第三十四話 交渉 パート② 最後の闘い
「ねえ、私、人の幸福に満ちている顔が気に入らないのよね」
研究所に向かう最中、彼女、葭原凛と他愛もない話をする。
「だから、君は人を殺して快楽を得ようとするのかい」
「違うわ、誰よそんなこと言ったの。私をあの人たちと一緒にしないでくれるかしら」
「僕の情報屋さんがそう言ってたからさ、『葭原凛含むメンバーはみんな人の殺害で快楽を得る』って」
「今度会ったら、私の代わりにその人の頬を叩いてくれないかしら」
彼女は怒りを顔に表してそんなことを言う。
「私は、ただ自分はこれまで酷い目に遭ってきたのに、他の人が楽しそうな顔をしているのが気に食わないだけよ。だから、そんな奴を殺した時は心が爽やかになるわ」
コイツ、意外と恐ろしい奴だ、と不意に思ってしまう。
だが、今思い返せば意外とでもなんでもない。彼らはただ、僕たちをなんの躊躇いもなく殺しにくる殺人集団だからだ。
「そうだ、一つ、聞きたいことがあって」
「なによ」
「シルヴァクヲックの目的ってなんなのかなって。君は知ってる?」
「生憎と、長年所属している私でもそれはわからないわ。知っているのはたぶん、御当主と、その直属の幹部くらいかしら」
「そうか」
彼女なら、何か知っていると思ったが、やはりそこも情報規制が高いようだ。
「あっ、だけど。なにかを得よう、としている、どこかで聞いたわ。いえ、取り戻そうとしている、というのが適切なのかもしれないけど」
「取り戻そう、と」
「ええ、昔、シルヴァクヲック一族にはなにかがあったみたいなんだけど、それが失われちゃって。それをもう一度、得ようとしていると聞いたわ」
「ふーん。なにか、ねえ。ちなみに、その御当主様たちの強さは綾杉さん何人分なの」
あの人たちをまとめ上げる人である。
「どういう基準よ。けどそうね、そう例えるなら、御当主は綾杉さん、千人分くらいかしら。幹部は十人から五十人分くらいかしら」
聞かなければよかった、と後悔する。綾杉さん千人分なのだ。そんなのにはどうあがいても勝てるわけがない。よく、僕はそんな相手に立ち向かおうとしたのだろうか。
そんな話をしていると、大きな建物が見えてくる。煉瓦造りで、どこかモダンな建物。
「ここが、研究所。どう見ても、劇場が置いてある大きな公民館くらいにしか見えないけど」
「貴方、意外と知らない事があるくせに、そういう例えはできるのね。だけど、その感想に私も同意するわ」
彼女の言葉を無視する。
「入ろう。今は、十一時半だ。三十分前行動を常に心がけている僕にとっては良い時間帯だ」
「あら、私は貴方のこと、遅刻で有名、って聞いたのだけれど」
「それは、仕方のないことなんだよ」
朝を定刻に起きるのは、集合時間に間に合うよりも、相当難しいのだ。同じにしてはいけない。
研究所の中に入る。中は、外の暗さとは真反対に光り輝いており、それによりどこか不気味さを感じる。
「さあ、行きましょう」
彼女はそんな不気味さなぞ見慣れているのか、なにも感想を言うことなく二階への階段へ足を運ぶ。
彼女について行く。すると、その先には明らかに電灯が足りていない階段があった。やはり、不気味だ。
しかし、そんなことを口に出しても意味がないことだと昔からわかりきっていることだ。だから、いまは、彼女の後ろをついて行く。
「着いたわよ、大広間」
彼女の声に反応して、いつのまにか下がっていた顔を正面にあげる。
「じゃあ、先に入ってくれるかな。僕が入った途端に撃ってきそうだから」
「そうでしょうね、綾杉さんなら問答無用で撃つわ。いいわ、行ってあげる」
そう彼女は答えると、大広間へと続く閉じていたドアを思いっきり開ける。
そこには、見知ったメンバーがいた。
「おおっと、今日は早かったじゃね、え、か、っておいおい、見慣れた奴がもう一人いるじゃねえか。波丮、
「了解」
どこかで、微かにそんな声が聞こえた途端、後ろで不自然に風が漂う。
何かと何かがぶつかり、金属音が即座に耳に伝わる。
