさえた。

「…はい、意識はないようです。体温も高い感じで、今、氷とペットボトルで頭と脇を冷やしています。」

 正司がせっせと、濡らしたタオルに氷を包み、頭にのせたり冷蔵庫から出したであろうペットボトルのお茶を脇に挟んだりしているのを見ながら電話対応する。

 一通りの連絡が済むと、救急車がこちらに向かっていることを告げ、一旦電話は切られた。

 消防署からここまで10分か15分ぐらいか。長いな。

 その時、戸を開ける音と共に、

「ごめんくださーい。」

 と聞こえ、廊下をハタハタと歩いて来る音が聞こえた。

 俺と正司が顔をのぞかせると、キチンとした感じの初老の女性が声をかけてきた。

「民生委員の矢嶋と言います。どんな状況ですか ? 」

「熱中症のようなんです。今、救急車を呼びました。」

 矢嶋さんは細萱さんに呼び掛けたり首を触ったりした後、俺から電話を受け取り正司に、

「外に行って、救急車の案内をお願いします。」

 俺には、

「この電話、どこにありました ? 」

 と聞いてくるのでキッチンに案内し、カラーボックスの上を指し示した。

「今、ナオちゃん達が丸山さんという方を呼びに行ってます。来られるまで細萱さんに声かけをお願いします。私はちょっと電話をかけてきます。」

 と、キッチンに入って行った。

 俺は細萱さんの側に座り、

「細萱さーん。大丈夫ですか。」

 祈るような気持ちで声をかけ続ける。目の前で命の灯が消えるなんてごめんこうむりたい。














  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る