第8話

 朝。

 教室に花村さんが入ってきたのは、チャイムとほぼ同時だったので、まだ話しかけられなかった。

 花村さんは朝のホームルームが終わったのと同時に教室から出ていって、一時間目が始まるぎりぎりまでもどってこなかった。


 休み時間ごとに、それがくり返されていた。

 一言も話せない。

 考えることしかできない。


 昨日遅刻をしたのは全面的に俺が悪い。

 せめて誤りたい。いや謝りたい。

 と思うものの、花村さんの言っていたこともよくわからない。


『もうだいじょうぶだから』

 それで五千円の提示。

 これまで俺がやってきたことへのお礼、ともとれる。

 なんだろうそれは。


 揉めてお金がもらえるなんて最高じゃないか! 将来はそういう仕事がしたい!

 いやそういう話じゃない。


 一晩経ってちょっと冷静になった頭で考えてみると、ブチギレてるんだろう、と思う。


『レギュラーオーディションっていう大事な日だってあれほど言っておいたのにその当日に遅刻ってなに考えてんだどアホが! なめてんのか! ギリギリで出てきていまさら乳揉むって、もうこっちは今日はあきらめて薬飲んで準備しとんねん! オラ! これが手切れ金じゃ! この金持って、二度と顔見せんなアホ!』


 ってことだよな。

 それを、花村さんが穏やかに穏やかに穏やかに言って、もうだいじょうぶ、だったのか。

 ううむ。

 俺だって、遅刻したけどちゃんと全力で到着したじゃん! とか思ってて、昨日はなんかイライラというか、やるせなさ、みたいなものを感じていましたけれども。


 落ち着いて考えてみると、やるせないのは花村さんですよね。


 そうなると難しいのは謝罪だ。

 謝りたい。

 が、無理して花村さんをつかまえて謝るとする。

 それで得をするのは誰だ?

 俺だ。

 俺がすっきりするだけだ。

 今度俺が土下座したところで、花村さんが得るものはなにもない。

 なにかあるとすれば、俺を許す労力だけだ。

 しかもそれは、オーディションの失敗、を改めて思い返させることだ。


 花村さんが得をできる関係は、また俺が揉む、という関係にもどることだ。

 でも今後つきまとってくる大きな問題。

『大事な日に俺がまた遅刻するかもしれない』

 そんな爆弾は抱えたくないだろう。


 だけども、この失敗を今後の糧にすればいいじゃないか、とも思う。

 そもそも、花粉症の薬がいまいちだから俺の力を使おうと思ったわけでしょ?

 だったらそのスタートにもどってさ、二人で案を出し合って、よりよい揉みを考えていけばいいと思うんだよね。失敗を計算に入れてさ。


 これはまじで俺が揉みたい一心で言っていることじゃないですよ!

 まじめな話ですよ!

 一回失敗したからって、デメリットがあるからって諦めるっていうのはちょっとちがいますよ!


 人生トライアンドエラーですよ。

 トライする目標すらない俺がいうのもあれですけど、でもそうでしょ。

 失敗したのでこの計画は終わりでーす、っていうものじゃなくない?


 っていう話をしたいけど、切り出す俺がまず、お前にそれ言う責任あんのかよ的態度をとられたときの対策がないっていう。

 良い計画があるの? ないです。

 でもそれは二人で考えるものだよ。


 立ち去る花村さんを、走って腕でもつかめばまあ、声はかけられるよ。

 それでどうするよ。

 拒否感100パーの相手の緊張を解きほぐして話を聞いてもらえる体勢をつくってもらえる話術?

 ないない。

 このハードルの高さ!


 しかしこうしてモヤモヤしているだけで時間は過ぎていく。

 こうやって人生というのはいつの間にか終わってしまうのかもしれません。

 まじでそういう人生になりそうだわ。




 帰りのホームルームも終わり、思ったとおり花村さんは速攻で教室を出ていった。

 俺も席を立つ。

 策はない。

 でも今日しかない。

 明日になったら倍きついだろう。あさってになったらもう無理だ。

 おたがいのメリットの話をするしかない。

 それで断られたら終わりだ。

 そんな気がする。


 ってうわ!

 教室を出ると廊下に人人人。

 今日に限ってとなりのクラス、そのとなりのクラスも同時に終わって生徒がごちゃごちゃに入り乱れてる。

 おりゃー、と俺も人ごみに飛び込んでみたけれども、いない、いない、いない。


 とにかく、人ごみをかきわけ昇降口前で行って、まちぶせ。

 さあ来い!