遅れて、後ろを振り向くと、葭原の持つナイフと少し前に会った志士織と呼ばれていた無表情の人物のナイフがお互いにぶつかって牽制し合ってていた。
「疑問。邪魔をしないでくれますか、凛。貴女はいま、マスターの指示に逆らっていることをお分かりですか」
「もちろん、そうよ。すこし、交渉をねっ」
そう言って、葭原はナイフを振り払う。
「おいおい、こんな微妙なタイミングで裏切りか。呆れるよ、お前も、青年も。で、お前らは何のようなんだ」
ほとんど、何もない部屋。
大広間だから、奥にステージがあるものの、それ以外に特徴としては何もなく、ただ、無駄に鮮やかなカーペットが敷かれているだけ。
「すこし、交渉をしに来たんですよ、この街から合法的に外に逃してくれないか、と」
「はあっ、お前、そんなことは勝手に逃げればいいだけだろうが」
「僕もそう思っていましたよ。ですけど、すこし疑問に思いましてね。街の中で住民はもちろん、テロリストたちも見かけなかったんですよ。おかしいと思いませんか」
「別にそんなことはねえだろう」
「いえ、これは明らかにおかしいんですよ。貴女たちはこの街の破壊を目的としている、そして、全住民の殺害もそれに含まれる。貴女たちシルヴァクヲックは徹底的に任務を遂行する、油断などないはず。それなのに、だれも捜索はしていない」
シルヴァクヲックはそういう、組織だ。任務という名の契約は絶対遵守する。
「だから、僕はこの街を囲む塀で皆さんが待機していて、そして、近づいた者を全員殺すことにした、もちろん僕も含めて」
最初から、この帽子に意味なんかない。
「ああ、そうだ。だがそれなら、お前が家にずっと籠もっていつの日かの助けを求めれば、」
「ですけど、それでは全住民の殺害は不可能だ。いま、塀の向こうでは警察とテロリストたちが戦っていると聞きました。もしも、警察に一人でも助け出されたらそれではこの契約が元も破綻してしまいます。だから」
笹橋さんの話を聞いて、考えたこと。
「だから、貴女たちはこの街の全てを爆破することにした。違いますか?それならば、なぜ、契約遵守な貴女たちが真っ向から生存者を探さないのか、という理由にも繋がります。探す意味がないあらです。だから、僕があのまま、街に残っていても死んでいた。そして。貴女はそのことを分かった上で話していなかった」
綾杉さんは隣に目配せをし、こちらを向く。
「正解だ。あの組織は契約に従順だ、ボスがそう決めたからな。だから、オレは偶然の死を装ってお前を完全に殺す気でいた。だが、お前はそれを逃れてここに来た。最高だよ。で、お前は何を望んでいるんだっけ」
「だから、さっきも述べたようにこの街から出たいってだけです」
「ほう。だが、それはオレたちがテロリストだからっていう理由もあるし、契約違反っていう理由もあるがなによりオレがお前を殺せないっていう欲求に反するから却下だ」
「では、どうすれば逃してくれますか。ちなみに、僕は誰にも貴女たちの不利益になるようなことはだれにも言わないつもりですが」
というか、そんな情報持っていませんが、と付け足しする。
「そこは、どうでもいい。そんなことを気にする奴は幹部の奴らだけだからな」
綾杉さんは地べたに座って言う。
「なら、僕が今から貴女たちに僕の考えを発表するのでそれに感動したら、逃してください」
「どんな交渉だよ、それ。まあ、いいや言ってみろよ」
「では、まず、貴女たちが発言していた『人の物語の終わりが見たい』っていう言葉について、僕はこれを反論したいと思います」
「おっと、いきなりオレたちの行動の起源についてか。いいぜ、語ってみろよ」
「…では、僕の意見としては、人の物語に終わりなんかないと思います」
「いやいやいや、終わりはあるだろ。だってそれ以降に死んだ奴らは何もできやしねえからな」
「いえ、できますよ。人の物語に事実上の結末があったとしても、頭の中に残るいわば精神上の終わりはない。だって、亡くなった人の言葉が今も心に残っていて、それが後の未来を変えてしまうことだってあるんですから」
僕みたいに、とは言わない。あの光景を振り返りたくはない。
