第二十六話 文化祭②
前を歩く彼女についていく。
何者も寄せ付けないその雰囲気は通常通りで圧倒的なオーラ(そう比喩するだけで、僕にはそんなものを感じ取れることはできないのだが)を出しながら、葭原は澄ました顔で歩く。
そのオーラ的な何かを他の人も感じたのか堂々と校舎の廊下の真ん中を歩いていく彼女を邪魔しようとする人はいない。
むしろ、彼女の姿を見て嬉しそうな人がいた。まあ、彼女も素直にいって美少女である。喜ぶのは普通なのだろう。
「それで、葭原さん。最初はどこへ行くのですか」
前を行く彼女に聞く。
僕の声が届いたのか、彼女は急に立ち止まり、ギリギリぶつかりそうになる。
彼女はそのまま、僕の方を向かない。
そして、また唐突に歩き出す。
「…そうね。時間帯からして『白鳥の湖』に向かうわ」
すこし歩くと、葭原はパンフレットを見ずに答える。
「すごいね、覚えているの」
「あら、当然じゃない。なにを馬鹿なことを言っているの」
いや、どれだけ文化祭で張りきっているんだよ。
「ところで、その、劇中に何か、飲み物が欲しいのだけれど」
唐突な案件がまた押し寄せてくる。
「お茶でいいですか」
「ええ、ほうじ茶をお願い。烏龍茶はダメよ、喉の脂が落ちてイガイガするから」
なんとまあ、細かい。いや、僕が大雑把なだけなのだろうか。
「開演まで後何分で」
「十分と十二秒、席は取っておいてあげるわ」
葭原は右手に取り付けてある光沢のある腕時計を見て、答える。
「じゃあ、また後で。すぐに取ってきます」
「当然だけれど、自腹よ」
わかっているよ、そんなこと。
その言葉を背に、グラウンドに向かう。今はこの前のダッシュ登校と違って上靴である。靴が足からすり抜けて自分が転ぶことはないだろう。
前を行く人に謝罪しながら、グラウンドの売店へと走る。
だが、グラウンドに近くなるにつれてその場所にいる人の密度が高くなる。
「いらっしゃい、ってお前は正座させられていた奴じゃねえか」
出店で働いている見知らぬ生徒に不名誉な名前で呼ばれる。
「ほうじ茶ってある」
「ほうじ茶か。ああ、一応、ある、けど、いや、ごめん。ないわ。売り切れていたよ。あっ、烏龍茶なら」
「いらないです」
なんと、運の悪い。
別の店を訪ねる。
「すみません、ほうじ茶売ってますか」
「あっ、お前、正座の奴っ」
もういいよ、それ。
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「あら、遅かったわね。ギリギリよ」
外の光がほとんど遮られ、黒に染められた体育館の真ん中で、葭原は一人で待っていた。
「色々な場所を探していたからだよ。ほら、はいっ、ほうじ茶」
「ありがとう、もちろん代金は支払わないわ」
なんと、横暴な。
先ほどまで走っていたためか、椅子に座った瞬間、疲れをいきなり感じた。
それで、と葭原は足を組みなおし、此方を向く。
「貴方、グラウンドの出店に行ってきたでしょ」
「うん、そうだよ。そこぐらいしかある場所が思いつかなかったから」
「貴方が行った店の周りにはなにがあったの」
「え、えっと、ポテトフライとか、焼き鳥とか、胡麻団子」
僕の返答を聞き、彼女はため息を吐く。
「あのねえ、さっきも言ったじゃない。烏龍茶の効果」
「効果って」
なにか、効果でもあったのか。
「そうよ、烏龍茶やジャスミンティーは喉についた脂を落とすの。だから、油物を食べるときにはそのお茶がうってつけなの」
ああ、なるほど。たしかに、僕の探していた場所に多数あったのは理解できる。
「それに、普通に自動販売機で買えばいいじゃない」
「…」
盲点だった。文化祭=出店という謎の式に囚われていて、うっかり調子に乗って出店だけを探していた。普通に自動販売機で買えばいいのに。
「まあ、いいわ。ほら、前を向きなさい、劇が始まるわ」
そう僕を促し、葭原は舞台の方を向く。
そこからは、普通によくある『ああ、文化祭だな』と思える劇が始まった。今回は吹奏楽部と共演しており、いわば、バレー経験者と吹奏楽者たちの土壇場だと言っていい。
