第2話

 死刑囚というのはそのときになっても、死刑が執行されると伝えられずに部屋を出されるという。

 だが、本人はほとんどそれを知っている。係の人間も、気づかれていることを知っている。

 俺と花村さんはいま、そのような関係かもしれない。


 花村さんについて、渡り廊下を歩き、階段を上がっていく。

 人の数は減り、俺たちだけになった。

 俺が花村さんを揉んだという事実はどうなっているのだろうか。


 おや、と思う。

 四階をこえて、さらに花村さんが階段を上がっていくからだ。

 俺は黙ってついていく。


 やがて階段は行き止まりになる。突き当りには、閉鎖されているドアがあった。

 屋上はもう何年も開放されておらず、ドアの鍵穴はなにかが詰められていて鍵すら入らない状態だった。

 あたりにはホコリがたまっていて、使われなくなった机や椅子が雑に積んである。


 なんだ?

 殺されるのか?

 揉み罪で?


「鈴木くん」

「は、はい」

 俺は花村さんん手元に刃物がないか見た。

「ちょっといい?」


 花村さんはブレザーを脱いで、階段の一番上、平らになっている手すりにかけた。

 それからワイシャツも脱いでいく。

 いや、ブラウスとかいうんだったか?

 いやいやどっちでもいい。

 ボタンを外していくと、中に着ているTシャツが見えてくる。


 スカートの中に入っていた部分を引き抜くとワイシャツから腕を抜いて、かんたんにたたんで、ブレザーの上に重ねた。

 そして俺に向かって胸を突き出す。


「はい」


 はい?

 沈黙があって、花村さんがもう一度言う。


「はい」

「え、なに?」

「揉んで」

「は?」

「早く。一時間目が始まるでしょ」


 揉んで。

 揉んで?


 俺は花村さんの表情をうかがいながら、一歩、一歩と進み出る。

 両手を胸の高さにかざしながら、ゆっくりと、花村さんが『なにする気?』と言ったらいつでも手を引けるように準備をしながら近づけていく。


「え」


 胸に到達してしまった。

 ワイシャツの中のTシャツの下のブラジャー的なもののシルエットはよく見えない。


 もう引けない。

 俺は手を開閉した。

 胸と花村さんの表情とを何度も何度も瞬時に往復させながら、胸を揉んだ。

 もみ、もみ、もみと。

 揉んだ。

 揉んでいる。

 これは確固たる事実である。


「あ、もういい」

「え?」

 花村さんは体をひねって俺の手から逃れると、ワイシャツ、ブレザーを着ていった。


「授業に遅れないようにね」

 そう言い残し、階段を降りていった。


 なにが起こったのか。



 その日、俺はずっと朝のできごとばかり考えていた。

 仮に、クラスの男子に胸を揉まれた女子が選ぶ行動として考えられるものはなんだろう。


1・不満を訴える

 セクハラへの意識改革が叫ばれる昨今、胸を揉むというのはどれだけ女性側に嫌悪感を抱かせるものなのか。

 その嫌悪感を抱えておかずに不満を訴えるという形で、公の場に示す。

 これこそが新しい時代の、そして求められる女性像である。

 俺が即死するやつである。


2・いったんやりすごす

 無難といえば無難だが、女性側はこれに慣れてしまうと、生きにくさを感じる原因にもなってしまうだろう。

 社会というのは未だに男が強い権力を持っている分野が多く、我慢を求められる場面が増えてしまう。

 しかし主張とは、大変なものである。

 難しい問題である。

 俺が生き残るやつである。


3・胸を揉ませる

 意味がわからない。

 もしかして、揉まれたんじゃない、揉ませたんだ! 私は揉ませるタイプの女子だったから平気! と精神的ショックを乗り越えようとしているのだろうか。

 だとすると今後、誰にでも揉ませるタイプになるかもしれない。

 大学に入ったらろくにテニスをやらないテニスサークルに入ったりして、揉ませ友達、通称モフレみたいな男たちと付き合うようなことになってしまうとしたら、俺としても心苦しい。



 わからない。

 帰りのホームルームが終わってからも、オレンジの光が差し込む教室で、俺はまだ席に座って考えていた。


 決して、今朝はおちついて揉めたなあ、なんて振り返っていたわけではない。断じて違う。そう思っている人は反省してほしい。絶対にちがう。やわらかさ、あたたかさ、そういったものに心奪われていない。


 俺はぼんやり窓の外を見ていた。

 窓側の席なので、そのまま下が見える。昇降口から帰っていく生徒の流れや、運動部がランニングをしている様子も見えた。

 俺も走って欲望を減らしたほうがいいだろうか。


 ……運動部?


 ジャージでランニングをしている生徒の列が見えた。

 その生徒は、楽器を持って走ってる。

 吹奏楽部なんだろうが、どういうことだ? 引っ越し?

「あ」

 花村さんらしき人がいる。

 トランペットだろうか。

 中には、それはそんなふうに持ち歩く楽器じゃないですよね? といったものもある。いや、さすがに大きすぎるのでは……。


 そのまま行ってしまった。

 練習場所へ移動中?


「ちがうよ」

 翌朝、俺はまたホームルームの後に花村さんに呼び出され、屋上の前に来た。

 ついでに昨日のことをきいていた。


「吹部の練習」

「練習? ランニングが?」

「マーチング」

「マーチング?」

 ちらっと花村さんが俺を見る。知らないの? と言われた気がした。


「行進しながら演奏するの。座奏もやるけどね」

「ざそう」

 俺の頭には、雑草、という字しか浮かばなかった。

「座って吹くの」

 花村さんは笑った。


 さっ、と揉み終わる。


 花村さんは、ブレザーを来て、階段を降りていこうとしていた。

「あのさ!」

「ん?」

「あの……。なんで?」

「え? 座って演奏するの、ふつうでしょ」

「はい? いや、座奏の話じゃなくて。その、なんで、胸を……」

 どんどん俺の声が小さくなっていく。

 揉ませてくれるの? なんて正面から言うのはなかなか難しい。


「それ以上はさせないけど」

「じゃなくて!」

「知りたい?」

「そりゃ、まあ」

「どうしても?」

「うん」


 そう言うと、花村さんはすこし黙って上の方を見ていた。


「わかった。じゃあ明日やってみせてあげる」

「明日?」

 やってみせる?

「じゃあ」


 花村さんは階段を降りていった。

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