第二十五話 文化祭

雑用に、雑用を。指で数えられないくらい言い渡され、それら全てを終わらしたのは予定よりもすこし早い、文化祭二日前だった。

文化祭前日まである、と笹橋に言われ、『ラスト一日だっ』と喜びながら学校に来たものの、儚矢君が予想以上に頑張ってくれたおかげで雑用は全て終了したのだった。

儚矢君、ありがとう。君のことはわすれないよ。


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目が覚める。

地学教室C。なにもすることがない生徒たちの溜まり場。今は、混雑を避けるため、ほとんどの生徒がこの部屋ととなりの地学教室Bで待機している。


今日は快晴。気温は九月の平均よりすこし高め。寝るには最適な温度であり、海で遊ぶ時もこれくらいが丁度良いのではないか。入ったことがない人間が言ってもただの戯言たわごとであるのだが。

両手を重ねて上へ伸ばし、凝った体を和らげようとする。

現在時刻は朝の八時半。八時十五分頃に校門のゲートが開かれ、多くの人がこの高校の文化祭を見に来た。

後、五分で生徒の待機時間は解除される。そう思っても、なにもすることがない。いや、何もできない。どこにも長居はできないのだ。

自分は緊急用の買い出し係。だから、いつでも動けるようにしなければならない。だが、ずっとスーパーマーケットで待機させられないだけ優しいほうなのだろう。


八時二十分。生徒たちは雪崩れるように教室から出て行く。昨年よりも勢いが強いそれは、あっという間に廊下のほとんどを占領し、それぞれ行きたい場所に向かって行く。


もちろん、誰もが今回の文化祭を楽しみにしている。

テーマは『青』からの非公式に変更されて『海』となった。


山に囲まれた為縛街は、海から遠く離れており、この街を出ること自体、厳しい審査を通って行かなければならない。

そんな面倒くさいことをせずに海、というものを満喫できる。それは、この街に住む人たちにとって共通した願いでもあった。


四階に上がり、非常口に出る。避難時に有効活用されるよう、すこし大きめに作られた非常階段からプールの方を見る。


周りは砂で覆われ、プールもこの前、使った時よりも二倍ほど大きくなっていた。よく、そんな費用がでたなあ、と何気ないことを考えながら、眺める。


海、と呼べるには違和感があるものの、水着に着替えた人たちは楽しそうに水の中で遊んだり、砂の上で話している。


近くには、売店もあった。たしか、フランクフルトやかき氷が売っていた、と記憶の片隅にある知識を引っ張り出す。


太陽は爛爛とプールの水面を照らし、それがよりいっそう海らしさを表現する。

天候までも味方をしたこの文化祭は過去最高に成功した、と言える文化祭になるのだろう、と他人事のようにまた思う。


非常口を閉め、廊下に戻ってくる。


「さて」

声に出しながら、制服のポケットに入ったパンフレットを取り出す。


カラフルな表紙から始まり、事細かく、されどわかりやすく。ちょうど人の興味の引く場所をうまく使いながら、完璧に仕事をしている、パンフレットだった。

なお、作成者は儚矢君、一名のみ。

これも、彼の仕事の一つだったのか、笹橋さん以外に言われてやらされたのだろう。

本当にかわいそうだ。


「えっと、なにがあるかなあ、っと」

パンフレットの中から今行われているイベントを探す。


体育館では、オープニングオーケストラ。グラウンドでは、露店。そして、仮設舞台では、ダンスが行われている。そして、各クラスの出し物。そのほかにも色々、行われているのだが、自分が注目したものをもう一度眺める。

うん、どこも面白そう。


行ってみたい場所が多いが別に今日、すべてをまわらなくてもいい、と思い出す。為縛高校の文化祭は二日かけておこなわれるため、初日にまず、楽しみ、その次に行けなかった場所へ二日目は行く。

昨年は笹橋にボロ雑巾のように扱われ、楽しめなかったため、今年は昨年の分まで満喫しよう、と心のどこかで思っていた。


一度、この文化祭の中心にある中庭に行く。そこは、吹奏楽部が合奏をするステージがあり、その観客席は木の影で日光が遮られているため、こんなすこし暑い日には過ごしやすい場所となっている。


ゆっくりと校舎から出て、早足で中庭へ向かう。緑色の木々と真っ白な校舎の配色で心安らぐような気持ちになるのだが、校舎による光の反射が暑がりなの僕の体温を上げてくる。寒い日も嫌だが、やはり暑い日も嫌いだ、汗がうざったらしい。


「あれ、葭原さんじゃないですか」

木の影ですこし暗くなっている部分に見覚えのある顔をみつける。

彼女、葭原は僕の声が聞こえたのかすこし肩を揺らす。彼女は先ほどまで読んでいたであろう本をパン、と軽やかな音をたてながら閉じる。そして、不気味なものを見るように僕を見る。


