第二十話 説教
まだ、ほのかに暑い頬にそよ風が吹いて、どこか冷たい感じが額にあたり全体を伝う。しかし、その風の冷たさをもう、感じることはできない。刻々と時が進むにつれて徐々に体温が上がっていくのをなぜか、感じる。最初は冷たかった教室のフローリングも結局は自分の体温で温まる。呼吸するたびに首が閉まっていくように思えて極力、息を吸わないようにする。
そこは、明るさと暗さが極端に差のつく場所だった。そこは、社会学習という名の地獄だった。そこは、養豚場といってもいいくらい。腐った場所だった。
ここは、教室だった。
ここは、公開処刑するには十分すぎる効果を持つ場所である。
そよ風は、クラスの女子によって窓が閉められたためもうあの冷たさを感じることはないだろう。
時間がたつにつれて人が集まってくる。だからである、ここは公開処刑に最も適している、ということは。彼ら、彼女らはこそこそと僕を指さしながら、友人、恋人、または見知らぬやつと小声で話す。堂々と、話せコラ。いいよ、別に、僕がわるいんだから。僕が悪かったからっ。うう、それ以上隠しごとのようにこそこそと話さないで。
だが、それもそのはず。だれも、大きな声で言えるわけがないことは僕でもわかっている。
両隣に感じる偉大な存在感を放つ机を横目で見る。その存在感が僕だけに、よりいっそう緊迫感を感じさせる。
今まで、下を向いていた顔を少しずつ上げる。
そして、すぐにまた下を向く。
意外と近くに彼女、笹橋の顔があり、緊張してしまう。その顔はむすっとしており『私、不機嫌です』と一瞬で分かってしまう怒りの表情であった。
「ねえ、なんでさっきすぐに下を向いたの。ねえ、なんで」
びくっと体が無意識に震える。こわいよ。
「いや、えっとね、うん、その。さっき笹橋さんの」
「ふつうはさ、人に怒られているときは目を合わせるよね」
またもや、びくっと震えてしまう。
ゆっくりと顔を上げるとやはり彼女の顔は近かった。何か良い匂いがする一方、彼女の顔は笑っており、しかしそれは自愛の笑顔ではなく、どこまでも冷たい微笑みだった。
「で、なんで」
「ひっ」
『なんで』の語尾に音符マークがつくくらい軽やかなかんじであるのに。なぜだろう、すごく冷たくて、重い。
「あの、ただね、聞いてほしいんです」
「うん、私は優しいから、聞いてあげるよ」
ううん、全然優しくない。むしろ怖い、殺される。
「僕は、笹橋さん、貴女から承った任務を遂行したにすぎないんです。貴女は勘違いしているだけです」
「ふーん、私たちが買い出しに行っている最中に君が葭原さんを口説いていた、堂々と。これのどこが勘違いで任務なのかなあ」
「いや、だから、それが任務だって」
「誰が口説くことが任務って言ったかなあ?」
「ひっ」
後ろに般若が出現していてもおかしくないほどの圧倒感を発する彼女に僕は数秒、何も言うことができなくなる。
「えっと、口説いているっていうのがですね、そもそもの間違いで」
「だけど、葭原さん。すっごく顔を真っ赤にしてさっき飲み物を買いに行っていたよ。これについて説明は。
…あの顔、絶対に惚れているじゃない」
「笹橋さん。なにか言いました?」
「うるさい、黙って質問に答えなさい」
彼女の最後のほうの言葉が小さすぎて聞こえず、彼女の聞く。しかし、相当不機嫌であるため、弁解でもないただの質問にさえ、彼女のあたりは強かった。
「……」
……。
「返事は」
「…はい。すみません」
笹橋さん、こわいよ。
周りからは地面に座り、深々と土下座をする僕に憐れみを感じたのか、はたまた見られていることに羞恥をおぼえたのか、彼女の口から呆れのため息が聞こえる。
「まあ、いいよ、許してあげる。どうせ、そんなところではないだろうと思っていたし。だって、焼きリンゴくんにそんな芸当できるわけないしね」
「うぐっ」
