第4話:噂流しの柳斗真は悔いている。
「どーも初めまして、柳斗真くんですよね? 俺は月城千草です」
彼女を見送ってから、柳の席の前に座った。
「月城くん。僕に何か用かな?」
「ほうほう。分かってるくせに、その態度はどうなんでしょうかね。立場が悪いのはあなたなんですよ」
弁当を突きながら、興味なさげに返答する彼に少しばかりイラつく。
教室にいる野次馬達の視線は俺達に集まっていた。噂の意中の男が何をするのか気になるのだろう。だが、そんな事は今はどうでもいい。
「何のことかさっぱり」
「willowって言えば伝わりますか?」
彼の肩はビクッと跳ね上がる。分かりやすっ!
「図星ですね。隠さなくて大丈夫です。確信持ってきてるんで」
「いや、全然分かんないな……」
「別にあなたを取って食おうってわけじゃないんで安心して下さい。喧嘩なんてしたって互いに利益にはならないでしょ? ただあなたが豊田夏樹に協力してる理由が聞きたいんですよ」
……これは嘘だ。歯を食いしばって、我慢しているだけだ。本当は今すぐにでも殴ってやりたい。机の下に隠れている拳は必死になって太ももをつねりながら我慢していた。
今の言葉を聞いて、観念したのか彼は口を開いた。
「それはここで話さないと駄目なのかな。誰かに聞かれるのはちょっと……」
「へぇ、周りの事を気にできる立場ですか? 自分がした事はこういう事じゃないんですか? あまりにも勝手ですよね」
「そうだよね。分かってるよ。……でも僕だって好きでやってるわけじゃないんだよ」
目を伏せながら答える彼は何かを抱えてるように見えた。だけどそれは理由にならない。それにここで話してくれないのは困る。ただの悪循環でしかないので外に出るほかないな。
「まあ俺もそこまで鬼じゃないんで、ここじゃなくてもいいですよ。その代わり、洗いざらい全部吐いてもらいますからね」
「ありがとう、今直ぐ片付けるから廊下で待ってて下さい」
言われた通りに椅子から立ち上がり、廊下へ移動する。相変わらずの野次馬達の視線と声は鬱陶しかった。ちらほらと綾瀬のセフレとか、綾瀬の男とか、聞こえてくる。どんなに嘲り、笑われてもこんなのは痛くも痒くもない。これが毎日だぞ。彼女はもっと辛かったはずだ。なのでとりあえず睨みつけておく事に。こしょこしょ話してるやつは黙り、こっちを見てる奴は目を逸らして、あたかも何もなかったかのようにいつも通りに戻るのだ。全くもってあほらしい。くだらない。
廊下へ出て一、二分待つと柳が教室から出てきた。
「お待たせしました。あっちでいいかな?」
「どこでもいいですよ」
****
別館の階段に着き、途中で買った缶コーヒーを渡され、段違いに座った。何この人、実は優しい人なのでは? しかもちゃんと気を使ってホットで。
「どこから話せばいいかな」
「最初から最後まで、嘘偽りなく、全てです」
言い終えて、カシュっとプルタブを引っ張って開ける。
「じゃあまず、僕は……綾瀬さんが好きだったんだ」
思わず飲んだコーヒーを口から吹き出すところだった。唐突に発された告白に思考が止まる。思ってたのと全然違う。
「はい?」
「中三の頃から僕は彼女に惚れていたんだ。つい最近までね」
「そ、そうですか……」
曖昧な返事しかできなかった。だってなんて言葉を返したらいいのか言葉が見つからん。
「中三の綾瀬さんと夏樹くんが別れた後くらいの話なんだけど。ちょっと気持ち悪い話するよ」
言葉に首肯すると、そのまま話を続けた。
「あの頃の僕は異常だった。彼女がすごく好きだったのはさっきも言ったけど、ある日の放課後、誰も居なくなった教室でさ、彼女の席に座って寝ていたんだよ。忘れた体操服に顔を押し付けて」
おいちょっと待て。本当にきもいじゃんか。こいつヤバイ奴だ。いや、リコーダー舐める奴よりかマシか? いやいやいや! 同等にきもいわ!
