第十九話 悪ノリ
文化祭は片滌先生のおかげなのか、順調に学校全体でことが進んでいる。
日もわずかしか顔を出さない早朝から、暗さが際立つ夕方まで文化祭ムードとなり、一致団結、一億一心、戮力協心と彼らは『ウオッー』と意味のなさない掛け声を張り上げながら学校全体はより一層、文化祭へと専念していた。
なにも、僕からしてみれば、おかしな話である。
少数しか知らないといえ、この学校では殺人が起きたのだ。いや、死者が現れたのだ。
そんな、学校としては一大事な時に文化祭なぞできるわけがない。まさか、片滌先生が本当に犯人だと信じていて、もう捕まったから、大丈夫などとは考えてはいないだろう。いるとしたら、その人物の思考が楽観的すぎて、僕の拳がその人物の顔面にクリーンヒットしてしまう。
「さて、っと」
二週間前にしては早すぎるであろう、校門の装飾を施している高三の先輩を教室から見下ろすことをやめる。
教室にはほとんど人がいない。
スマホを取り出し、アプリゲームを四、五人で円を作りながら、たまに、『ぎゃああ、爆死ーっ』と奇声をあげる人たち。そして、そんな彼らを指さしながら『アイツら、マジやばくね』と隠す気などなく堂々と言い張るカースト中級の女子勢。そんな、彼女らにぶるぶると端でちぢこまる男子生徒二名。
いや、君たち、どんなトラウマがあったんだよ。こえーよ。
なぜか、僕さえも寒気を感じてきたのだが。
そして。そんな彼らに目を向ける暇もない、我がクラス一番に働いている儚矢くんが自分の机に置かれてある紙に向かって『三十、かけるの三、足すの五十。くそっ、これじゃあ、予算が合わない。どうすれば…、これを抜けばおさまるが、こんなのでは。なにか、なにかいい方法はないのかっ!』と頭を抱えている。その反動で積み重なっていた栄養ドリンクが高い音を発しながら落ちてゆく。ねえ、もう誰か助けてあげて。
そしてそして。そんな彼らを怯えながら見るのが僕である。ほかのクラスメイトは笹橋に続いて三キロ先にある大型マーケットで買い物をしている最中である。お願い、早く帰ってきて。ちょっと怖い。
そんな悲惨な後ろに広がる光景が見ていられないため、顔を違うほうへ向ける。
そう思えば。
もう一人、この教室に存在していた。
葭原である。葭原 凛である。彼女はあの日から不通に登校するようになり、成績も授業に当てられればすぐに答えられるほど頭も冴えている。
しかし、変な読書の傾向はそのままのようでさっきまで『垓下の歌―項羽と虞―』と書かれた題名から察するに項羽と虞美人についての話であろうロマンティック系の本を読んでいたはずなのに、いつのまにか少女系のラブコメ漫画となっていた。どれだけもってきているんだよ、コイツ。
「なによ、何か私に用事があるの、自称コミュ力高い人」
じっと眺めすぎていたからか、うっとうしそうな声色で話しかける。顔はあわしてこない。
「こ、こみゅ、」
滑舌が悪く、うまく言えない。
「はあっ、貴方そんなことも知らないの。ほら、コミュニケーション能力の訳。コミュ障はわかるでしょう」
「あ、ああ」
なんとなく、わかる。あれだろ。コミュニケーション、しょ、しょー。なんだっけ。コミュニケーション症候群のことだろう、たぶん。ほら、あれだよ、あれ。ほかの人と話したくて仕方がない、と毎日感じてしまう的な。うん、全然わからない。
「で、何の用よ」
「あ、えっと、ほら、葭原さんって学校でどの役割を果たすか知らないでしょ」
「え、なに。しないといけないの。いやよ」
彼女の性格上、こうなるとはわかっていた。だが、ここで引いてはいけない。
「いやでも、ほら。ほかの人たちはやっているんだし」
「あのゲームをしている子らはそれならいったい何なのかしら」
あー、うん。
「あとで、必殺笹橋の拳骨が落とされるから大丈夫だよ」
あれで、いったい何人の負傷者が出たことだろうか。そしてあれを、何発僕は食らってしまったのだろうか。
「え、なにそれ、ほんと怖い。ちょっ、ちょっとなんでそんな急に黙ってそんな遠い目しているの。それって、私も食らう可能性はあるの」
そんなことを少し彼女は涙越えで言う。
そんなこと、もちろん。
「うん、もちろん」
「う、うー。や、やっぱりいやよ、そんなことでは屈したりしないわ。それに、なに怖気づいているの、私。今までの訓練を思い出しなさい」
「なにか、言った」
「い、いえ。別に」
なにか、ぼそぼそと言っていた気がするが今はどうでもいい。
「葭原さんっ」
「ひゃうっ」
彼女は驚き、俺の顔を潤んだ瞳で見る。その姿はまるで捨てられた子犬の悲しみの目のように僕の心にぐっと来た。というか、なに。『ひゃうっ』って、可愛すぎだろ、おい。
「だから、君にも手伝って欲しいんだ」
「いや、だから、私は」
「僕は君にしてほしいんだっ。君だけが頼りなんだっ。君にしか頼めないんだっ」
「わ、私にしかできない。私が、頼り」
「ああ、君しかいない。君のほかにはいないんだっ。ほかの誰でもない、君だけが欲しい」
「私だけがほしい」
「うん、ほかの人にしてもらうとか、以ての外だ。君が動かなくてどうする。世界が君を求めている。世界が君を欲しがっている」
「私を求めている」
「君を、頼らせてくれ」
その場のノリと勢いで彼女をそっと抱きしめる。右腕を背中を添え、左腕で頭を支える。さっきまで騒がしかった教室は静寂に包まれる。
「う、うん。私、頑張ります」
どうやら、決断をしてくれたようだ。何気にコイツ、ちょろいな。
ありがとう、と耳元でささやきゆっくりと離れていく。手がほどけていくたびに、一、二度、あっ、と彼女は悲しげな声を出す。
「内容は後日伝えるよ。ありがとうね、受けてもらって」
彼女のウルウルと涙ぐむ目と合わせて感謝の意を述べる。どこか、心、ここにあらず、という状態の彼女は心のこもっていない軽い返事をする。
さっきまで、いがみ合っていたクラスメイト達はこちらを見ながら、唖然とした表情をしていた。すこし、恥ずかしい。
彼女からゆっくりと距離をおき、堂々とした様子で教室から出る。出た瞬間に早足で廊下を移動し、階段を下りる。そして、一階と二階の間に位置する階段を半分まで降り、足を止める。
「大成功、さすがだな。笹橋は。」
さっきの発言が僕の本意であるはずがない。ただの彼女を勧誘するための演技だ。だが、多少はドキドキしてしまった。それは、そうだろう。あんなキザったらしいセリフをクラスメイトの前でクラスメイトに言ったのだ。恥ずかしくて当たり前だ。
彼女を文化祭に参加させて、楽しませたい、という笹橋の案には賛成だ。むしろ、そうでなければならない。だが、自分が不利を被るのもまた嫌だと感じる。
だが。それも仕方のないことだ。是非もなし、といえる。
少量の幸運を手に入れるには、多少の犠牲は必要不可欠であるから。その人子に尽きてしまう。
深呼吸をする。もう一度、深呼吸をする。もういちど、深呼吸をする。
それでも、のど元までにこみ上げてきたものが晴れることはない。やはり、恥ずかしい。
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