第10話

 家に帰ってからずっと頭痛がしていた。

 だるくて、重くて、頭を使いたくなくなる嫌なやつだ。

 腹が減ってるのかもしれないと思ったが夕飯を食べても変わらず、むしろ満腹感が変な感じで圧迫感のようになって頭痛と二重のハーモニーになっていた。


 なにも考えないで寝ようと、風呂に入ってベッドへゴー。


 眠れない。


 目を閉じて、仰向けになったり横向きになったり、うつぶせになってみたりしたが、意識はずっとさえていた。


 暗い部屋で、何度も寝返りをうった。

 たまに枕元の時計を確認すると、三十分くらいしか経っていない。


 目をつぶってもただ目を閉じているだけにしかならない。

 やっぱり花村さんのことを考えてしまう。

 頭痛のせいで大して頭が働かないから、たくさんのことを考えられない。

 花村さんのイメージと、頭痛と、すこしだけ遠くなる意識。


 考えて。

 たまに時計を見て。

 考えて。

 

 ずっとくり返していた。



 ……。

 カーテンの間から明るい光が差してきた。

 まさか、と思って大きく開くと、もう朝になっていた。

 全然眠ってない。

 こんなことは初めてだった。


 五時まで、ベッドの中でねばってみたが、まるで眠れそうになかったので起き上がった。


 いったん起き上がると、眠気が完全になくなった。

 代わりに、頭を覆う、だるい感覚はむしろ増している。


 部屋にいるからいけないのか。

 着替えて、外に出た。

 散歩のつもりで歩いていたら、学校まで来てしまった。

 まだ五時半。

 到着してから、ちゃんと制服に着替えている自分に気づくという、やっぱりおかしな気分だった。


 もしかしてこれは夢で、本当はまだ家で寝てるのかもしれない。


 どっちでもいいか。


 俺はこれまでのように階段を上がっていって、屋上の手前についた。



 使われなくなった椅子のほこりを払ってそこに座る。

 すこしきしんだけれども問題はなさそうだ。


 ほこりっぽいはずなのに、空気が澄んでいるように感じられた。


 ぼうっとしていたら、花村さんがやって来る妄想が浮かんでいた。

 動画でも見ているみたいに、なんの意識もいらず、自動的だった。


 花村さんは俺を見て、ちょっと驚いた顔をしてから、階段を上がってくる。

 昨日の私はちょっとおかしかった、ごめん、という話をしてきて、俺はそんなことないと否定する。

 それからしばらく話をする。なにか決定的な話をしているような感覚だけがあるけれども、もやもやと、なにを言っているのか、言われているのか、二人の感情はどうなっているのか。

 具体的なことは全部あいまいだった。

 花村さんの姿は消える。

 もう一回妄想動画が始まる。


 こんなものか。


 これから俺はもう、花村さんとは交わらない生活になるんだろう。

 もったいないというか、残念な気持ちだったが、悪くない数日だった。



 頭が重い。

 妄想を見るたび、重くなっていく気がする。

 眠いわけじゃない意識の重さは、しんどい。


 そのとき、遠くから規則的な音が聞こえてきた。

 だんだん近づいてきて、もしかして足音か、と思う。

 階段を上がってきているようだ。

 こんな時間に誰だろう。教師はこういう、巡回のようなことをしなければならないんだろうか。


 そんなことを考えていたら、足音が四階で止まらない。

 え?

 足音は、まだ上がってくる。

 ここへ来る?

 なんだ?

