第二十一話 開野と綿引
一悶着のあった昼休みの次の授業が音楽であった今日から本格的に事件について調べることにした。気持ちの折り合いもつき、だいぶ探偵ごっこを始めるには遅すぎるスタートだが、これ以上悩んでいても自分ひとりで心の中で解決できるものではないし、ここで終わったとしても不自然があまりにも多すぎる。
ただ、江川さんを殺害するためだけに動いたのならまだしも、最近起こった不審者の出現と関係性がないとは限らない。
簡単に侵入できる学校であるべきではないし、もし学校内に犯人がいたとしても野放しにしてはならない。その人が歯向かってきたのなら遠嵐先生に頼るしかないのだが。
まずは、その時公衆のまえにいなかった人たちから犯人を捜していくしかない。放送室の調査は後回しだ、安易にあそこに入れるわけではない。
まずは、今日日直である綿引を捜す。
彼から、音楽室に持っていかなければならない出席簿をみせてもらい、その時間帯、犯行の起きた時間に誰がいなかったかを探し出す。
ほかのクラスの分は開野に調べてもらう予定だ。彼は他学年、他クラスに多くの知人を持っている。彼ならそれくらいのことはできるだろう。
なぜ、こんな遠回りなことをするかは自明である。
僕みたいな一般の何も知らない生徒が事件の起こった日付について調べていたら、だれであっても僕のことを怪しむだろう。
まだ、大半の生徒が残っていると予測する二年一組に向かう。もう次の授業までの時間が残り少ない。
階段を上がり、高二学年のフロアに着く。
「おおっ、噂をすれば、ご本人登場だ」
一人目。捜していた人物の声が真後ろから聞こえる。
「やあ、開野。元気そうだね、今ちょうど君を捜していたんだよ」
「ああ、俺らもおまえのことについて話していたんだよ、ヤキリ」
開野。彼は僕みたいな特定の人としか喋ることができない、という奴ではなくむしろ反対で、どんな人たちとも連絡先を交換して、すぐに仲良くなってしまうある種の天才だ。
「別に僕について何か噂があるわけでもないのにか」
「いやいやいや、噂っていうよりも実体験だよ。ほら、今日おまえ、あの笹橋に正座させられていたじゃないか」
ああ、普通に忘れていた。そう思えば堂々とやらかしていた。
「あれは、あれだよ。ただ、お仕置きをくらっていたってだけで」
「えっ、お仕置き、って公衆の面前でのお説教っておまえそんな体質だったのかよ。ごめん、俺にはまだ早すぎたわ」
「おい、何を勘違いしているのかわからないが、君の言葉から僕はマゾヒストではない、ということだけは言っておく」
「わかっている、わかっている。言葉の罵倒ではなく、拳で殴ってってほしかったんだろう。ごめんな、もう俺ら友達になれそうになれねえわ」
「おまえ、あとでおぼえていろよ」
彼と一緒につるんでいた奴らもこそこそとしゃべらないでくれ。『あいつ、ドМだったのかよ』とか『えー、見損なったわー』とか。
「で、ヤキリは何の用だったのかい」
「ああ、全クラスの出席簿が欲しくてな」
「おいおい、それはあまりにも犯罪臭がするぞ。というか、難しい、なんだ、また厄介事か」
「まあ、そういうことだな、できるか」
「うーん、写真でいいか?あと、いつの日のヤツだ」
「九月二十五日、ちょうど一週間前だ」
「ちょうど、ということだから水曜ってことか、わかった。聞いてみるよ」
「このことは内密に頼む。もちろん、教師にもだ」
「ああ、そんなこと、最初っからわかっているっつーの」
「それなら、よかった。君たちも頼む」
一応、つるんでいた人たちにも頼んでおく。『おう』やら『あー』とかしか、返事していないが。
「それじゃあ、次音楽の授業だから、もう行くよ」
「おう、俺らも遠嵐先生の授業だからな。遅れたら心臓が消し飛ぶ」
げらげらと開野は僕の肩をたたく。
「じゃあ」
「おう」
短い返事を彼は返す。
――――――――――――――――――――――――――――――
「いたっ、おーい綿引ー」
声をかける。
「なんだ~い。正座させられていたー、ヤキリ君ー」
「なんだよ、その不名誉な名前」
「それなら、焼きリンゴ君が~良かったかーな」
「どっちも嫌だ」
なぜ、だれもリンゴにしたがるのだろうか。
「それで、何のーよーだい」
「出席簿を見せてもらいたくてね」
「出席簿、日誌じゃーなくてー」
「ああ、いま、持っているか」
「うん、一応ー。今日は~日直だからこれも音楽室にー持っていかなければ~ならない~しー」
そう言いながら、机の中に手をいれ、いろいろと出していく。
「あったよー、よいしょっと」
彼の手から黒いカバーの簿記を渡される。
