第三十五話 街害な結末 (間話:三人称)

月見里灼梨は、手で頭を押さえて、横に倒れた。その表情はどこか青白く、生気を感じられない。


「ちょっと、大丈夫なの、彼」

葭原がそう怒りを心に秘めながら言う。つい一時間ほど前に彼女は彼と約束したのだ。これでは、アンフェアである。


「ベアーの打撃で内出血を起こしているのか、はたまた栄養不足か、僕にはわかるわけがないのだけれど。どうなんだい、ベアー」

上蹴坂は、ずっと彼の顔を見ている綾杉へ問う。


「…一瞬、オレのせいなのかもしれないとは思ったが、原因はアレだろう」

そう言って、綾杉は床に転がるケースを見る。


「なによ、それ」

葭原はそのケースを持ち上げ開ける。そこには、二枚の折られた紙が入っていた。


「凛、それを貸してくれ」

綾杉は葭原から紙をもらい、そして読む。


「なるほど、ドライブ型、ねえ。脳を活性化させ、不要な脳の働きや行動を脳を騙すことによって最低限、生きるための機能を自動的で簡略に行うことに省略し、他のことに脳を使う、そして、処理速度を通常の数倍に上げる、と」

綾杉はその後も読み進める。


「オーケー、大丈夫なようだ」

そう、葭原の目を見て綾杉は言う。


「本当のことかしら」


「ああ、もちろん。今は脳の使いすぎで寝ているだけみたいだ。顔が青白いのも呼吸を簡略化しているせいで、いつも以上にうまく呼吸ができていないだとさ。まあちなみに、これともう一つ、とある別の薬と同時服用してしまうと脳が耐えきれなくて死に至る可能性があるみたいだがな」


「へえ、そんな、薬があるのか。まるで、それは」


「ああ、お前の想像の通り、これはこの研究所のデータを集めて、それをもとに作られたみたいだ。たぶん、それをこいつが持っている理由は、笹橋胡春に関係するのだろう」

上蹴坂の言葉に被せて、言う。


「なるほど、笹橋一家はこの街の管理者。だから、この街で得られた成果の一端が家に送られてきてもおかしくはない、ということか」


「ああ、なんというか。色々こいつにしてやられたわ」

ああ、痛え、と彼女は言う。


「そう思えば、貴女撃たれたのね。というか、なんで貴女防弾チョッキを着ていないのよ。馬鹿じゃないの」

葭原は呆れたように言う。


「いや、だって邪魔だし。それにアイツが拳銃を持っているなんて思わねえだろ」


「そうね、見たところ、扱いも素人同然のようだし。あそこまでその薬を使っていても射撃までの流れがスムーズに行えた、ということは驚きだわ」


「あれ、今気づいたけど、これは僕たちが取り扱っている銃の種類の一つじゃないか」


「ああ、だから、どこからか盗ってきたのだろうよ。コイツができるとは思わねえけど」

綾杉は顔を苦笑いしながら言う。


「あーあ、失敗だよ。計画が台無しだ。契約通りに遂行できなかったのはいつぶりだろうかなあ、上蹴坂」


「僕たちの初めての任務じゃなかったかい、失敗したのは。ほら、あの大手会社の社長暗殺の依頼」


「ああ、アレは結局ビルごと爆破したヤツか、だがアレは任務遂行できたじゃねえか」


「いやいや、ビルを爆破したせいで依頼人共々殺してしまったじゃないか」


「貴女たち、本当にどうかしてるわね」

葭原は呆れる。


「まあ、今回は彼を除いてはいけるだろうし、あながち成功といっても間違いではないと、僕は思うけど」


「間違いねえ、オレたちにとっては『間違い』ではなかったが、コイツらにとっては『街害まちがい』だったってか」

綾杉はケラケラと嬉しそうに笑う。


「いったい、どうしたのかしら彼女」


「ダジャレだよ。『mistake』の方のまちがいと、『街が害されて』のまちがいをかけているんだ」


「それは、ダジャレというよりも言葉遊びね」

葭原は額に手を置いて、ため息を吐く。


「で、今の戦況は、どうなんだ」


「すこし、こちらが劣勢だね。まあ、僕たちにそんなことは関係なくて、ただこの研究所のデータを入手できれば本来の目的は完遂できるから、気にしなくていいだろう」


「まあな。アイツらも別にオレらシルヴァクヲックじゃなくて、どこかの暴れん坊のテロリスト集団だからな、気にかける必要なんてない」

綾杉は腰を上げて、灼梨の体を両手で横抱きにする。


「もう、いいのかい、お腹の傷」


「ああっ、こんなんでへこたれていたら、オレはもうとっくに死んでいる」

綾杉は、そう答えてすこし考える。

彼女らの計画を実行するのはいいが、このまま灼梨を放置しておくのは危険である。万が一にもここに逃げ込んできたテロリストどもに撃たれたら交渉以前に元も子もない。


「よし、いい機会だ。おい、波丮。お前の主人は誰だ」

綾杉は誰も見ずにそう大きな声で言う。


「あなた様です、マイマスター」

どこからともなく、声が聞こえる。彼女は綾杉の後ろに立っていた。


「お前をここまで導いたのは誰だ」

その気配を感じ取っても、綾杉は向きを変えない。


「あなた様です、マイマスター」


「お前に生きる価値を与えたのは誰だ、お前をあの地獄から救ってやったのは誰だ」


「あなた様です、マイマスター」


「…そうだ、オレだ。オレがお前に価値を与えた。オレがお前を救った。そして、オレはお前の主人になった。だから、お前への命令権はシルヴァクヲックが持っているのではなくて、オレが全権利を持っている、そうだな」


