千と千尋の神隠し ★★★★ |  2012年7月11日

 宮崎駿の「千と千尋の神隠し」をもう3回も見ていますが、私は寛大さと愛を持つ出来栄えに感銘を受けました。2回目までは映画を見ていて、私は物語の際限のない想像力のるつぼに巻き込まれました。3回目になって、絵の中に在る必要のない要素に注目し始めました。アニメ作りは骨の折れる作業であり、視覚要素を単純化する傾向があります。対照的に宮崎は緻密さを提供します。彼の背景はきめ細かく豊かであり、キャンバスに空白はなく、すべてが細心の注意を払って描かれています。私たちは画面の隅にあまり意識的に注意を払わないかもしれませんが、何かがそこにある事は知っています。そしてその何かは宮崎のファンタジーの世界の驚くべき完成度をより確かなものにします。


「千と千尋の神隠し」は、すべてのアニメーション映画の中でも最高の作品の1つであり、1枚1枚作画するアニメーションの伝統の根に軸を置いています。宮崎はそのスタイルでキャリアの研鑽をつみましたが、彼は現実主義者であり、一部手のかかる作業ではコンピューターを使用することを許可しています。しかし、彼は個人的に何千枚ものフレームを手描きしています。「私たちは手描きアニメの手法をとっています。見栄えをよくするためにデジタル化も行いますが、すべては人間の手描きから始まるのです」と彼は2002年に語りました。


『千と千尋の神隠し』のとあるシーンについて考えてみましょう。幼いヒロインが、映画のメインの舞台となる魔法の湯屋から続く橋の上に立っています。主な行動と主要なキャラクターたちは、実際に必要なもの全てを提供しますが、浴場の窓やバルコニーから見ているのは、住みこみ/宿泊客の多くです。彼らを漠然と動く存在として見せる方が簡単でしょうが、宮崎は私たちがそのあまねく存在を認識するように気を遣います。その全員が動きます。私たちが拝見するのは多くのアニメーションに見られるシンプルな反復動作ではなく、唯一無二のアイデアで何かが動くさまなのです。全てが写実的にかわりがわりに細かく動きます。


 この映画を見ているほとんどの人は、画面内で起きることを「ただの動き」と感じます。しかし、本作は気まぐれにどこに着目しても、そこで何かが起きてます。それが私の述べる寛大さと愛の正体です。宮崎とアニメーターたちは、画面内の重要性の低い部分にできるだけ多くのエネルギーを注ぐように気を配っています。湯屋にあるものすべてを見きれないことにお気づきのはずです。橋と出入口だけを描く方が早くて楽だったでしょう。しかし、宮崎は湯屋にリアルさながらの緻密さを与えます。本来必要のないものです。


『千と千尋の神隠し』の物語には無限の創造性があふれています。これまでに見たことのないたくさんの種類の生き物が出てくる映画はなかったでしょう。宮崎の想像力はとどまるところを知りません。沼の底でヒロインと仲間たちが電車を降りる場面があります。みんなが遠くの森から光が近づいてくるのを見ます。その光は、片足でホッピングしている古風なガス灯でした。みんなにおじぎして、向きを変え、彼らの通り道に灯りを照らします。彼らがコテージに到着すると、律儀に自ら門の上にぶら下がります。生きているガス灯は映画に必要なものではありません。これは宮崎からの贈り物です。


 彼の物語は10歳の少女・千尋が推進させます。彼女はアニメーション映画によくある陽気で小さな人形ではありません。彼女は批評家たちに「不機嫌」と言わしめる描写がなされています。確かに、彼女はせっかちで衝動的です。彼女は新居への長い道中、道をしらべる両親の運転する車で後部座席に寝そべっています。彼女の父親は暗い森へ迷いつき、道路はトンネルの入り口で終わるようです。調べてみると、彼らはそこが放棄された遊園地と思い至りました。しかし夕暮れ時、一部の店、特に香ばしく湯気蒸す食べ物屋が再開するようです。彼女の両親は、カウンターにのめり込み、口に食べ物を詰め込みます。千尋は頑としていらないと言います。彼女の両親は、体積の2倍または3倍の量をたいらげます。彼らは豚のように貪り、そして豚になります。彼らはアメリカのアニメに出てくる親ではないので、その所作で子供を震え上がらせます。