「なるほど、ソイツが死んでもソイツの持っていた意思は生きている奴に受け継がれていくってヤツだな」
「まあ、そういうのです。これは、ただの僕の考えなんですが、人の『生』というのは、つまり次の世代に自分という存在が認知されている、ということなんだと僕は思います。だから、人生において、人は色々な人と関わり、知り合い、触れ合って、愛し合って。そして、亡くなるんです。そこから、誰かがその生き様を見て、誰かがその人の言葉で未来が拓かれて、その途中で様々な新しい出会いをしていく。それの繰り返しなんですよ。だから、人生を人の物語というのならば、その人、本人の物語がそこで途切れたとしても、その人と関わった人には何かが残っている。だから、生に結末があったとしてもそれは終わりではなくて、新たな章への序章だと、僕は考えます」
「へえ、人生は本人だけの短いものではなくて、昔からずっと繋がれている、いや繰り返されている無限の連鎖みたいなものだと言いたいのか」
「ええ、で、こんなのでよかったですか」
「まあ、面白かったよ。あれだろ、人は皆犬のマーキングのように他の人と関わっているってことだろ」
「そこまで、悪い表現ができる人は貴女くらいですよ」
「悪口はオレの特技の一つとでも思ってくれ。で、結果から言えば、全然ダメだな。感心はしても、感動はしない。残念だったな。お前の言葉で気付かされたよ、オレらは物語の結末を間近で体験して喜ぶとしても、それはただの前動作であってオレらはただ単純に人を殺すことにしか快楽を得られない狂乱者だ」
「じゃあ、どうすれば許してくれますか」
「お前もわかりきっているくせに聞くんだな。闘うんだよ、殺し合いだ。さっきも言った通り、オレはそれでしかなびかねえ」
綾杉さんは、悪い笑顔で言う。
「それでは、全くの不利じゃないですか。か弱い子羊にナイフを渡してくれるくらいのなにか手加減みたいなものはないんですか」
「おいおい、こんな敵地のど真ん中でハンデを要求するとか、お前頭イっているだろ」
「貴女にだけは言われたくないですね」
自分よりも彼女の方が何倍も狂っているはずだ。
「じゃあ、あれだ。オレは素手でやる。お前はなんでも使っていいとしよう」
「もうひとこえ、ください」
「まだ必要か。それなら、お前は一撃、オレに攻撃を与えられたらいい。どうだ、ちなみに、オレはお前を
「それでいいです。すこし準備をさせてください」
そう彼女に言って、屈伸する。
「お前、マイペースを通り越してただの馬鹿だな」
彼女が呆れながらこっちを見るが無視を決める。
「そう思えば、いつ街を爆破する予定なんですか」
伸脚をしながら、ふと思ったことを聞く。
「夜中の十二時だよ」
彼女の後ろに立っていた上坂さんがそう言う。
「…それって、もう数分後じゃないですか」
「数分っていうか、今だね」
その言葉を待っていたかのように爆発音が外から聞こえる。
「いいのか、生存者の救出はしなくて」
舌を思いっきり、歯で噛む。手にいつのまにか力が篭る。
「…僕はそれほど、できた人間ではないので、助けませんよ。自分の身が一番可愛いですし」
「そうか」
綾杉さんは、そう静かに言う。
「あと、気になったんですけど。ここに片滌先生が見当たらないんですけど、どこかで待機しているんですか」
「ああ、アイツは殺したぞ。今日、爆発が始まってすぐに」
背筋が凍る。一瞬動きが止まるものの、アキレス腱を伸ばすため脚を動かす。
「、協力者じゃないんですか。僕はそう知りましたけど」
「片滌秀雄は、協力者だよ。だけど、今回の破壊作戦とは別にもう一つ任務があってね。それが、片滌秀雄の暗殺なんだ。彼自身、そういう思惑は知っていたみたいで、すんなりと殺せたよ」
上蹴坂さんは、そう爽やかな顔で言う。片滌先生は、知っていて、あんなことを言ったのだろうか。すこし、寂しい気がする。
「そうですか、そんなことがあったんですね。ちなみに、学校の用務員を殺害したのは笹橋であってますか」
「もちろん、正解だ。理由は簡単だね」
