第九話 喫茶店

火曜日になる。理科の実験から学校生活が始まる今日はその授業はなく、また、理科だけがないということでもなく、学校が休みとなった。


新担任となった片滌先生に自宅学習の理由を聞いたのだが『知らん、黙れ、』とだけ言われ、相手にされなかった。おおよその理由としては彼のげっそりとした顔と仕事机に栄養ドリンクが二、三本置かれていたところから察するに先生という立場が、意外と疲れたのだろう。


しかも、生徒にあの天才がいるときた。彼の仕事の半分は笹橋が巻き起こした新たな嵐の尻拭いとなっているだろう。


そう、笹橋が起こした、海喫茶、というか今年の、文化祭委員が決めたスローガンが効力を失くし、『海』、と『青』以上に難しい上位版となった今、これをどう進めていくのかという議題が今日、この火曜日に学校で行われる、と他クラスから聞いた。


というわけで、いきなり休みにされた今日、何も予定を入れることができなかった僕なのだがいつも機械のように必要最低限のことでしか動いていないので自分が行ったことのない所へ行ってみようと思う。思い立ったが吉日、僕は自転車に足をかけ、文化祭に役立つと思われる喫茶店へ行こうと考えた。


この喫茶店は学校内でも比較的人気のあるところでなんとも出される紅茶とコーヒーゼリーが美味しいとか。なぜそこでコーヒーゼリーなのかは疑問なのだが調べてみたところショートケーキなどの他の菓子類は普通に売っているそうだ。しかし、行ったことのある知り合いに聞いても何も答えてくれずただ顔を背け、しつこく聞くと『ああああああっー』と叫んでいった。それほど、僕と話すのが嫌だったのか、と何気に心を痛めた僕がそこに突っ伏していた。


嫌な記憶を思い出しながら自転車で坂を上る。既に九月の半ばといっていいぐらいの時期なのに青白く光る空と陽炎が見えているせいか、まだまだ暑くなっていくように感じる。背中に汗が伝っているのを感じながら坂を上って自転車を前に進ませ続ける。


「いらっしゃいませ」

そう言われながら店内に入るとちょうど良いぐらいにクーラーがかかって涼んでいて額の汗を手の甲で拭き取りながら初老の男性に案内された席に移動する。


「ご注文はいかがしましょうか」


「じゃあ、このコーヒーゼリーと紅茶を」


「紅茶はホットにしますか、それとも冷たいのに。また、レモンをおつけしましょうか」


「冷たいので。レモンもお願いします」

淡々と進んでいく受け答えに一種の安心感を覚えながら注文をする。


改めて店内を見回すと外見と同じくアンティークっぽく濃い茶色をメインとした天井やフローリング、壁は乳白色をしていて誰か知らないおじさんの写真が大都会の写真とともにかかっていた。


キッチンと思わしき方から店番が変わる時の声かけらしきものが聞こえる。まだ体が火照っている僕はひんやりとした冷気に身を委ねて軽く目を閉じた。


「おっ、青年じゃないか」

ついさっき閉じた目を素早く開け、聞き覚えのある声のした方を向く。


「……、クマさんじゃないですか」


「そうだ。可愛い子には金の札束を。イケメンにも金の札束を。そして、弱虫には鋭い包丁を、系人間のクマさん、じゃなくて綾杉さんだ。覚えておけ」クマさんこと綾杉さんはキリッとポーズを僕の席の前でとった。若干、目は眠そうだった。