 遊園地は巨大な湯屋に通じており、その小塔や窓、棚、装飾品は無限に積み重なっています。優しい男の子が彼女に戻るよう警告しますが、時すでに遅し、浅瀬から続々湯屋のお客様がやってきます。千尋は湯屋に迷いこみ、魑魅魍魎の世界の真っ只中にあり、帰り道がわかりません。少年は誰もが働かなければならないと言い、彼女をボイラー室を任される8本の細長い手足を持つ釜爺のもとへ送ります。彼と若い女の子(リン)は、湯屋の主である湯婆婆に対面することを勧めます。湯婆婆はパイプを吸ってけらけら笑う、恐ろしい魔女です。


 これはすごい冒険の始まりです。千尋は、湯屋でもう人間に会うことはありません。彼女は湯婆婆の呪いの支配下に置かれます。湯婆婆は彼女の名前を盗み、彼女に千という新たな名前を与えます。彼女が以前の名前を取り戻せない限り、決して帰ることができません。湯屋では様々な空間が目まぐるしく入り組んでおり、たくさんの奇妙な生き物に満ちています。千の靴を隠す目玉のついた、小さいふわふわの黒いボール。マスクをつけ死神のようないでたちで迫る、半透明のカオナシ。いつも怒ったような顔つきで飛び跳ねる、カール・マルクスの似顔絵みたいで身体のない3つの頭。悪臭を放つ黒いどろどろの山、が汚れを濯ぎ落とし正体を現す川の生き物。ここでは日本のファンタジーでよく見られる形状変化が起こります。そしてあの親切な少年が大きな牙を持つ海竜のいでたちとなって彼女の前に現れます。


 千は何人かと友情をむすび、他の者に敬遠されたり、湯婆婆におどかされたりなど、この世界を渡り歩くにつれて学習します。彼女は決して「素敵な女の子」にはなりませんが、彼女の勇気と決意は私たちの想いに勝ります。彼女は自分の名前を思いだし、1日1本の列車(片道のみ)で湯屋に戻る決心をします。彼女は再び両親を探そうとします。


 宮崎曰く、彼は10歳の少女のために特別な映画を作ったそう。それこそが大人の視聴者に強烈に映る所以です。「すべての人」のために作られた映画は、同じく特定の誰かのために作られてはいません。緻密な世界の特別な人物に関する映画は、本編そのものに反抗的で殊勝であり、私たち大人を満足させようとしないからこそ魅力的なのです。この映画をもう一度見たとき、私は今までによかったと感じた映画同様に魅せられました。それにより、なぜ『千と千尋の神隠し』が日本で『タイタニック』よりも売れたのか、そしてアメリカでの封切を待たず2億ドル以上を売り上げた歴史上最初の外国映画であったかの理由を説明できます。


 2002年のトロント映画祭で宮崎に会えたことはとても幸運でした。私は彼の映画の中の「意味のない動作」が大好きだと言いました。すべての動きが物語によって決定されるのではなく、少しの間座ったり、ため息をつき、流れを注視する。物語を進めるわけではなくその時々に笑いを与えるだけであるような脇役の人々などのことです。


 宮崎はこう返しました。「私たちは日本語でその言葉を持っています。「ma(間)」と呼ばれます。何もありません。意図的に存在します」彼は手を3、4回叩きました。「この拍手と拍手のあいだが「間」です。もし息つく暇もないノンストップアクションがあるだけなら、それはただせわしないだけです」


 このことは宮崎の映画が、多くのアメリカのアニメーションの大胆なアクションよりもずっと魅力的である理由を説明するのに役立つと思われます。「映画を作っている人たちは沈黙を怖がっています」と彼は言いました。「彼らは観客が退屈するのではないかと心配しています。ですが、いつだって子供が上映時間の8割がたしっかり集中して視聴したからと言って、子供たちが大人の期待どおり満足するわけじゃないんです。本当に大事なのは根底にある感情なんです。


 1970年代から友人や私がやろうとしていることは、物事を少しだけ静かにしようとすることです。映画作りにおいて、轟音や破壊で気を散らすだけでなく、子供たちの感情や感情そのものの道をたどるのです。喜びと驚きと共感に忠実であれば、暴力を振るう必要はありません。行動を起こす必要もありません。子供たちは大人についてきてくれる。これが私たちの原則です」


 彼は、実写のスーパーヒーロー映画や多くのアニメーションを見て面白がっていると言いました。「ある意味、実写映画はアニメーションの添え物になりつつあります。アニメーションは非常に多くのことを網羅する言葉になりました。私のアニメーションは隅にある小さな小さな点に過ぎませんが、私にとっては十分です」


 私にとっても十分です。


 参考文献/引用元:https://www.rogerebert.com/reviews/great-movie-spirited-away-2002

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