 来ない。


 そのうち人の数は減っていき。

 まだ来ない。

 ホームルームが終わって三十分くらい経ってるけど来ない。

 トイレに行ったり友達と話したりしててももう来るよね。


 どういうこと?


 ……。

 あ。

 部活か。

 つい人ごみに目を奪われてそっちに行ってしまった。

 合宿翌日は休み、という勝手な考えもあったのかもしれない。


 俺はすぐ隣の棟に移って、階段を上がる。

 音楽室へ。


 他の教室は、廊下を歩くのに対して側面に戸があるけれども、音楽室だけは突きあたりに入り口がある。

 ちょうど、戸がすこし開いているのが見えた。

 

 よし。

 とりあえず、その中をちょっとのぞいて、それから考えよう。


 入り口が近づいてくる。

 よけいなことは考えるな。

 顧問に怒られたら逃げればいい。

 歩きながら深呼吸。

 よし、立ち止まったら動けなくなる。

 そのままゴーだ!

 俺はまっすぐ歩いていって、頭が入るかどうかというくらい開いている入り口の戸の間から、中を見た。


 誰もいない。


 戸を開けてちょっと入ってみると、他の教室よりも広い室内に、指揮台に向かって椅子だけがずらりとあった。

 見ると、音楽室の端の方に、カバンなど荷物がまとめて置いてある。


 よく考えれば、演奏している音や話し声が一切聞こえなかったことで気づくべきだった。

 またランニングをしているのかもしれない。

 はあ。

 気が抜けた。

「誰?」


 背後にはいつの間にか制服女子がいた。

「あ、ええと。吹奏楽部の人ですか」

「そうだけど」

 女子は、あなた不審者ですか? という顔で俺を見る。

「不審者ではないです。ちょっと、知り合いに会いに来ただけで」

「誰ですか」

「それは、えっと……」


 俺が口ごもっていると、女子は、こいつは不審者だ、という顔になった。

「いないみたいなんで、また来ます」

「ちょっと待って」

 女子は俺の前に立ちふさがる。


「生徒手帳見せて」

「はい?」

「不審者じゃないなら出せるでしょ。名前とクラス、あと住所と電話番号とマイナンバーと……」

「そこまではいらないですよね」

 俺はカバンをあさってなんとか見つけた生徒手帳をわたす。


「ふーん」

 興味なさそうに、俺と生徒手帳を見比べていた。

 と思ったら携帯で撮影していた。そこまでするか。


「で?」

 女子は俺を見る。同学年ではなさそうだ。

「はい?」

「なに盗ったの」

「なにも盗ってませんよ」

「犯人はそう言うの。誰もいない音楽室に入るなんておかしいでしょうが」

「いやいや、あの」

「誰に会いに来たのかもいえないんでしょうが」


 俺が反論を探していると、女子が一歩近づいて、俺の顔をじっと見てきた。

「あれ? あなた、昨日、ホールに来たでしょ」

「あ」

 そうか。俺が入った瞬間、吹奏楽部全員に見られていたのか。


「えーと鈴木君だっけ? 間菜となんか話してたよね。どういう知り合い? 間菜に会いに来たの?」

「間菜っていうのは、花村さんですよね。花村さんってレギュラーのオーディションはどうなったんですか」

「わたしが質問してるんだけど」

「どうですか」

「落ちたけど」

「え」


 あー。

 やっぱり。

 だから顔も見たくないか……。


「で、鈴木君は昨日」

「やっぱり花村さん、花粉症が影響してます?」

「は? 鈴木君と花粉症が関係あるわけ?」

「まあ、その、俺は花村さんの花粉症解消の件で、その、マッサージ、いや体操についての話をしてたりとか」

 マッサージの話をしたら揉みにつながってしまう! まずい! と変に避けながら話していたらよくわからないことをよくわからないままにしゃべってしまう。


「はあ?」

「ほら! 花村さん、花粉症ひどいでしょう?」

「ああ。そうね。だいぶ。そのせいでレギュラー落ちたようなもんだからね」

「でしょう! 最近ちょっと良くなったのに、昨日あんな結果で」

「は? ずっとでしょ」

「はい?」

「ずっとよくないでしょ。最近は」

「そんなことないですよね。先月の、四月の下旬あたりは良くなってましたよね?」

「全然。合う薬もなかなかないみたいだし、病院の薬も微妙だったっていうし」

「え……? まちがいないんですか?」

「同じパートだし、わかるけど」


 となると、一定の信頼はおける情報なのか?

 この人が俺にウソを言うとも思えないし……。


「ずっと? ひどい花粉症?」

「だからそうだって言ってるでしょうが!」

 半ギレで言う。


 どういうことだ?

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