「ええ。片滌先生は国語の教科、主に古文を担当していて彼は古文関係の資料が置いてある資料室によく向かっていた。その部屋は放送室の真下にあって、カメラに映し出される光景はほとんど同じだった。外の風景もカメラが部屋の窓側から部屋の方を映し出すものだったため、外が違っても意味はなさない。そして、部屋のドアの上に標識があるんですが、それもだいぶ前から細工されていて、どちらも放送室と書かれていた。そして、四階と三階の配線を反対にかえれば、あたかも片滌先生が放送室から出たと見える」
「うん、そして笹橋さんは窓から中に入ったり出たりしていた。だから、彼女がカメラに映るはずがない。そう、僕たちがもし、学校内やその周りを何度も歩いていたら、不審がられる。だから、彼女が動いた。自主的にだよ。用務員を殺した場所はそう、たしかコンビニの裏手だったね。彼女は学校では殺さなかった。よく覚えてるよ、あの時の彼女の言葉。『学校での殺人現場を見せるだけなのに、誰が学校内で殺さないといけないと決めつけたの』ってね。中々に、あんなことを言う人は初めてだったよ。そして、あの部屋に運んだ」
上蹴坂さんが話す。
「…そうですか。ちなみに、殺害方法と、水の音が出る音声を流した理由はご存知ですか」
「音声については、あの天然しか知らねえが、殺害方法は絞首からのナイフで刺殺。まあ、方法なんて最終的に関係無いんだがな。最期に片滌を殺せば良いだけなんだからな」
「あのとき、片滌先生に罪が被せられなくても最終的に殺した、と」
「まあな。外の世界と通じているのは、なにも笹橋家だけではない。学校の上層部もすこし関わっているのさ。だから、そこからの報告を上手く利用して、外の世界でも片滌の評価を下げて、万が一逃げ切られても、ソイツの家に殺される予定だったってわけだ」
「ちなみに、この計画が決定されたのが約一年前で、下準備は四ヶ月前からしていた」
綾杉さんもすこしダルそうにそう高らかに言う。
「なあ、もういいか。早く殺し合いしたいのだけどー」
「すみません、待たせてしまって。もう大丈夫です。いつでも行けます」
彼女に向けて、言う。あとは賭けだ。
「上蹴坂、合図を頼む」
「おっけー、ベアー。じゃあ、三」
上蹴坂さんがカウントを始める。
「二」
心を落ち着かせる。今まで習ってきた武闘を思い出せ。なにか、使えるものを探しだせ。
「一」
深呼吸する。綾杉さんを見つめる。デニムジャケットを脱ぎ捨て、真っ白のタンクトップが現れる。
「スタート」
その言葉とともに、前に目の前に敵対する相手の顔が一瞬で近くになる。距離は一メートルあるかどうか。
「いっ、」
すぐさま防御の耐性をとるも、間に合わず、不格好な腕のガードに蹴りをくらう。
一瞬の浮遊感を感じるも、蹴られた痛みと、地面への不時着に体にダメージが入る。
「蹴りっ、ありなんですかっ」
叫ぶ。
「ありに決まっているだろっ、足も手の一種だろっ」
その言葉とともに彼女はこちらへ駆け出す。
一秒もかからずうちに距離は縮まり、彼女は拳を振りかざす。それを紙一重で避け、なんとか体勢をもどす。
しかし、ただそれは立ち上がっただけで、彼女の拳が次々と向かってくる。
最初の三つは腕が犠牲ならも、だんだんと拳の繰り出される速さが増して、最終的にはほとんどを体で受け止める。
「おらっ」
連続攻撃が終わり、一拍置いた後にまた、拳がくる。腕をクロスにし、なんとか体を守ろうとする。
「うっ」
しかし、それは先ほどよりも数倍重たい殴りで、今にも腕が折れそうになる。
「そいっ、あともういっちょ」
二発目、三発目と腕で受け止める。想像以上に痛い。四階からの自由落下とは比べ物にならない。
「うぉいっ、気が抜けてるぞっ」
その言葉の後に、綾杉さんは両手を地面に素早く置き、それをばねとして脚を振り上げる。
「うっ、」
肺が苦しい。体の節々が痛い。
またもや、浮遊感に襲われる。もう、体が動かない。
「ふっ、死ねえっ」
浮遊感の中、右から何かが押し寄せてくるのが見え、咄嗟に頭を防御する。回し蹴りだ。
