第十一話 鮮赤の序章
一組の三限目の授業、つまりは僕のクラスにおいての次、というか今の授業は結果のところ体育だった。彼女、笹橋の話によると今は国語のしかも漢文の授業であるはずなのだがトイレからの帰還後、明かりのついていない二年一組の教室を覗いてみると案の定誰もおらず多数の男子制服が脱ぎ捨てられている光景が目に飛び込んできた。どの机の上にも漢文、ましてや国語関係のものは置かれていなかった。
つまり、オチというか答えというか推理結果というか。
僕はまたしても笹橋に嵌められた。今回は、多分僕に漢文という情報を脳の隅から隅まで行き渡らせ僕の頭の中の次の授業のコンテンツを改変したのだろう。まったくもって恐ろしいものだ、というか凄いものだ。
僕から話をふったのにその間に新たな仕掛けを作るとは。そのためのシンキングタイムだったのかもしれない。ボロが出るとはやはり、天才といっても元は人間なのだろう。
というわけで僕は三限目を休むことにした。いわゆる、ズル休みというやつだ。
三階にある教室からはや足で欠席を伝えるために職員室に向かった。
現担任の片滌先生は栄養ドリンクが大量に置かれた机からクマのすごい顔をこちらに向け、なんだ、と訝しげにこちらを睨んできた。
用件を伝えると、先生は「ああ」と言った後ロボット、というか機械のように作業を顔色変えずに(顔色を変えていないのではなく、ただげっそりした顔だった)作業にのめり込んでいた。最初の威勢はどこに行ったんだよ。そんな、様子の先生に心配の目線すら興味の視線もない、目もくれていない他の先生方もおかしいのだが。
職員室を出て廊下の行き当たりの保健室に向かう。保健室の扉を開け、保健室の先生から渡されたボードに挟まれていた紙に症状などを嘘をつきながら書いていく。当然ながら体温は三十六度五分、と一般的な平熱だった。
保健室のベッドを使わせてもらい、横になる。どう、これからの悪戯を乗り越えていこうかと考えていたところ、保健室の先生が事務室に呼び出されていった。
「と、いうわけで〜、ひゃっはー、灼梨」
「どういうわけで『ひゃっは〜』なのか、お前がなぜ保健室にいるのか疑問しかないのだが、まあ、やあ綿引」
いきなり、となりのカーテンが開いたかと思うと見知った顔の人物が僕と同じように横になっていた。というか綿引だった。
綿引伊吹。僕の親友、というよりも腐れ縁に近い仲だ。相変わらずの眠たそうな目に、光によって暗い青色に見えるボサボサの、一種の芸術とも思える髪。初めて出会った頃から身長以外は何一つ変わっていないと感じる青年、というよりかは少年に近いやつである。
「おいおい〜、なんでそんな冷たいんだ〜い。僕たちのー仲じゃ〜ないかー」
「……なんでいるんだ。サボりか」
「サボりといえばー、サボりーだけど〜。君が、笹橋さんに〜、だーまされていたからー」
綿引は言葉を伸ばしながら理由を述べていく。
「毎回思うのだが、その喋り方なんとかならないか」
「これは〜、僕の〜ステータスだから〜、むーずかしーなー」
「それってできるってことだろ」
「で、なんで気づいていたんだ。気づいていたのだったら教えてくれればいいのに」
「そりゃ〜、僕も〜好きだからだよ〜」
「笹橋のことがか?」
「ん〜、ううん〜。そこじゃーないよー。君をーいじることが〜ね、ほら、彼女もー、いじっているし〜、気が合うーみたいなあ。まあ〜、あれだよー。イジリ仲間なーだけ〜」
綿引は足で上にかかってあった毛布を蹴りあげ、上を向きながらぶっきらぼうに言った。
「お前ら、喋ったことあったか?」
「ないよ〜。あれだよーあれ〜、話さなくても〜お互いを理解しあえるーやつ。アイコンタクトみたいなの〜」
言うならばエアコンタクト〜。と、綿引は天井に向かって手を上げながらそう言った。
エアコンタクト。言葉からしてその場にいるだけでお互いの心のうち、とはいかないものの相手の人物の考え、思考、その話しのルートをお互いに共有できる、一種の人間だからこそできる、超能力の次元に匹敵する能力。
笹橋と擬似的に分かり合える、笹橋と間接的に同じ感情を抱ける、笹橋と、笹橋と。笹橋と気持ちが重ねられる。
後には嫉妬だった。今の僕には、否、いつになっても僕は他人に他の感情を抱けない。妬みしか心には残らない。なぜ、彼は出来て僕にはできない。なぜ、彼は彼女と分かり合えて僕にはできない。なぜ、彼は僕よりも優秀なんだ。なぜ、僕は人よりも劣っているんだ。
やはり、彼も天才なのか。