「ああ、これ。ありがとう」
彼に感謝しながら九月二十五日のページを探す。
「なになにー、ヤキリ、もしかして自分の好きな子がいつどの授業で休んでいたか、とか知りたいの。もしかしてそんな趣味持っていたんだー、幻滅〜」
隣で出席簿を覗きながら、綿引が冗談を言う。
「すごく、デジャヴを感じるのだが」
「デジャヴ、もしかして~、さっき開野っちと話してた~」
「ああ、なぜわかったんだ」
「それは~今のー。開野っちのマネをして~君に話しかけていたからだよ~」
いやったー、と綿引は両手を上にあげ、にこっと笑顔をつくる。
「え、なにそれ、まったく気づかなかったよ」
「うーん、僕もーまだまだ~、精進がーひつよーかなあ」
綿引はそう気の抜けた話し方でしゃべりながら一緒に覗く。
「あー、二十五日ってー、あの日かあ。あのー変な放送の日の~」
「そう、その日だから…」
名簿を下から順にみていく。
「あの時の授業は体育だから、えっと君と僕と…」
綿引、月見里、の名前の欄に『保』と書かれた文字。それを頼りにほかを見ていく。
「ああ、葭原さんと名月さんはー、休みーだったね~」
「ああ、ほかには、」
その上を見ようとする。その時、教室中、いや校舎中に聞き覚えのある音楽が流れる。それは、聞き間違えることのない、予鈴の軽やかな曲だった。
「もう、そんな時間か。綿引、これは僕が届けるから先に行ってくれ」
「ええー、だいじょーぶー、君遅刻してばっかりじゃん。怒られるの、僕だからね」
痛いところを突いてくる。
「そんな遅刻してばっかりじゃないし」
「そう、ならいいや。じゃあ、ばいばーい」
こちらに手をふりながら、素早く彼の姿が消える。
「で、改めてほかに休んでいた人は…」
そう独り言を言いながらもう一度、下から見直す。
綿引、葭原は欠席、月見里、名月も欠席。そして。
時間が止まったのかと思えるほど静けさに見舞われる。浸透する予鈴、つんざくような生徒の会話、意思をもたないものでも主張することを絶えない机と椅子。そんな学校特有の、どんな壁であっても打ち壊す音音でさえ、僕の耳に届かない。目の前に書かれた文字にすべて、とらわれてしまう。
瞬間。もとの景色、もとの音が聞こえる。彼女だけが犯人とは限らない。ほかのクラスにも休んでいた人がいるだろうし、まず生徒の中に犯人がいるとは限らない。
僕はただ、その犯人らしき不審者を見たか、などとただ聞きたいだけだ。
出席簿をぎゅっと胸に抱きしめて急いで音楽の授業の用意をする。
もう、ほとんど教室に生徒はいない。
―――――――――――――――――――――――――――
「今日はまず、この歌を聴いてもらいます」
ぎりぎり授業に間に合う。いつものギターの授業ではなかった。
「先生、ギターじゃないんですか、今日」
やはり不満なのかすこし棘のある言い方でクラスメイトが先生に言う。
「いやあ、ギターの故障が多すぎて一度、業者の方に点検してもらってましてね。いま、後ろの棚を見てもらえばわかると思いますがほとんど在庫がないのです」
ごめんね、と音楽の先生、椎名先生はぺろっと舌を出す。さすがは『教師で可愛いランキング』堂々の一位。あれを天然でやっている、ことにも最初は
驚愕しかなかったがいまはただ、かわいいとしか思えない。
「だから、この歌を聴いて、どう感じたのか今日は書いてもらおうと思います」
椎名先生は白紙の上のほうに大きく感想と書かれた紙を列順に配り分ける。
「この曲はもともとイタリア語で書かれていたものでその歌詞の一部や題名の一部が英語に変わったものが世界で大ブレイクをおこした歌です。皆さんの中にも聞いたことがある方もいると思います」
そう、言い終わるうちに前奏がスピーカーから流れる。ああ、よくある曲だ、と自分は楽器に関しては素人だが、そう思いながら聴く。
言葉で言い表せない流れるような音楽は少しずつ鳴りを潜めてゆく。音量がイチとゼロの境目くらいまで小さくなると、ゆっくりと、いや素早くソプラノであろう、歌手が歌い始める。彼女の声はどこか悲し気で、そしてどこか嬉しそうに、自分には聞こえた。一つ一つが繊細で儚く、それでも芯の強い歌声。
僕には発することも表現することも今後できることはないだろう。だから、すこしくやしさを感じてしまう。あそこまで自分の声は人の心に浸透することができるのだろうか。
前半が終わったのだろう、テノール歌手らしき人が歌いだす。
やはりか、彼の声を聞こうと思っても耳に残ることはない。
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