次の瞬間、腕に重みを感じ、その後、上半身と下半身が取れてしまいそうな痛みを覚える。
「、がはっ」
また、蹴り飛ばされる。しかもさっきのは、最初に受けたものよりも固かった。
彼女の方を向く。片足で立ったままの彼女を見て、おそらくかかとで蹴られたのだろうとどこか客観じみたことを思う。
「おいおい、呆気ねえなあ。お前、やる気あるのか。そんなのじゃ、一発入れられねえぞ」
彼女の言葉が夢での会話のように思える。朧げな視界を擦る。痛い。
わかっていた。彼女に勝てるわけがない、と。彼女が凡才だったとしても天才だったとしても、誰もが僕よりかは努力しているのだ。才能の差だと決め付けていた僕と違って誰もが努力した。だから、僕にとってみんなが輝いて見えたのだ。
努力しない奴は、努力した奴に勝てるわけがない。
深呼吸する。肺が痛い。もう、何もしたくない。休みたくもない、歩きたくもない。死にたい。
都合よく、近くに置かれたケースを見る。彼女の部屋から持ってきた、切り札。
「…ちょっと待ってください、切り札使うので」
ケースを開ける。見たことのある、注射器に説明書。
深呼吸する。この街から逃げ出すことはどうしたのか、死ぬ気なのか、と心のどこかで自分が叫ぶ。だけど、今はどうでもいい。
注射器を右手に持って、震える左腕を見る。
深呼吸三回。そして、刺す。
「いったっ」
深々と刺されたそれの中に入ってあるものを体内に注入する。押す。
異物が浸透するように入ってくる。ちゃんと血管に当てたのかなどは関係ない。目を閉じて、心を落ち着かせる。今から十分しか僕の寿命はない。だから、落ち着いて。落ち着いて。
アイツを殺す。
目が冴える。先ほどのボヤッとした光景も今は綺麗に見える。
立つ。綾杉さんが面白そうにこちらを見ている。思わず、笑みがこぼれてしまう。
彼女に向かって走り出す。別に自分の身体能力が上がったわけではない、ただ脳の回転がすこし速くなっただけ。
彼女も走り出す。彼女の右フックが横から繰り出される。冷静に避ける。
一歩遅ければ、あの豪腕の餌食になっていたと思うとヒヤッとするが、今は目の前の事に注目する。パンチと蹴り。
避けれるものは避けて。避けれないものは腕立て止める。着実にダメージが蓄積されているのをさきほどよりも鮮明に感じる。
彼女の動きを観察する。
何か、使えるものを。
「はっ、中々良い動きができているじゃねえか」
「ただの、逃げですよ、こんなの」
彼女の言葉にゆっくり返していく。
「だが、このままじゃ、お前がぶっ倒れるだけだ」
綾杉さんはそれでも拳を止めない。
わかっている、そんなこと。
「ならばっ、僕もっ、反撃、しますよっと」
彼女に拳を振る。当たらない。
彼女にしては、遅い僕の拳を連続で彼女に殴りつける。しかし、それは、すべて、彼女の手のひらで防御されるだけ。
一向に当たる気配もない、そんな思いが心を占める。
わかっている、そのために、今まで動いた。
懐から小型のナイフを取り出し、振る。葭原から借りたナイフ。
「うおっ、お前そんなものも持っていたのかよ」
だが、そんなものでさえ、彼女に当たることはない。わかっている。
だから、その小型ナイフを彼女に向けて投げる。しかし、それも容易に躱される。
「次っ、」
カッターナイフを取り出して、振る。そして、投げる。ハサミを取り出して、何度か振っては投げる。
今度は、ケースを手に取って同じ作業を行う。
そして、落ちたナイフを素早く拾って、斬りつける。
これを流れ作業で行う。今、このときだからできる所業。脳の指令の伝達をいつもよりも速くさせる。速く、自分の手足を動かす。
「おっと、中々にハードになってきたなあ、面白え、最高だわ」
彼女の言葉に反応している暇はない。
「ダンマリかよ。まあ、それはそれで闘いに集中してくれているから良いんだけど」
「だが、オレもやられっぱなしは、ゴメンだなっ」
その言葉とともに、彼女の蹴りが振り上げられる。
避ける。
そして、拾ったナイフを投げる。
彼女の拳を回避して、ナイフや、ハサミを投げつける。
