第十八話 凡人は能われずも、同類を近くに持つ。

その日、笹橋の気の済むまで胸を貸した木曜の夜は昼間のように気が昂ることはなく、だからといって、気落ちすることもなく、僕の心のなかは平静さを保っていた。

胸を貸した後、彼女は何か僕に言ったのだが、その内容をなぜか覚えていない。覚えなくて いいと勝手に自分の脳が判断したのか、綺麗さっぱり記憶に残っていないのである。

あの日の冴えていた頭脳はどこへ行ったのやら。

悲しいことに家で同じ問題を解こうとしてもその言葉がなにを説明していたのか一切わからなかった始末だ。


そんな、感情の高ぶりと落胆の激しかった日を前日とした金曜日。

片滌先生に会うために学校を三限が終わった直後に早退した。 別に片滌先生が心配で会いにいくわけではない。ただ、先生が本当に犯人ではないのか、聞きにいくだけだ。


自警団の本部の受付に足を進め、受付の女性に話しかける。


「すみません、片滌秀雄に会いたいのですが」


女性は驚きながらもカタカタとパソコンを軽やかに音をたてながら使いこなす。

「片滌秀樹、ですよね。ああ、いますよ。でも君みたいな未成年の子は会うことができない の、ごめんね」

やはり、会えないか。


「そうですか、すみません、」

先生にでも頼んでみるか、と考えながら返答する。


「あれ、灼梨くんじゃないか」

しかし、その思考は止められ、僕が言い終わる前に後ろから、声をかけられる。 振り向くと、初老の男性がアタッシュケースを片手に持って、にこやかに微笑んでいた。


「笹橋さん。お久しぶりです」


「うん、久しぶりだね。娘がいつも世話になっているよ」

笹橋。笹橋一哉。笹橋胡春の父親であり、この街を執り仕切る権限を持つ、偉い方だ。


「笹橋さんは今日どうしたのですか」


「少し、会議をね。この頃不穏なことが多いからさ」

殺人や不審者のことだろう。


「君は。今は学校のはずだと僕は記憶しているのだが」


「はい。片滌、担任の先生に会いたくて、早退したのですが。やはり、会えなくて」

笹橋さんに近づき、声を小さめにして話す。


「片滌、ふーむ。なにを話しに」


「本当に殺人を行ったか、どうかを」


「殺人を犯したということは機密だったはずだけど」


「遠嵐先生に問い詰めたら、教えてくれました」


「ふむ、遠嵐くんが口を割っていいと判断したのなら、別に構わないか。そこの君」

笹橋さんは受付の女性に話しかける。


「はいっ」


「この子の件、許可しておくれ」


「いいのですか、職権濫用ですよ」

心配になり、聞く。


「いいのだよ、こういう時に権利を行使しないと権利の意味がないからね」 意味がわからない。


「まあ、私はこの後、水質管理所に出向かわないといけないから、もう行くよ」


「そうですか。なにかと御迷惑をおかけしました」


「いいよ、大人は子供に迷惑をかけられてこそ、真価を発揮する生き物だからね」

やはり、意味がわからない。


「えーっと、そこの君。準備ができたようだから、話が終わったらそこの階段を上がって 305 号室に向かって」


受付の人が遠くからこちらに向けて大声を出す。


「そうみたいなので、失礼します」


「うん、行ってくるといい」

その場の雰囲気に押せられ、少し小走りに階段を駆け上がる。 何度か、階段を上り、三階に着く。壁に館内の見取り図が表示されており、そこから、305 という文字を探し出す。


「あった。ここを左に行って、その次を右、か。よし」

順番に歩いて行き、305 のドアを開ける。


「君かい」

中には、質素な机が置かれており、その上には束になった書類がかさばっていた。椅子に座った男性は僕を少し見上げて言う。


「はい、僕です」


「そのドアの先に彼はいるから。面会時間は十分だ、一分前に終わりの合図を出すから、そ れを確認してくれ」


「わかりました、ありがとうございます」

礼を言い、ドアを開ける。


中は静かでよく、ドラマで見るような椅子と机、そして分厚いガラスの壁だけが存在する部 屋だった。その反対側にも対面した感じに椅子が置いてあり、それに、見知った顔がこちら を向いていた。