 こんな時間にこんなところにいるところを教師に見られたりしたら、俺はなにかまずいんだろうか。

 どうしようかと焦るばかりでなにもできないまま、人影が、屋上前に通じる踊り場に現れた。


 花村さんだった。

 ほっとした。

 妄想か。

 聴覚まで侵食してきたらしい。


 俺たちは無言で見合っていた。

 さっきまでとはちょっと導入が変わっていた。

 バージョンちがいまで用意されているのか。

 俺の妄想は高性能。


「おはよう」

 花村さんは言った。

「おはよう」

「今日、早いね。まだ五時……、五十分だよ」


 花村さんは一回深呼吸をして、階段を上がってきた。

 椅子をゆずろうと思ったら、自分で用意した椅子のほこりを払って、それを俺の椅子に並べて座った。


 俺も、自分が座っていた椅子に座りなおした。

 ふたりで、階段に向かって座っていた。


「鈴木くん」

「なに」

「なにしに来たの?」

「なにって、なにも」

「なにも?」

「花村さんのことを考えてたら、眠れなくなって」

「ふーん。そういう思わせぶりなことを言えば、またさわれると思った?」


 今度の妄想は、言葉がはっきり聞こえてくる。

 進化が止まらない。

「いや……。俺はもうさわるつもりはない」

「なに?」

「俺は花村さんが受け入れてくれてると思ったからさわってただけで、だから別に、さわらせたくないと思ってるなら、さわりたくない」

「ほんとかな」

「俺は……」



「俺は、こんな、こういうのも初めてだから。これくらいの仲の良さになれた女子がいない。胸とか、そういうレベルじゃない。クラスで必要な会話以外の話をしたり、そういう女子。モテない以前に、関わりがないんだ。そういう人たちとは、別のレーンを泳いでる、みたいな。だから、胸をさわれるっていうのは大事件だけど、朝の学校で話をしたり、休みの日に、全然ちがう場所で会ったり、そういうことも大事件だったんだな、って思って。いま考えれば」


「花村さんが、俺に、前にあったすごい嫌なことを話してくれたのも、大事件だった。胸をさわれるよりも、かもしれない。そんな話、俺は、男友達とだってしてない気がする。だからとても大きかった。すごく、とても。だから、さわれるかどうかは大きいけど、他にもいくらでも大きなことはあった。同じクラスの女子の胸をさわるっていうのは、すごく大きいことなんだけど、小さいことでもある。そういう感覚かな」



 妄想相手だとわかっていても、話してみると、自分でわかってなかったことがあった。

 人に話してみると頭の中が整理されるっていうけど、本当なんだな。

 整理が必要な内容なんて、学校の授業で指名されたときの発言しかなかったかもしれない。

 あとは、回避回避。

 そんな人生だ。



 横を見る。

 花村さんはまだそこにいた。

 長い妄想だ。


「話すだけで、そんなにうれしい?」

 花村さんは言った。

「そうだね」

「そう」

「花村さんは?」

「私がどうしてここにいると思う?」

「知らない」

「昨日話してどう思った?」

「さあ。もう、二度と会いたくないのかなって」

「二度と会いたくないなら、こんなとこにいないでしょ」

「でもそれは俺の問題だし」

 ここに花村さんがいるのは、俺の妄想なんだから。


「は?」

 花村さんはじっと俺を見た。


「なに言ってんの?」

「え?」

「私がどうしてここにいると思う?」

「俺がここにいてほしいと思ってるからじゃないかな」

「……自信たっぷりじゃん」

 花村さんは目を大きく開いた。


「あれ?」

 なんだかおかしい。


 妄想じゃ、ない?


 え?

 まさか。


「俺と、二度と会いたくない、わけじゃない?」

「なに? わざわざ言わせたいの? 鈴木くんと会いたい! って?」

「でも俺は、もう、花村さんになんの、その、メリットも与えられないけど。花粉症を止められるわけじゃないし、会いに来てもしょうがないんじゃ」

「それは最初からなんだけど」

「あ、そうか」

 俺には花粉症を止める能力なんてないんだった。


 え?

 じゃあなに?


「そもそも、なんで花村さんは……。ああそうか、俺が痴漢だって証明したいからか」

「そんなのいつまでも思ってるわけないでしょ」

「え?」

「最初だけだよ」


「鈴木くんがさ、私のこと考えて、胸さわってるってのはわかってるんだよ。つまり……、鈴木くんがバカだからだよ」

「バカ」

「頼んだらきっと、他のことだってやってくれるでしょ。レギュラーになって、全国行って、名古屋まで来てって言ったら、なんか来てくれそうだからさ」

「まあ、交通費とか半分出してくれたら行くかも」

「全額出せって言いなよ」

「ついでに旅行すればいいかと思って」

「ほら、バカだよ」

「バカかな」

「そうだよ。自分にはなんの価値もないとか思ってるでしょ。そういうところだよ。バカ。大バカ」

「実際、価値とかないし」

「あるよ」

「ないって。花村さんとはちがう」


 花村さんは、俺の座っている椅子の足を軽くけった。

 椅子が揺れただけだったけど、驚いて俺は花村さんを見た。


「あのさ。自分で勝手に、私には価値があるとか言っておいてさ。鈴木くん自身には価値がない、って断定してるの、なんなの? 鈴木くんは、誰にどのくらい価値があるかって決めていい人なの? 神なの?」