「葭原さんは、何をしているの」

葭原の座っているベンチまで向かい、彼女の右隣に座りながら話しかける。


「貴方の目は節穴なのかしら、これを見てわからないの」

葭原は手に持った文庫本を手首で揺らし、こちらをギリッと睨む。


「ああ、うん。いや、本を読むのならクーラーのかかった地学教室で読めばいいのに何故、ここでよんでいるのかなって」


「そうね、その通りだわ。理由としてはただの気紛れよ。ほら、いつも同じ場所にいたら、気分が悪くなるじゃない」

たしかに、そうだ。面倒くさがりな僕でもたしかにそういう判断をするだろう。


「まあ、ここはある意味、読書に一番適している、と言っても過言ではないからね」

木陰の丁度良い暗さ、吹奏楽部の心地よい演奏、目が疲れた時に顔を上げると、人工物と自然の織りなす景色。教室で読むよりは百倍くらい良いだろう。


「葭原さんはこの後、どうするのずっと、読書なのか」


「そうね、たしかにそれもいいけれど。すこし廻ってみたいところがあるからすべての時間を読書に費やすことはないわ」


「ちなみに、どこに行きたいの」


「昼食を食べるためにグラウンドと、先輩方が体育館で行うバレエ『白鳥の湖』。あとは、一年のどこかのクラスが開催しているお化け屋敷ね」


「へえ、バレエは好きなのか。それとも、チャイコフスキーのほう」


「いえ、ただバレエとはどういうものか、一度味わってみたかったの。お化け屋敷も同じ理由ね」


「えっ、行ったことないのっ。お化け屋敷」


「そうよ、何か悪いかしら」

いや、別に悪くはない。だが、この街で経験がない、というのがおかしいのだ。


「葭原さんは、この街の外から来たの?」


「…そうよ。それが」


「いや、だから、ないのかなって。お化け屋敷の経験」

中学校から今にかけて、お化け屋敷のなかった年はなかった、と記憶している。ただ、それは毎年行われているだけで、行ったことがない人は行ったことがないのだろう、とすこし失態をおかしたことに恥ずかしくなる。


「僕はこの街から出たことがないから、よくわからないのだけれど、どういうところなの、外って」

葭原は困ったようにこちらを見る。目は合わさない。ここで目を合わしてはなにか面倒なことになりそうだから。

すこしして、葭原は、太腿の上に置いていた本をその場所から退かし、横に置く。


「貴方の中では、その、外は、どういうイメージなの」


「うーん、知らないからなあ。もう少し、この街より人通りが多くて、うーん、そんなところかな」

葭原は動かない。


「まあ、ある程度は合ってるわ。だけど、この街ほど優しくはないわ」


「優しく、ない」


「ええ、犯罪も多いし、自分たちの欲のために人を蹴落としては、ほかの人々にやられるという醜い争いは絶えなくて、国家間ではいつも論争が起こっている。いつ全世界で戦争が起きてもおかしくないくらい歪んでいるわ」


「それほどかあ」


「それほどよ」

すこし、斜め上を見る。だが、視界はどこも校舎の白色で覆われている。


「この前はごめんね」


「この前」


「ほら、君に変なことを言って困らせていたこと、」

「いたっ」

言い終わる前に、左足のふくらはぎに激痛が走る。


蹴られた予想される方向には元凶であろう葭原がこちらを睨んでいた。


「いや、だから、ごめんって、いてぇ」

二回目。もう一度、彼女に蹴られる。


「貴方のせいで私はあの時気分は最悪だったのよ」

言葉を放つたびにどすどすと足を踏んでいく。

痛い。笹橋にアイアンクローをされた時並みに痛い。あの痛みが蘇ってくる。


「わかった、ごめん、ごめん、ごめん、ね、だからね、ちょっと、あっいてぇっ」

感覚が麻痺しているように感じる。

視覚だけが正常に働き、それに映るのは規則正しく左右に揺れている綺麗な黒髪だけだった。


「ちょっ、ちょっと、待って許して、お願い許して、なんでもいうこと聞きますから」

なにか、プログラムされた機械のようにいきなり、彼女の足踏みが終わる。


「貴方、なんでも言うことを聞いてくれるのかしら」

あれ、これは男性が言うシーンではないのだろうか、と一瞬、現実逃避する。


「わたし、今日財布を家に忘れたのよ」

葭原は両足を子供のように前後に揺らす。


「はあ」

もう、だいたい分かってしまった。分かってしまう自分が、いや、そう言う結末にしてしまう自分が嫌いだ。


「だから、今無一文なのよねえ」

「貴方の使命、分かったかしら」

やはり、彼女の財布係になれ、ということか。簡潔に言って、最悪である。


「それで、許してくれるのか」

「まあ、そうね。それでいいわ」


「じゃあ、さっさと行きましょうか」

立ち上がり、彼女の方を見る。

しかし、彼女は立ち上がることはなく、僕に手を伸ばしているだけだった。


「なんですか」


「決まっているじゃない、私が立つのを手助けするのよ、貴方は」

どこの少女漫画だよ。


「貴方にお金を支払わせるだけじゃないに決まってるでしょ」


「執事、みたいなものですか」


「嫌よ、貴方なんかにご主人様などと呼ばれるのは」

こちらこそ、願い下げだ。


「さあ、行くわよ……下僕」

葭原は顎に手を置きすこし考えるような様を作り、その思考結果であろう、言葉を放つ。

整った顔立ちにロングの黒髪。どこかの深窓の御令嬢と、言われていても納得できる容姿をもつ彼女からの発言はより実感を増していた。


「もう、どうとなれ」

今の僕には、彼女の後をついていくことしか選択肢は他にない。



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