第三十三話 交渉 パート①

自身の葛藤を心の中に押し込める。いまは、こっちに集中だ。


「僕は、君を死なせない。誰が何を言おうとも」

まずは、彼女に自分を認識させる。彼女との睨み合いをやめ、次のステップのために僕は大声で言う。


「は?貴方、何を言っているの。やっぱり目の前で大切な人を殺されたから気でも狂ったのかしら」

葭原は僕を罵倒する。


「別に。ただ、君が欲しいだけだよ」


「…あら、それなら君が必要だとかでも良いと私は思うのだけど。それに何よ、死なせないって」


「ただの、言い回しだよ。こっちの方が雰囲気が出るだろう」


「出ないわよ、気色悪いだけじゃない。それで、結局貴方は何が言いたいの」


「まあ、さっきまでのは冗談だ。気にしないでくれ。で、用件なんだけど、君に組織を裏切って欲しくてね」


「それならなんでなんであんなことを言ったのよ、呆れる。それもだけど。貴方、馬鹿じゃないの。仮にも殺す気でいる敵に、いきなり裏切らないか、って」


「別に不思議なことではない、と思っているのだけど。まあ、君のことについてはある程度知っているからさ、どうかな、こっちにつく気になったかな」


「どういうノリよ、それ。だけど、それよりもどういうこと、私のことを知っているって」

何かを投げる姿勢を彼女は見せる。だが、暗すぎてなにかは見えない。


「僕にも情報網があるってこと、それだけだ。それ曰く、君から攻略した方がいいとのことで。君のその特異な考え方にね」

そう言うと、彼女は嫌そうにこちらを見る。


「ああ、だからあんなことを。それと最低ね、ソイツ」

「それで、どこまで、貴方は知っているの?」


「えっとね、君が幼いころからひどい扱いを受けていた、ことだけだね」


「全然知らないじゃない、そんなのでよく交渉しようと思ったわね」

彼女は呆れた、と言わんばかりに手を横に振る。


「シルヴァクヲックという組織は何でも契約や交渉を持ちかけられたら、無下にはしないって聞いたからね」

笹橋の残したあの資料に書かれていたことの一つ。


「ええ、そうよ。シルヴァクヲックはどんな交渉でもひとまず相手の要望を聞くのよ。それが、任務成功の鍵になるかもしれないから。それで、要望は私の裏切りでいいのね。具体的なのは?」


「ただ、僕のいうことを聞いてくれ、それだけだ」


「そう。それで、貴方は何を得られて、私に何の得があるのかしら」


「僕は、この街を出るための交渉とちょっと復讐で一発かましてやろうかな、ってそれの成功率の向上。そして、君には、僕の四年後からすべての人生を君にあげるよ」


「貴方、やっぱり馬鹿じゃない。それに何よ、四年後って」


「すこし、外の世界にやり残したことがあるから、それの粛清に。どうだい、君は四年後の僕を好き放題にできる。苦しめて殺すのも良し、間髪を容れずに首を切断してコレクションにするも良し。君たちの大好きな『ヒトの物語の終わらせ方』を行える」

あの志士織と呼ばれた人以外、この街にいるシルヴァクヲックのメンバーは人を殺すことで快楽を得ると資料にはあった。この提案が彼女に響くことを祈ろう。


「だけど、四年後には貴方が逃げ回って大人しく捕まることをしないのかもしれないじゃない」


「口約束だが、君が一方的にこの交渉を切らない限り僕は僕自身に誓うよ」

僕の言葉に葭原は手を顎に置いて考える。


「…すこし、昔話をさせて」

いきなり、彼女はそう前振りを言う。こんなことを言うなんて僕よりも彼女の方がおかしいのではないか、と思ってしまうがそれは口に出さない。僕も今、思えば意味不明な言葉を連発している変質者の一人だ。人のことを言えるはずもない。


「元々、私の家庭は一般家庭よりも荒れていた。母は良家の出身で、父は一般家庭からの出だった。よくあるテンプレートのように良家はその結婚は認めてなかった。いわゆる、駆け落ちというものよ。最初の方は良かったのよ。そう、私が産まれてきてから、それは一変した。子育てと いうストレス、費用。母は元々良家出身だから浪費癖があって、父は毎晩行われる夫婦喧嘩に疲れ、今まで飲んで来なかったお酒やタバコに手をのばし始め、一家の支出は増えていく一方。当然、祖父母からの仕送りはなく、一家崩壊の危機。それでも、支出は増え、夜も帰らなくなってきた。どちらも浮気相手を作り私の存在には目もくれなかった。 当然、作り置きなどなく、毎回冷蔵庫の中身を漁った。賞味期限も消費期限も関係なかった。ただ、腹にものを入れるために。餓死しないように。そんな生活が続き、闇金の借金もし始め、ヤクザの怒鳴り声が毎日聞こえる日々。私の心が崩れ始めその時には怒鳴り声も喧嘩も一種のコントラストに聞こえてきた」