天才は凡人がいなければ天才ではない。誰かの言葉だ。僕が凡人である限り他は天才なのだ。
僕が半端者である限り、僕が、僕の心が腐っている限り。僕は堕ち、他は上る。
だから、最後には嫉妬しか残らない。僕のやるせない気持ちが残るだけ。
世界は僕に優越の快楽を教えてくれないようだ。
やはり、自分の自虐は疲れる、心が痛い、張り裂けそうだ。何度味わってもこの心に残ったドロドロは無くならないようだ。
だけど、この妬みのドロドロがどこから出て溢れているのかはわかった。僕は誰かが彼女のそばにいることを妬んだ。僕は誰かが彼女の隣に立っているところを見て妬んだ。僕の胸が張り裂けそうなのは僕に彼女への恋慕があったから。
僕は彼女に恋をしている。
この想いに理由なんてない。ただ、好きなのだ。
「お〜い、お〜い、おーい。大丈夫かー」
どうやら、深く考えすぎて他が聴こえてなかったようだ。
「ああ、すまん。ちょっと考えごとをしていたわ」
「その考えごとが〜何かは〜わからけど〜、あんまりふかぁーく考えちゃ〜ダメだよー。灼梨、すご〜い怖い表情を〜してたからー。そう、ふかぁ〜く考えちゃう時は〜、たいてい勘違いだからー」
綿引は勘が良すぎるのか、自分の先ほど、考えている内容の概要を当ててしまう。やはり、嫉妬する。だけど、この感情は間違いでない。きっと。
そう、考えるとなんだか肩の荷が降りたかのように軽くなった。これであっている。僕は彼女に恋をしていたんだ。
「ああ、すまん。だけど、」
だけど、お前は一つ間違っているぜ。と、言おうとした瞬間、視聴覚室からの校内放送が流れた。視聴覚室からの放送特有の音楽が流れたのだから間違いないだろう。
「ーーー」
それは水の音だった。水が滴れ、一つ一つ水滴が床で跳ね返る様子が目に浮かぶように感じる。
僕にとって、僕たちにとって新鮮な音だった。ここは為縛街。山の中だ。当然用水路は通っているがあまりにも珍しい。それに、今は授業中だ。
いや、そういうことではない。
珍しい。珍しい、ではない。それではなくなにかが違う。珍しい、のではなくゼロに等しい。ゼロに等しい、のではなく、ない。ない、のではなく。
保健室の扉を勢いよく開けて、廊下を走る。三階にある連絡通路を使うため階段を駆け上がる。
「おい、月見里。なぜ、お前は授業を受けてねえんだ」
途中、二年五組の前で遠嵐先生に出会う。
「理由は、僕について来ればわかります」
別に理由なんて勘づいてもいない。だから、そんな風に曖昧な返答する。後ろでなにか言っているがそんなことはどうでもよい。
そんなこと、気にしない。
全速力でもう片方の校舎に向かう。
ない。
ない、のではなくできないのだ。
視聴覚室には多くの電子機器が置いてある。その中で水をこぼしてしまったら感電する危険性もある。そんな場所で水が弾ける音がする。それは、もう危険とかではなくむしろ異常、緊急事態なのだ。
なんとか、転ばずに視聴覚室前に着く。遠嵐先生も後ろからついてきたようで僕よりも疲れた気配はなく腕を組んで、威圧がすごかった。まるで偉丈夫だ。
「で、ここになにがあるんだ」
先生は圧を強めて僕に言った。
「わかりません。ただ、たぶん異常としか言えないと思います」
先生はそうか、と言うと視聴覚室の扉を見直した。
ゆっくりと視聴覚室のドアノブに手をかけそっと回す。
視聴覚室は誰も使ってないせいか真っ暗であまりよく見えない。唯一の光源である窓は開いていて少し寒い風を僕に向けて吹いている。ちょっとずつ先生とともに入っていく。奥に入っていくほど窓からの光で明るくなり、埃もあまり気にならなくなった。
放送部屋の方もなにも異常がなく、ただただ静かだった。先生の説教をいまから受けるのだと知ると恐怖のあまり嫌な汗がブワッと身を包む。
「せ、先生。な、なにもなかったっすね。あはは、ちょっと今回は、えっと、あの」
先生に許しをこうために、機械のようにゆっくり後ろにいる先生の方を向く。
「月見里。それ以上こっちを見るな」
先生の声が遅かったのか。僕がただ耳が悪かったのか。この場が悪かったのか。日頃の行いが悪かったのか。
場所、というよりも状況が悪かったのか。
言うならば、タイミング、または時代が悪かったのだろう。
先生の目の先には首を吊った死体が規則的に。
不気味に。
顔を見られないように、見せないように。
ぶらりと。ぶわりと。
赤黒い地面に浮遊するように。
存在した。
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