「匂いを嗅いでたんだよ。気持ち悪さここに極まれりって感じだよね。自分で言うのもなんだけど」
自嘲気味に笑いながら彼は言った。完全に言い切った。本当に気持ち悪いから俺以外には言わないようにね。
「それを夏樹くんに見られちゃってさ」
おいおいおい、一番いかん人に見られてんじゃん。ここまでくるとなんか、もういっそこいつが可哀想になってきたぞ。歪んだ愛は人生を狂わせるからな、気をつけような。
「これがきっかけで僕は彼に脅されるようになった。この噂に加担するようになった。でも本当は嫌だったんだよ。僕は彼女を好きなのに、傷つける。これほどの矛盾はないよ。彼女はこんな僕でも分け隔てなく話してくれるほど優しいんだ。好きになっちゃうでしょ。辛そうな彼女を見るのは僕も辛かった。僕のせいなのに……嫌われたくなかったんだ。やらなければバラされてしまうから」
嫌われたくないか。好きな人に嫌われるなんて誰しもが嫌な事だろう。でも、それでもしていい事と悪い事くらいは判断できるだろ。結局、自分の保身に走って、彼女の気持ちなんて考えていない。可哀想な奴だけど、慈悲をかける言葉もない。自業自得だ。
「あなたの気持ち悪さはよーくわかった。でも好きな人を傷つけた事には変わりはない。豊田はなんで霞を傷つける経緯に至った? 一週間で振られた仕返しか?」
「多分そうだと思う。去年の夏頃、急に連絡きて手伝えって。やらないならバラすってさ。だからストーカーじみたこともしてた。君たちが屋上から出てきたときも僕が見てた。それで夏樹くんに連絡して、指示を受けてSNSに投稿してた」
ストーカーじみたって、それもうただのストーカーじゃん。
「僕は何度もやめようって言ったんだ。だけど彼の一存ではできなかったみたいらしい。彼もここまで酷くなるとは予見してなかったんだろうね。少しだけ後悔してたよ」
「それはつまり、豊田のバックに誰かいるってことだな」
「うん。その通り。もう一人いるはずだよ。……本当にごめん。止められなかった、恐れて言われた通りにしかできなかった僕が一番悪いんだ」
「俺に謝るな。謝る相手を間違わないでくれ。あんたが本当に謝るべき人は他にいるだろ」
「それもそうだね……」
こうなってやっと終われると彼は何処か安心している。こいつもきっかけを待っていた。背中を押してくれる人が、相談できる人がいなかったんだ。
悪い人ではない。ただ気持ち悪いだけで。そう————気持ち悪いだけだ。
「俺が贖罪のチャンスをあげますよ。あんたがやることは四つ」
指を四本立てて、彼の目の前に突き出す。
「なんでもするよ。僕はもう彼女が傷つく姿を見るのは辛いから……」
「まず一つ目は前提として噂の撤回。二つ目、豊田夏樹に会わせる事。三つ目、俺に全面的に協力する。四つ目、これが一番大事だからよく聞け。彼女に、綾瀬霞にしっかり謝罪しろ。ちゃんとその機会を作ってやるから」
全部言い終え、彼の顔をみるとぼたぼたと情けなく大粒の涙を流して泣いていた。誰もいない階段で、彼は肩を震わせ、泣き声を響かせていた。
「うぐっ……ありがとう……僕は……ずっと一人だったから……誰にも言えなかった……辛かった。君に会えてよかった。見つけてくれてありがとう……」
そう言ってから、ありがとうとごめんなさいを繰り返し零していた。
助けたかったのに、力不足で助けられなかった事を悔いていた。彼の根は優しさで溢れているんだろう。ただ、弱かっただけで。
「泣くくらいなら最初っからやるな。歳下に言われて情けない。……あと一つ追加だ。あんたは今日から俺の友達になるんだ。それで俺はお前を許す。霞が許すか知らないけど、俺は信用できると見た。だから俺はお前を許す」
一人でいる辛さを知っている。俺も彼女も彼も。確かにやった事は最低だ。でももっと最低なのは根源だ。自分は高みの見物を決め込んで、何もしないクズ。
「いい加減、顔上げろ。俺が泣かしてるみたいじゃないか。野木センきたらどうすんだよ」
ハンカチを取り出して、彼に渡した。それを受け取った彼は、おもいっきし鼻をかんだ。おい、人のハンカチに遠慮ってものはないのか。返そうとすんな、いらんわ。
「あでぃがどう……」
「それあげるから、返さなくていいし、洗って持ってこなくてもいいから。気持ち悪いな考えろ。はぁ……とりあえず連絡先交換しましょ」
「……うん。わかった……。トークでいい?」
「それでいいです」
いそいそと携帯を取り出して、QRコードを表示させてくれた。俺はそのコードを読み取り、友達追加した。
そして一枚の写真を送った。
「なんですかこれ」
「とりあえず追加してください。んで俺が指示するまでその写真は保存しておいて下さい」
おぉーとか、わぁーとか感嘆の声をあげながら、写真を見ていた。霞だけを拡大して。だからそういうのをやめろって言ってんだよ。気持ち悪いな。一人の時にやれ。あ、いや、……やっぱだめ。
「綾瀬さんってこんな顔で笑うんだね。いつも見てた笑顔とは違って、すごく幸せそう。やっぱい可愛い。でも僕ではこんな笑顔は引き出せないよ」
前提が違うんだよ。そもそも彼女との距離は近付いてすらいないだろ……。
「そんな感想はいいです。とにかく今日の放課後、霞に謝る時間を作るから授業終わったら俺の教室に来て下さい。一年二組ですから」
「わかりました。ありがとう月城くん」
「千草でいいですから。今日から友達なんだ。遠慮すんな」
「僕のが歳上なのに急にすごくタメ口だ!?」
「当たり前だ。歳上なんて思ってないから」
「うん、それもそうだね。それでいいよ。僕は君に会えてよかった。君でよかったよ、千草くん」
これで一つ目の問題は解決した。
残るは……あと三つだ。
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