彼女は、一拍おいてまた話し出す。


「そんなある日、一つの企業が家を訪問した。曰く、私を差し出す代わりに莫大な金を渡すとのこ と。その額を聞いた両親は舞い上がった。借金を返済してもまだあり溢れているぐらいの金額。普通ならその額を聞いても娘を売って契約しないはず。だけど、さっきも言った通りもう、荒れ果てていた、手遅れだった。つまり、私は見捨てられたのだ。

だけど、一つ不思議な点があった。 それは、一年後には私を元の場所に返す約束だ。親はいらない、と拒否したがそれができないと なると金は渡せないと聞くと渋々了承した。 元々、期待はしていなかったのになぜか、悲しかった、いや、哀しかった。寂しかった、心の奥 底がぽっかりと穴が空いた感じだった。 私は何をされるのか怖かった。けど、なにもされなかった。むしろ、好待遇だった。ご飯は美味しかったし、前はできなかった友達もできた。たまに、銃を使う訓練があったけど、それでも、あの家で生活するよりは楽しかった。 そこからだった。一年後、私はあの家に戻ってきた。いや、正確には戻れなかった。組織が無理 矢理、連れ込もうとしたとか、家へのルートを忘れたなどとそんなバカな理由じゃないし、むしろ、そこで屯っていたわけではない。なかったのよ。家が更地になっていたのよ。

残っていたといえば、地面にあった、土と砂利のみ。その、土ももう、両親のものではないし、 ましてや、私のものでもない。あの日、そうあの日。私が連れていかれた日に、私たち一家はすでに騙されていたのよ。 元々の原因はあの渡された金額。あのお金によって言い合いが起こった。そして、父が誤って母を殺した。そして、音信不通となった母を取り返すため、母の浮気相手が父と暴力事件を起こし、父と浮気相手は刑務所へ、そこで、母が殺されたのが知られ、父と浮気相手は殺人罪と殺人未遂 で牢獄へ。それを聞いた父の方の浮気相手は刑務所前で暴れ、捕まった。因みに、私は誘拐されている名目だった。 結局、私には何も残されていなかった。あの家も冷蔵庫の残り物で一人で始めて作って食べた美 味しくなかったけどまだ生きていると実感できて独りでに泣いたあのオムライスも、あの、ゴミで踏み場のない廊下も、何もしてくれなかった両親への憎しみや寂しささえ感じるどころか消えて無くなってしまったのだ」

彼女は、どこを見るわけでもなく、目を見開いた状態で話す。


「それを待っていたかのようにあいつらがまた現れた。今度は前と同じ慈悲深い顔ではなく、人を 道具とでしか見ていないような顔で。

そこからは流されるままだった。居場所を無くされ、否、壊され、残されたのはここのみ。使えないものだと判断されれば、消される。何事もエリートでなければ。何事も他の誰よりも最前線へ、次元を超えるよう勤しんだ。そして今、私はここに立っている。ここで貴方と話している。貴方を殺すしか私には残された道がない。一度、貴方を殺し損ねている。もう、失敗は許されない。私は貴方の命の上に立ってでも生き残るのよ。

これが、私の生きた歴史、生きた証」

彼女は深呼吸をして、自身を落ち着かせようとする。


「だから、私。人に裏切られるというのが一番嫌いなのよ。いえ、何というか。人に裏切られるのも中々胸にくるけど、何よりも人に何も言われずに置いていかれるのが一番イヤ。だから、私は命令されて初めて自分が生きていると時間できるのよ」

彼女はこちらを向き直す。


「だから、貴方からの提案。他人の人生を私が手に入れられる、ということは、私も思いもよらなかった算段なの。だから、私は貴方の交渉に乗ることにするわ」

彼女のいわゆる承認欲求というものだろうか。彼女は僕の提案に、賛成の意を示す。


「そう、ならこれから地獄の底までよろしく、葭原凛」

彼女に右手を差し出す。


「ええ、途中でのたれ死んだら、許さないから」

彼女は近寄り、右手を差し出す。それにつられて僕も手を前に向けて握手をする。交渉はここに成立した。


「良かったわね、これで私のやらなければならないことに永続的なものができたから、私の『使命がないと死んじゃう論』は回避できたよ。これで貴方が私を死なせないようにすることはできたようなものでしょ」

葭原は、冗談めかしにそんなことを言う。


「いや、だからあれは言い回しだから。それに、君みたいな人は相手の言葉を無視して、殺そうとしてくるからね。何か、印象に残るような発言がしたかったんだよ。そうすれば、すこしは僕の話を聞いてくれると思っただけだ」

両手を使って否定する。すると、左手に巻いた時計が目に入り、針はすでに十時をまわっていた。


「もうそろそろ、行こうか。集合場所はこの森の奥の研究所で十二時にであってるかな」

一応、確認のため葭原に訊く。


「ええ、正確には研究所内の二階にある大広間で行うわ」

研究所に大広間とは。


「そこは、講堂みたいにたくさんの椅子が並んでるの」


「いえ、ただ広いだけで何にもないわ。言うならば宴会場みたいなところ。本当にあんな場所、研究施設にいるのかしら」


「なら、問題ない。急ごう、早く綾杉さんに一発かましたい」


「あの人には一発殴ること自体難しいと思うのだけど」

やはり、そうなのか。だけど、彼女を傷つけられたからには幾らかは仕返ししたいのだ。

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