「お久しぶりです、片滌先生」


「...ああ、君か。確か名前は、月見里だったな」


「はい、月見里です、覚えていたのですね」


「ああ、月見里はな。少し聞き覚えのある名前だったからな」


「そうなんですか」

あまり、深くは聞かない。


「まあ、それくらいだ。明確に覚えてないと言うことは大したことではなかったのだろう。 それで、俺に何か用があるのだろう」


「貴方もなにを問われるのか、もう気付いているでしょう」


「まあ、大方、この状況だからな。俺が殺人を犯したかそうでないか、だろう」


「正解です。あまりにも現場の雰囲気がおかしかったので」


「まあ、俺からしたら、あらぬ疑いをかけられただけなのだがな。だって俺はその時、その部屋の一階上の準備室にいた。カメラに映っているはずなんだがな」


「……、それじゃあ、やはり貴方は」


「俺はやってない。だが、それを証明する手立てもまた、ない」


「そう、ですか」


「俺も最初は抵抗したよ。だが、この街に来たばかりなのか信用度はゼロに近い。自分のこ とだからそう感じるのかもしれないがことが進むのが早い、と感じたよ」


「そう、思えば、お前のことも今、この瞬間疑問に思った」


「なにか僕、やらかしました」


「まあ、やらかした、という言うのならばやらかしているのだろうけど。お前、このことをして、なんの利益になる」

利益、とは。


「ほら、お前がこの事件をもし解決したとしてもお前自身に何か利が生まれるとは考えにくかったからさ、あっ、もしかして、お金が貰えるのか」


少し、悩む。自分は何のためにこんなことをしているのか、自分をこの事件に深く介入しよ うと思った理由は何なのか。

片滌先生を助けたかったから、じゃない。江川さんの仇をとり たかった、わけでもない。

ただ。


「僕は、死体を見ました。別に、亡くなった江川さんとは親しい間柄でもありません。だけど、僕は死体を見た。彼は、苦しい表情をして宙にぶら下がっていた。そんなものを見れば、 誰でも胸が苦しくなります、誰もが解決に奔走せざるを得ない使命感を持ちます。僕もその 一人です」


「胸が苦しくなる、ねえ。だから、行動を起こす。なるほど、お人好しなようで。まあ、いいか。お前もアイツみたいにその類いなのかもしれないな」

その類い。


「その類いって何のことですか?それにアイツって」


「絶望に明け暮れるやつ、と絶望に打ち勝つために前に走り続けるやつ。たいていはこの二つ。で、お前は後者の方だ。あと、『アイツ』ってのは俺の弟のことだ。俺よりも優秀で真面目で気遣いのできるやつで、あとはお人好しで」


「アイツのせいで、いや、アイツのために俺はこの特異な街に左遷された。ここでは、あらゆることも介入ができるし、それによって、この事件は起きたのかもしれないな」


「別に特異、ではないですか、この街は。普通に人間が生き、経済が発展し、それに」


ふと、つい最近の光景が浮かび上がる。肌寒い地で誰かに黑く冷たいものを額に押し付けられる景色。


「もしかして、ここがここがなにかの実験ってものを研究する都市。だからですか」

今まで虚だった目に目を見開くことにより、彼の目は光に反射する。


「お前っ、なぜそれを知っている。この街の人間にはほとんど知られてないはずだ」


「ええ、つい先日まではこのことは知りませんでした」


「と、いうことはサツか、アイツらか、くそっ。でも、どっちだ」

片滌先生は顔を下げ、ブツブツと呟く。 その瞬間微妙に強い光が僕の目に入る。

その方向をみると白い岩で磨かれたであろう机の ある一箇所だけがガラスになっておりそこに『一分前』と表記されていた。


「先生、もうそろそろ時間だそうです」

先生に伝える。


「そうか、もうそんな時間か。ならば、月見里、俺はお前にこの街についてもう手遅れだが 答えてやれることができない。だが、そんな俺でも信じてくれるなら、二つほどアドバイス だ。一つはもし、誰の目にも憚れることのないこの街からの逃げ道を見つけたらそこからすぐに逃げろ」


彼は、真剣な眼差しでこちらを射殺さんとばかりの目力と共に話す。


「嫌です。そんなことできません」


「ああ、わかっている。だから二つ目だ。どんなに辛くても、どんなに絶望に浸ろうとも、 動け、足掻けっ、抵抗しろっ。それだけだ、いいな」

最初は頭のおかしい先生だと思っていた。

自分がどんな戦いのセンスを持っているか、そん なことを教えてくれるちょっとイカれている人間だと思った。

だけど、それ以上に。


「はい、肝に命じておきます」


「おい、時間だ」

こちら側からも向こう側からも同時に扉が開き、同じような屈強な人たちが入ってくる。


「では、またいつか」


「...、ああ」

それ以上に、彼に親近感を覚えてしまう。

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