第4話 奈美の怒り

 文音から示された可能性、「スパイ」の存在。一樹たちにシステムを使わせるよう誘導するやつがこの中にいるのではないかと言う。


 結果浮き彫りになったのはそれぞれのあやしさ。


 奈美と響輝、六年生だけがふたりいるという事実。喜巳花のどういう状況でも明るいその性格。一樹の知識量。ライトの大人びた雰囲気。そして、綺星の守られる立場。


 文音は注射器を近くの机に置きつつみんなの中央あたりに立つ。


「この状況では、だれがスパイでもおかしくはない。それはお互いによく理解できた、ということでいいな」


「なにを言っているの?」

 そんな文音に対して真っ向から否定の言葉を出す奈美。


「わけのわからないことを言わないで。やっぱり、この状況じゃあやしいのは文音ちゃん、君だけだよ。


 こうやって、あたしたちを惑わせて、疑心暗鬼にさせるのが狙いなんだよね? とんだ誘導だよ」


 文音はわざとらしくため息を吐き、奈美に近づく。


「もちろん、わたしは自身が一番疑われると思っていた。これを言えばわたしの立場が危うくなるのはわかっていた。


 でも、それでもなお発言したということは……念頭に入れてもらいたいものだな」


 奈美前まで行くと、ぐっと顔を近寄らせる。


「それに、全員があやしいのは事実だ。わたしはその事実を知るキッカケ、考えるキッカケを作ったに過ぎない。

 むしろ、君たちはわたしに感謝を」


 突如、図工室内に乾いた音が鳴り響いた。


 奈美の右手が振られることにより生まれた平手打ちが文音の左ほおをたたいていたのだ。


 突如図工室の中がシンと静まり返る。


 文音はたたかれたことをすぐに理解できなかったのか目をまんまるにして驚いていた。ショートヘアの黒髪が床を向き垂れる。


 やがてそっと自分のほおに手を当てた。


 一方で奈美は振りきった右手を下ろすことなく文音を怒りの視線で見ていた。


「文音ちゃん、君はなにが目的なの? いや、なんだっていい。でも、ふざけないでよ。


 あたしたちがいま、どういう思いでこの状況と向き合おうとしているのかわかっているの? 必死になってやってるんだよ?


 バカみたいなことやったりもしてるけど、いまの自分の感情をごまかすために決まってんじゃん」


 文音はほおに手を当てうつむいたまま。奈美はかまわずに続ける。


「怖いよ、不安だよ、なにが起こっているのかまるでわかんないんだもん。でも、みんなそれを押し殺してなんとかしようとしている矢先。


 君はあたしたちに恐怖、不安をむしろあおろうとしたんだよ。


 君はこの状況についてなにかわかっているのかもしれない。でも、あたしたちのことはなにひとつとしてわかっていない。


 君が言った言葉は、行為は……必要以上に不安をあおる最低のもの。そんな最低は人は、黙っていますぐここから出ていって。


 あたしたちの気持ちを踏みにじるような真似は二度としないで」


 その奈美の姿は間違いなく一番迫力があった。喜巳花や響輝を叱っているときとはくらべものにならないほど、はっきりと怒りがそこに見えた。


 奈美の手は図工室のドアに向かって延びる。出て行けと、そう言っている。


 文音はほおを押さえていた手をゆっくりと降ろす。


「……君に言われるまでもない。ともにいる気はないからな。どちらにしても出ていくさ」


 文音は図工室のドアに手をかける。そのまま顔だけこちらに向ける。


「でも、これだけは最後に言わせてもらう。わたしだってこの状況を打破したいんだ。そのためには、事実を……真実を知らなければならない。


 君たちにもひとつ忠告だ……。もっと、本気で危機感を持ったほうがいい。このままでは……なにも変えられないぞ」


  文音のセリフが終わるより先に、奈美はドアに手をかけて無理やり開けた。文音の手は引かれた取っ手により、はじかれる。


「君の口についたチャックは壊れているのかな? だったら、新調したチャックを縫い付けることをおすすめするよ。


 となりの家庭科室にきっとピッタリのものがあるだろう」


「……いいアドバイスをどうも。参考にさせてもらうとしよう」

 文音はそう言い残すとドアを潜り抜けていった。


 直後、ピシャリと音を立てて閉め切る奈美。もう、完全に文音を締め出したという形になっていた。


 この状況で奈美に声をかけるものはひとりとしていなかった。奈美も閉め切ったドアの前でじっと突っ立ったまま動かない。


 そんな奈美を前に、一樹たちはお互いに無言で顔を見合わせる。


 別にここにいるだれかを疑っているわけではない。疑う気もないし、疑いたくもない。だけど、この中にもしかしたら敵側の人がいるのかもしれない。


 そんな思考だけは、どうやってもやめられない。


 疑いたくはないと思いつつ、さりげなく全員から距離をとろうとしている自分がいた。近寄らせまいと見えない壁を作ろうとする。


 おそらく全員が似通った思いなのだろう。距離を詰めようとするやつはこの中にはいなかった。それは、いままでずっと明るかった喜巳花でさえ。


 なにせ、その明るさが疑われる理由となったんだ。黙るのは自然か。


 そんな雰囲気がただようなかで、奈美が一気に体をひねった。ドアから離れ、一樹たちの中央に躍り出る。


「みんな、大丈夫だから。心配なんていらないよ! ちょっと妄想がたくましい子が出てきたけどね」


 まるで、いままで喜巳花が担当していた役を代わりに担うかのように振る舞う奈美。喜巳花に近づくとぎゅっとほおを引っ張る。


「ほら、喜巳花ちゃんももっと笑いな」

「にぃ~……」

 喜巳花の顔が変形し、ほおが吊り上げられる。


「たとえ、事実であれ関係ないよ」

 少し声のトーンを下げ、喜巳花のほおを引っ張っていた両手を離し降ろす。


「あたしたちはここで生きる。そして助けを待つ。待っていればいつかは来る。あたしたちの親だってあたしたちが行方不明になってることは気づいているはずだもん。


 警察が動いて、あたしたちを見つけてくれる。

 それまでは、あたしたちはぜったい生き延びる。全員で力を合わせてね」


 奈美はぐっとこぶしを握り締め、空に向けて振り上げた。

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