バレリストが儚く、優雅に舞い、それを支えるように、いやともに踊るように合奏が体育館を駆け巡る。
やはり、文化祭特有のどこか、物足りなさを感じるがそれでも、この場所の雰囲気をガラッと変え、観客を虜にしていた。
芸術を語るには僕はまだ何もわかっていないのだが(むしろ、疎いのだが)、それでも、この光景は美しいと思えた。
「面白かったですね、劇」
「そうね、私も意外だったわ。人間ってあそこまで華麗に舞えるのね」
すこし、ズレているような感じが。
「えっと、公演時間ってどれくらいかかるのでしたっけ」
「四十五分よ。だから、今の時刻は十一時ちょうどといったところかしら」
なるほど、微妙だ。
「どうしますか、出店の方に行きますか、それともお化け屋敷か」
「…出店の方に行きましょう。三十分くらい居ても飽きないと思うわ」
葭原は顎に手を当て、答える。
というか、また行くのか、あそこに。
疲れが出たのか、顔がうまくまっすぐに向かない。だが、葭原はそんな僕を置いていくかのようにどんどんと人混みに紛れていく。ただ、僕は彼女に必死についていかなければならないのだ。
何度か、見失いそうになるも、彼女の長い黒髪を頼りに追いかける。彼女の髪は別段、特別ではない。しかし、どこかアウラを感じてしまう。
「というわけで、着いたのだけれども、なにかオススメはあるのかしら」
葭原は涼しい顔をしながら僕に問う。
「ちょっと、待って。まだ息が追いついていないっ」
『白鳥の湖』を見る前に来た時よりも三倍ほど疲れた、とどこか客観的に自分の体を思う。
「…、運動していながらじゃないかしら」
「そんなわけ、あるかっ」
お前が速すぎるんだよ。すこしは必死に追いかけている最中に人混みに呑み込まれ、体が潰される僕の気持ちを考えてくれ。
無理に体を動かしたせいか、妙に暑い。季節外れの汗が頰を垂れる。
「まあ、どうでもいいわ。で、どうなの、オススメ」
「パンフレットにっ、か、書いてある、と、思い、まあすっ」
息が切れることを感じながら、震える手でポケットに入れたパンフレットを取り出し、葭原に渡す。
「ふーん、なるほど。この『名物為縛カレー』と『激アツッ、お雑煮』が食べたいわ、一緒にいただきましょう」
鬼畜かっ。
「冗談よ。すこし、貴方のためにお水を持ってきてあげるわ」
…女神か。
「この近くの下水道から」
そう言い、葭原は離れていく。
「…」
……。
冗談であると思いたい。
ふと、暇になり、スマホを開く。為縛街は街全体にWi-Fiが完備されているため、山奥の中に入らない限り、インターネット上での会話ができないことはない。
「って、あれ。これって、笹橋」
笹橋から、着信があったことに気づく。
深く考える。そして、背筋に冷たい汗を感じるようになる。
そう思えば、自分は緊急買い出し係であり、いついかなる時でも笹橋の要望に応えなければいけない。
すっかり、忘れていた。
バレエなぞ、観ている暇などなかった。
幸いなことに、十一時二十五分に着信履歴があったと、液晶画面はやはり、冷静に僕に伝える。
震える手でメール内容を読もうとスマホの画面を押す。
『暇そうな焼きリンゴくんに用事、という名のボッチからしたら、このイベント中ではありがたみ、としか感じられない素敵な用事。という用事を授けよう。二年一組の教室に来てね』
意味がわからない。
買い出しの用事ではないことに安堵するも、文章の内容が自分の脳にうまく読みこまれず、何が言いたいのかさっぱりわからない。
だが、馬鹿にされていることだけは伝わってくる。誰が、ボッチだ。こっちには綿引がいるんだぞっ。
「どうしたの、そんな難しい顔をして」
「ひゃっ」
葭原がまともな天然水入りのペットボトルを僕の頬にいきなり当て、スマホを覗き込む。
「あ、ああ。笹橋から一旦、教室に来ないかって誘いが来たのだけれど、行くか」