「ああ、もう、邪魔くせえっ」
その言葉ともに、右ストレートがくる。
…これを待っていた。
蹴りをくらってしまう直前に、先ほど拾ったナイフを投げる。彼女はそれを避けるためにパンチを中断し、すかさず、横からのかかと蹴りをくらわせようとする。
一拍置く。そしてもう一本。懐から別のナイフを取りだし、また投げる。
彼女は先ほどまで流れ作業で行われていた同じ行為の繰り返しにおけるイレギュラーに驚くはずだ。
そして、すこしバランスを彼女は崩す。どれだけバランスのセンスが良かろうとも近くにいる敵にすぐさま攻撃はできない。
だから、そのコンマを狙う。
そして、もう一つ。懐から銃を取り出して、こちらに向けていた彼女の背に押し付ける。
「終わりです。どう、ですか。勝負あったでしょう」
彼女に話しかける。
「あ、ああ。…だが、忘れたわけじゃないだろうな。これは、お前が一撃入れるか、オレがお前を殺すかでしかこの勝負は終わらない。だから、お前がその引き金を引かなければこれは終わらない」
そんなこと、知っている。
「だが、残念なことにオレは格闘よりも、銃を扱うことに優れていてなあ。ちなみに、言うと銃の種類やら、形状や特徴も頭に入っている。だから、お前が今オレに向けているものが本物ではなくて偽物だってことくらいわかるんだよ。そんな、実銃でもないエアガンで人を射殺せるとでも思ってのか」
彼女はそう言って、勢いよくこちらを振りまこうとする。
知っている、そんなことも。エアガンでは貴女に太刀打ちできないなんて、わかりきっている。
だから、家にもう一つ、取りに帰ったのだ。
「知っていますよ、そんなこと」
彼女の回転する動きに連れて、その方向に少しだけ移動する。
もう一つ、銃を取り出して、セーフティを、体の流れにそって解除する。こんなこと、いつもならできるわけがない。今、だからこそできることなのだ。
彼女の体がだんだん正面を向いてくる。
右手をグリップに添えて、ハンマーを下ろす。そして、左手で右腕を支える。
すかさず、彼女の腹に撃つ。一発、二発、三発、四発。
耳元で銃声が聞こえる。薬莢の音が連続して地面に落ちて響き、綾杉さんは倒れるように膝をつく。
反動が想像以上に痛い。
「これで、勝負あり、ですね」
腕の痛みを我慢した、目の前の彼女に言う。
「、痛え。ああ、くそ。やられたぜ、全く。お前、最高だよ」
「どうも、これで賭けには勝ちましたよ。逃してくださいよ」
「ああ、了解した。お前の完全勝利だ。いいぜ、逃してやるよ」
綾杉さんは、腹を押さえたまま、言う。
その言葉とともに、足の力が抜け、地面に座る。
「というか、一発でいい、っていうのに、お前四発も撃ちやがって。たくっ、くそ痛えよ」
「貴女も、笹橋さんに六発撃ったのですからその仕返しとでも思ってください」
ただの腹いせだ。自分の好きだった人を殺されたのだ。これくらいしても別に神様は許してくれるだろう。
「お前、中々良かったよ。どうだ、ウチに来ねえか。シルヴァクヲックはお前のような奴はいつでも歓迎だ」
「それも、中々に面白い提案ですけど、生憎とまだやり残したことがあるので」
「そうか、ならまたいつか会ったときにもう一度勧誘するさ」
諦めないのかよ。
足音が聞こえる。上蹴坂さんだった。
「良い勝負だった、君たちを称賛したい、のだけれどベアー、残念なことに、この付近の塀が崩壊したようでね。もう数名か、日本の警察が侵入しているんだよ」
「おいおい、なんでそんな大事なことを言わなかったんだよ。まあ、いいや。あの道は確保できているんだろう?」
「もちろん。だから、彼との約束も無事達成できる」
綾杉さんたちが何かを話している。
視界がぼやけてくる、吐き気がする。耳からもなにも聞こえず、触覚もほとんど感覚が薄れている。
「よし、それじゃあ、行こうかって、おいっ、しっかりしろっ、おい」
誰かの声。だけど、目の前は真っ暗のまま。
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