「そうでした、綾杉さん。ここは新しい仕事場ですか」


「うーん、まあ、君から見たらそうなるか。なあ、聞いてくれよ、青年。あの後すぐ潰れちまってよ、あのコンビニ。なかなかに良い優良物件だと思ったんだが、なんでかなあ」


「そりゃあ、潰れるでしょ。あんな普通に店のものを勝手に開けて食べたりしたら」


「それが、私だからな。なんとかなる、なんくるないさ」


「なぜ、そこで沖縄の方言」


おっ、沖縄は知っているんだとぼやきながら、彼女は僕の前の席に座る。


「まあ、ここもだいぶ前から雇ってもらっているんだけどな、金の支出がやべえんだわさ」


「貴女、二個仕事を掛け持ちしていたんですか」


「正確には四つだがな」


「マジですか」


「ああ、大マジだ」

彼女はダルそうに体をぐでーん、と椅子に座りながら手足を伸ばした。


「ちなみに、ここの仕事もきつくてさ、ケーキ作りとかもう、難しい」

それにこの服だしさ、と彼女は自分のバーテンダー衣装の先を持ってピラピラして見せてくる。

たしかに、まだ、会って二度目だが彼女の性格からしてそういうキチッとしているのは彼女には向かないと思う。


「ケーキ、作っているんですか」


「まあな、だがなんとも上手くいかねえんだよ、資格とかとったのに。だけど、コーヒーゼリーは上手くいくのにさ」

なにげに、資格を持っていることに驚き、当たり前であることに自分に呆れる。


「じゃあ、楽しみです」


「うん、そうか、お前頼んだのか。なら、楽しみにしとけ。ぜってーうめえからな」

紅茶と来るからまあ、待っとけ。と、綾杉さんはニヤニヤしながら言った。


「まあ、作り置きだけど」


「作り置きなんだ」

思わず、また驚く。


「当たり前だろ、なんもおかしくないだろ」

綾杉さんは首を傾げる。


「それでさあ、本当にめんどくさくてな。たまには、客もビックリするやつが欲しいだろうと思っていちごジャムの代わりにタバスコとかケーキの上に虫の形をしたお菓子を置いて驚かしているんだよ」


「あんたかっ!通りで評判が悪いと思ったよ。僕がみんなに嫌われたかと思ったよ」

またもや、驚く。


「なに、クレームがきたら、新メニューだとか、おまけだとか言っとけば十分だよ」


「うわぁ、客の敵だよ、全く」


「けど、評判いい時もあってな。顔をホクホクにして帰っているところを見たことがある」


「それ、絶対タバスコ入れた時でしょ。辛くて仕方なかったんでしょうよ」


「辛いアンド甘いのコラボレーションは最高なのにな」


「絶対、そのセリフを出した客に言わないでくださいよ」


すると、キッチンから彼女を呼ぶ声が聞こえる。


「ちょっと待ちな。今、お前のコーヒーゼリーにタバスコかけてくる」


「絶対、やめてくださいよ」


「冗談だってよ」

カラカラ笑いながら彼女はキッチンの方へ向かう。


それと、同時に店のドアが開かれる。暫くすると、フローリングで軽やかに鳴る足音が聞こえてくる。


「ここ相席、いいかな」

そこには、いかにも優しそうな顔をし、整った灰色の髪をした男が立っていた。


「あっ、はい。いいですよ」

今、店内は混んではいない。むしろ、客は僕しかいない状態である。怪しい、とは思いながらも許諾する。


「ありがとうね。よいしょっと」

彼はさっきまで綾杉さんが座っていたところに座る。


「ほら、青年。お前の注文したやつ持ってきたぜ、ってお前は」


「やあ、ベ……、じゃなくて綾杉」


「…なんでお前がここに」


「ああ、少しばかり君に用事があってね」


「そうか、コイツとの相席の理由は」


「別に。面白そうだなっと思っただけだね」


「えっと、お知り合いですか」

僕は追いついていってない脳を無理に働かせて聞く。


「そう、だな。コイツは上蹴坂晴海、一応俳優、つったっけ、をしている」


「うん、合ってるね。よろしく、君の名前は」


「月見里。月見里灼梨です。俳優しているんですか」


「あれ、知らなかったんだね。てっきり知っているんだと思ってた。僕もまだまだ精進しないとね」

上蹴坂さんはちょっとがっかりとした表情でそう言った。


「いえ、僕が知らないだけで級長は知ってると思います」


「そう、かね」

彼は顔を少し上げ微笑んだ。なるほど俳優になってもおかしくない優男だ。


「君も難儀なものだね、よりにもよって僕たちと先に会っちゃうなんて」


「そんなに悪いことなんですか」


「いや、悪いことではないね。ちょっと心が痛むだけさ」

彼はとても悲しそうにそう言った。


「もう、それ以上は言うな。ネタバレだぜ、全く」

ネタバレ。ああ、ネタがバレるのか。


「ネタ、バレですか?」


「…ああ。そう、だけど、どう説明すればいいのかなあ?」

クマさんは天井を見ながらボヤッと言う。


「うーん、そうだね。すこし君たちの文化祭にお世話になるんだよ」

それに、対して上蹴坂さんはこちらと目を合わせて優しく諭すように言った。

「へえ、そうなんですか。知らなかったです」


「…まあ、そういうわけだから、君も楽しみにしといてね」

彼は器用にウインクしていった。

やはり優男だったか。


そう言って綾杉さんとともに彼らは出ていった。綾杉さんは仕事しなくていいんですか。


そんな濃い人たちによって忘れていた紅茶とコーヒーゼリーを楽しむ。確かに美味しい。だが、何かが物足りなかった。何かのピースが当てはまらない。何かがおかしいようにも感じた。


だけど、まず最初に。そう、最初に。上蹴坂さんみたいな優男になるために片目ウインクの練習を今日家でやろう。

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