そう、問うと、彼女からペットボトルを受け取り、蓋を開け、水を口に含む。うん、たぶん、天然水だ。
「貴方はどうするの」
「どうするって」
「行くか、行かないかよ」
「もちろん、行くよ。行かなければ、後で何をされるか分かったモノではないし」
「…そう。なら、私も行くわ。『海喫茶』が最終的にどう変わり果てたのか知りたいもの」
「果てるんだ…」
「なら、行こっか。ちょうど、向こうに行って、帰って来れればお昼時だと思うから」
「そうね、ここは混雑するでしょうね」
「嫌味かよ」
「嫌味よ」
「…じゃあ早速行こうか」
「ええ」
すこし、緊張する。なにせ、二年一組はもう笹橋胡春という悪魔の占領地となってしまっている。なにが、起こるか分かったものではない。
ただ、無事に帰れることを祈ろう。
「さて、着いたはいいけど…」
目の前の光景に言葉が出なくなる。
『海喫茶』は僕の予想以上に繁盛しており、今も長蛇の列が存在していた。窓は全て黒系統の布地で隠されており、中の様子が全くわからない。
「どうするの、これ」
笹橋は列に並ぶ人を鬱陶しそうな見ている。
「とりあえず、笹橋に連絡をとるよ」
携帯を取り出し、笹橋に連絡する。
無難に、『着いたよ』でいいだろう。
数分、葭原と待っていると、見覚えのある茶髪頭が近寄ってくる。
「わっ」
笹橋は、僕の目の前で止まったかと思うと、いきなり両手を上げて驚かせにくる。
「なに、やっているんですか、笹橋さん」
「いやあ、焼きリンゴくんを驚かせようと思って。それよりもさ、これどう、どう思う」
彼女はその場で一回転回って全体像を見せてくる。
笹橋は、水着を着ていた。
淡い栗色のような髪の毛とマッチさせたかのように明るいオレンジ色の布地にすこし花の絵柄がある美しい、というよりも可愛らしい、を体現したワンピース型の水着。その上から真っ白なパーカーを彼女は羽織っていた。
ビキニなどよりかは露出は少ないはずなのに、ただ、それらを纏っているだけで、どこか色っぽい雰囲気を醸し出しているようにも思える。
「えっ、えっと。すごく良いです」
「ふふ、ありがとう」
「えっと、えっと」
なにか、話題を変えるため急いで頭を働かす。
「ほ、ほかのみんなも水着を、着ているの」
「ううん、全員ってわけじゃないけど。ある程度の人は。だって、これは『ビーチ喫茶』ではなくて『海喫茶』なんだから」
「…ああ。そういうことか」
水着を着ているだけでは、そこはただのビーチかプールでしかない。
しかし、この喫茶店の名称は海をベースとしたもの。
「じゃあ、サメとかの人もいるんですか」
「もちろんっ。あの映画に影響された人が本気で作ってね。あまりにもリアルに作りすぎたから、学校に許可もらえなかったのだけれど」
ほら、あれ。と本来、閉じられている後ろの扉を開き、笹橋は指を指す。その方向には一人の男子生徒がゆるキャラのような可愛らしいサメがちょこんと乗った帽子をかぶっていた。
なんだよ、あれ。
「ほ、他には」
「後は…、ああっ、あれ、乙姫様やロブスターの格好したり、あとは亀に、ワカメ」
ふーん…、ワカメって。
急いで見直す。たしかに居た、ワカメ。奇妙に揺れていて、たまに動きが激しくなっている。本当になんだよ、ここ。
「そう思えば、葭原さんも居たんだ」
笹橋は思い出したかのように、言う。
「そうよ、今日は彼の奢りということでお邪魔させてもらっているわ」
あながち、間違っていないので、言い返すことができない。
「ふーん、そうなんだー。ふーん、ふーん」
「なんですか」
「なーにも、別になんとも、思っていていませんよー」
なんだよ、この人。
「まあ、いいや。私も奢ってもらおう」
嫌だよ、絶対。
「そんなことよりも、もう君たちの席は用意してあるから、早く早くっ」
彼女は無邪気な子供のように僕たちの手を引き、堂々と後ろから入っていく。
僕はいったい、何をされるのだろう。
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