笹橋の誤解は解けたものの、なにかと、傷をえぐられる。
だが、ここで反論してはならないことを僕はよく知っている。ここで言い訳すれば、絶対にカウンター攻撃がやってくる。
例えば、『はあっ、俺だってそれくらいのことできるしっ』などと言えば、『じゃあ、彼女を意図的に口説いたのだね』と後から理不尽なお説教タイムに移行し、また『そうだよ、僕は意気地なしだよ』と言えば、『おやおや、そんなこともできないなんてコミュ力もくそったれもないね』などと、返されるだろう。なんか、もう詰みな感じがしてきた。
「はいはい、みんな解散っ解散っ。教室に戻って次の授業の用意しよっ」
笹橋の声に応じてほかのクラスの人たちがぞろぞろと各自の教室に戻っていく。
「君も、さあ立って」
「…はい」
少し感覚が麻痺している両足を無理やり動かす。足に力を入れるたびに妙な振動が足に発生して数秒痛みで動けなくなる。
「もう、こんなに汚して。だめだよっ、衣服は汚れるためのものだけれど、自分から汚しに行っちゃったら」
「いや、貴女が地べたに座らしたのだからね」
「うん、なんのことかなあ」
さっきまでいなかったはずの般若が後ろに見える。包丁を研ぎながら器用に目を合わせて、『いつでもお前を殺せるからな』と言っているような含みのある笑いをしてくる。
「あっ、はい。すみません、何もありません」
当分、彼女には頭が上がらないだろう。
「で、ほんっとうに、口説いてないのね」
「はい、口説いてません。なんなら、神様にでも誓います」
「ほんとうに」
「はい」
「ほんとうに」
「はい、本当に」
「ほんとーに」
「…、はいほんとうです」
「あっ、今ためらったっ。やっぱり嘘だったんだ」
理不尽すぎる。というかウソの見分け方が子供じゃねえ。今どきの小学生でもこれはしない。
すこし、彼女の未来を心配してしまう。
「む、なんだい、その目は。なぜ、君はそんな慈愛あふれる目でみるんだ?おーい、きいてるかーい」
「なんでも、ありません」
「いや、そうじゃなくて、さっきの目について」
「そんな目はしてません。勘違いしないでください」
「いや、でもさっきのは絶対、」
「違います」
「いや、絶対に、」
「違います」
「ううん、」
「違います」
「…」
「…」
「もう、いいよ。みんなを騒がせた罰として、君に新たな任務を与えるっ」
ドヤっとポーズをしながらこちらを満面に笑みを浮かべる。
「いや、騒がせたのは大体貴女のせいなのですが」
「すこし、入り口の看板の装飾、そして、かけるのを手伝ってきてくれ」
「ああ、もう僕の声は完全無視ってことですね」
「そして、職員室から食物取り扱いに対しての申し込みの紙、とすこしばかり、黒のマジックペンを持ってきて」
切れてしまってな、と彼女は呟く。なら、さっきの買い物の意義はどうするんだよ。
「はあ」
「それと当日に来場者にわたす広告の作成がどこまで進んだのかの確認と、資材の発注ができているかのチェック、それと衣装の不備がないかを聞きに家庭科室にも行ってもらえる」
量が多い気がするのだが。
「あとは、うちのクラスから物まね選手権にでる子たちが二人。漫才大会に出る子たちもほかに二組で四人いるから、彼らの出場時間も聞いてきてね。それで、タイムテーブル決めるし」
「すみません、すこし多くないですか」
「うん、なにか言った」
やっぱり、見えているよ、般若。
あっ。なにか呟いている。なんだあれ、『お、ろ、い、え、や、う』。なにがいいたいのかさっぱりわからないが震えが止まらない。
「ささ、もう時間がない。早く行ったほうが身のためだよ」
「いや、だから多いって」
「ミノタメダヨ」
「はい、すみません」
教室をできる限りの速さで出る。ねえ、もう泣いていいかな。
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