「肯定、全絶対命令行使権あなた様にあります」


「なら、お前に最後になるかもしれないが、長期命令を言い渡す。一時、シルヴァクヲックを抜けろ。もちろん、辞めることは向こうに伝えなくていい。どうせ、オレの行動にすでに向こうも勘付いているはずだ」


「許諾、そして、疑問。カードは如何すれば良いでしょうか」


「一応、持っておけ。そして、もう一つ。青年、月見里灼梨にお前は今後ついて行け。わからないことがあれば、コイツに聞くように」

そう言って、綾杉は寝ている灼梨の顔を見る。


「不可解。意図が読めません」


「なに、元々お前に表の世界の色々なことに触れて欲しくてな、タイミング合わねえなあ、って思っていたときにコイツが現れたからな。コイツに全て丸投げしようかなと思っただけだ。なに、コイツの人生は波乱万丈だろう、オレが太鼓判を押す」

「だから、お前はオレと次に会うまでにどっちの世界で生きるかを考えとけ、その猶予をやる」

綾杉は彼女と向き直る。結んでいない艶やかな長い黒髪に起伏の控えめなすらっとした体型。高身長。そして、彼女の身長の半分ほどある長い刀。彼女をこう見るのも最後のなのかもしれないと綾杉は思う。


「…理解。あなた様の意思にこの身を委ねます」


「それで、結構。さあ、さっさと行け。どんな手段をも使っていいからコイツを安全に連れ出せ。たぶん、警察の指揮をとっている奴に直接会うのが一番いいだろう。なに、お前の知っているシルヴァクヲックについての情報は吐いても構わない。どうせ、そんなことを御当主は気にもしない」

しかし、その言葉を聞いても志士織は動かなかった。


「不理解。あなた様はどうするのですか」

機械のみたいに無表情な彼女の顔が歪む。


「もちろん、戦う」


「疑問。私は戦闘に特化して、」


「わかっている。だからだ、コイツを守れ。それに、お前はオレをなんだと思っている。お前がいなければ戦闘力クソ雑魚なアホか?」


「……」


「思い出してみろ。オレはお前の主人である前にオレはクマさんだ」


「…不可解」


「まあ、いつかわかるさ。ほら、行きな」

綾杉はやれやれといった表情で手を振る。


「…。では、マスター、御武運を」

そう、志士織は言うと、綾杉から灼梨を受け取り、走り出す。


「ああ、さよならだ」

綾杉はどこか寂しげに言う。


「良かったのかい、あんな感じで」


「ああ、元々アイツにはオレらみたいに自主的にこちら側に入ってきていないからな、アイツにも選べる権利が必要だろ」


「あら、それならそんな権利、私も欲しいくらいなのだけれど」

葭原が横から口を挟む。


「お前は、なんか契約したのだろう、青年と。オレはその交渉を尊重したまでだ」


「どうだか」

その言葉にケラケラと綾杉は笑う。


「それにしても、僕はクマさんのところから意味がわからないんだけど」

上蹴坂が言う。


「そのままの意味だ。ワイルドに生き、恐れおののかれ、静かに襲って、静かに消えゆく。それがワイルド代表、すなわちオレだ」

綾杉はどこか自慢げに言う。


「うん、やっぱりなにが言いたいのかわからないや」

上蹴坂は諦めたように言う。


「おいおい、何年一緒にいると思っているんだ。オレの言葉くらい数秒で理解しろよ」


「うん、無理だ。ギブアップってところだよ」


「お前も忘れたのかよ。クマさんっていうのはなあ、か弱い仔羊にはナイフを持たせて、立派にさせるやつのことだろ、忘れたのかよ」


「うん、全然理解が追いついてないや。だからそんなドヤ顔で言われてもこっちの方が反応に困るよ」

上蹴坂はにこり、と微笑みながら言う。


「貴女たち、そんな無駄な会話していないで早く最後の任務を終わらせに行くわよ」

葭原は痺れを切らしたのか、綾杉と上蹴坂の袖を引っ張って急かす。


「お前、やっぱり仕事一筋、っていうかなにか仕事をしていないと落ち着かないな」

綾杉は葭原に言う。


「まあ、私、元々仕事でしか自分が今を生きていると感じられなかったからよ。だから、もう癖みたいに染み付いているのよ」

葭原は後の言葉をすこし小声になりながらも言う。


「…ふっ、そうか。それは良かった。なら、警察が来る前にさっさとお目当てのものを手に入れて帰還するか」

綾杉はそう締めくくって、歩き出す。


胸に潜むは安堵と期待の感情。彼女は人の死でしか興奮できずも、その人の経緯を楽しむことはできる。

むしろ、そちらの方が殺しにより心の高ぶりを見せてしまう狂乱者だ。


彼女は、ニヤッとほくそ笑む。

彼女と関わってしまった青年たちを殺す日を夢見て。

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