「私は鈴木くんに価値があると思ってるから会ってたの。でも、このまま、鈴木くんを騙したまま胸をさわらせてるのが嫌になって、勝手に無視して、でも話をしたくなって、でも、いざ話してみたらいろいろ思って、勝手に爆発してただけの、めんどくさい女なの! わかる? ねえ。鈴木くんはよくやってくれて、私が勝手に暴れただけなの」


「でも、俺は、俺だって、胸をさわりたいっていうのがあって、それがなかったらここまでしてないかもしれないし」

「それって悪いこと? 相手がさわってって言っててさわるんでしょ? 実は私は痴漢がこわかったから? そんなのわかるわけないじゃん! 私に問題があるんだよ。わかるでしょ? 練習しまくったってレギュラーになれない程度の才能で、人に迷惑かけてるだけなの」


 俺は、花村さんの言っていることをしっかりと聞いて。

 なんか、笑いがこみあげてきた。


「ちょっとなに笑ってんの」

「いや、別に」

 花村さんが怒った顔をしているのを見て、また笑ってしまう。

 笑ったらいけないと思うともっと笑えてくる。


「は? 鈴木くん?」

「ごめん、ごめん」


 やっと笑いが落ち着いたころには、花村さんの顔がすっかりきびしいものになっていた。


「ごめん。なんか、めんどくさい女とか、勝手に爆発とか、迷惑かけてるだけとか、たしかに、って」

「はあー?」

 花村さんがにらんでくる。

「いや、ほんとに」

「ほんとに、じゃないんだけど。なに言ってんの?」

「くっくっくっ」

「まだ笑ってるし」

「ごめん」


 俺は頭の中がすっきりしていることに気づいた。

 重く、だるい感覚が消えている。


「花村さんって、なんか、毎日印象が変わる」

「ああそうですか!」

「明日も会いたい」

「はい?」

「毎日来るから、花村さんが来てもいいと思う日があったら、顔出してくれないかな。もっと話がしたい」


 花村さんは、あっちこっちと落ち着かないように目を泳がせたあと、立ち上がった。


「鈴木くんは、なんなの!」

「え?」

「気が向いたら来てあげる! じゃあね!」

「話は、もう終わり?」

「明日でもいいんでしょ!」

「……うん!」


 俺も席を立って、一緒に階段を降りた。

 音楽室へは、渡り廊下を通って行く。その分岐点まで。


「わ」

 そう思ったら、四階に思わぬ人がいた。

 

 黒川先輩だ。


「どうしたんですか、こんなに早く」

 花村さんが言った。

「それはこっちのセリフ」

 黒川先輩は、じろりと俺を見た。


「あ、どうも」

「あの、ちょっと彼とは花粉症の相談ていうか」

 花村さんが言いかけると、黒川先輩は首を振った。


「階段ってけっこー、声、響くよ。特に静かな朝は。長話はやめときな」

 そう言って、俺の肩をぽんぽん、とやった。


「さわるとか、さわらないとか、やらしい話して」

「……!!」

「聞いてたんですか!」

 花村さんが言う。


 黒川先輩がせきばらいをした。

「『花村さんは毎回印象変わる。だから明日も来るよ……』」


 おいマネすんな!

 雑に言っていいやつとちがうぞ!


「他に朝練前練習してる部員がいないかどうか、このへん見ててあげたんだから、感謝してよ?」

「……ありがとうございます」

「よしよし」


 んじゃね、と黒川先輩は行ってしまった。



 花村さんが腰に手をあてて、後ろ姿をにらみつけていた。


「だめな先輩だ」

「黒川先輩って、口が軽いとか?」

「重いよ」

 口の場合は、重いじゃなくて堅いだと思う。

 言葉の方がおかしいのかもしれないけど。


「いい先輩で、だめな先輩」

「そう」

 ならきっと、いい先輩だ。


「じゃ、私も行くから」

 花村さんがカバンを肩にかけ直した。

「うん。あ」

「なに」

「カバン忘れた」

「どこに」

「家」

「はあ?」


 妄想の中にいるまま外出したせいか、すっかり忘れていた。


「鈴木くんもバカでだめなやつだったか」

「そのようです」

「めんどくさい女と、バカでだめな男。ちょうどいいね」

 花村さんが笑った。

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事故でクラスメイトのおっぱい揉んじゃったので土下座したら、もう一回とリクエストが来た 森野 @morinomorino

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