第5話:助けて。
――――数時間後。
目を開けると隣にはまだ彼女はいて、体を寄せ合うように寝ていた。
多分俺も先輩も寒かったのだろう。
脚に掛けたはずのブレザーは、いつの間にか二人の間に掛けられていた。
一回起きたな、と思いつつ彼女を見る。可愛い寝顔。写真撮っちゃお。
ポケットからスマホを取り出してカメラを起動させた。
『カシャッ』
ふっふっふ。保存っと。
するとぱちりと目が開き、至近距離で目が合う。
「先輩、おはよう」
「えっ! …………う、うん。おはっ、おはよう」
顔を赤らめながら、プイッとそっぽを向いた。
「びっくりしたぁ。近いよぉ。そしてあざといよぉ」
小声でぽしょぽしょと何か言ってるんだけど小さすぎて聞こえない。
「なんだって? 聞こえないんだけど?」
「なんでもないっ!」
急に大きい声出すなよ。びっくりするだろうが。
「そ、そうですか……というか一回起きたなら起こしてよ」
起き上がり体を伸ばす。
「だって気持ちよさそうに寝てるから起こせなかった」
彼女も同じように起き上がり伸びをする。「んんっー」と言い、最後には「はぁっー」と気の抜けたように肩を落とす。
「はぁ。サボっちゃいましたね」
成績優秀で、遅刻もした事ない、学校を休んだ事もない、この俺がサボってしまった。
「そうだね。少し寝すぎちゃった」
「初めてのサボリです」
「これで先生に見つかちゃったらまたこの学校で私の噂が広まっちゃうね!」
ニシシッと笑いながら冗談めかして彼女は言う。それがとても不愉快だった。
「はぁー」
「ん? どうしたの?」
「それやめてください」
酷く低い声音で発せられたのに驚いたのか、彼女はビクッと肩を揺らした。
だが、それも一瞬でいつも通りに戻り、偽物の仮面を被って作り笑顔で返答する。
「あははっ。やっぱそうだよねー。噂されても嫌だよね。迷惑だもんね。朝も話しかけたせいでもう噂は広まってるし……ごめんね。気をつける」
「そういう事じゃない」
「えっ?」
「なんで先輩は周りが作り上げた虚像に合わせて自分を偽るんですか? 虚像を実像に変えるんですか? 無理して取り繕う必要ってあるんですか? 苦しいのに……なんで……」
言葉に詰まる。続きが言えない。俺が言っていいものなのかわからないから。なんの権利があって手を差し伸べる事ができるのだろうか。俺にとって彼女は友達というより、ただ知っている人なだけである。
別に求められているわけじゃないんだから。
「千草は……なんで? なんでここにきたの?」
「俺は先輩が心配になったから」
「そう。でもね、私にとってはいつもの事なの。心配なんていらないよ」
「でも泣いてた」
「泣いてない」
嘘だと直ぐばれるのに、それでも彼女は偽り続ける。
「やめましょうよ。強がるのは」
「君に何がわかるの? 私がだれかと話せば、狙ってる。また違う男かって。そうやって嘲笑が聞こえてくる。だから周りは離れて行く。そんな毎日……反抗したって意味がないじゃない! もう出てしまったものは……元には戻らないの」
「俺は自分が見た事、感じた事以外信じない主義なんです。だから俺はここにきたんです」
「かっこつけないで」
「明るく振舞って辛いでしょ。苦しいでしょ。誰も本当の自分を見てくれてなんてない。俺の前ですら取り繕う必要あるんですか?」
「離れて行く人に本当の自分なんて見せたってなんの意味もないじゃない! どうせ少年もいつかは嫌になって私の前からいなくなるんだから!」
「だったら何で話しかけた? 本当は誰かに見つけて欲しかったんじゃないのか? どうせ離れて行くなら話しかけなければよかったでしょ! 離れて行く前提で話をするな!」
「だって……」
「だってじゃない! 苦しいなら苦しいって言え! 辛いなら辛いって言え! 助けてほしいなら助けてって言え! 一人で抱え込むのはやめろ! そんな生き方正しくない。間違ってる」
あまりにもムカついたので怒りにまかせて思っていた事をぶちまけた。
俺の言葉で彼女はボロボロと大粒の涙を流し始めていた。
手で拭っても、拭ってもそれでは足りなくて。
その涙を抑える事もできないくらいに、彼女は……。
「なっ……ん……でぇ……そんなにっ……優……しく……して……くれるの?」
彼女は涙を流しながらわんわんと泣く。
力の入らない拳で胸を叩いてくる。
その手をとり、彼女を引き寄せ優しく抱きしめた。
「俺にもそんなことわかりません。助けたいと思ったんです。先輩が無理することはないんですよ。あなたは何も悪くないんです。だから今は泣いていいんです」
顔を押し付け、力強く抱きついて、さらに泣く。
俺は頭を撫でてやる事だけができる事だと思った。だから何度も何度も優しく撫でた。
強がったって何の意味もないのだ。彼女は間違い続けた。
何か方法がある訳でもなく、ただただ必死に闇雲に解決策を探していたんだ。
その一つが誰かに話しかける事。本当の自分を見てくれる人を探すしかなかった。
だが、それが裏目に出てしまったとさえ思ってしまう。
これだけは難しすぎる問題だ。
人の考えは十人十色で、わからない事だらけ。その中で勘違いを生まないようにするなんて無理な話だ。
彼女は彼女なりに頑張った。よくやった。
そうやって褒めてあげよう。
しばらくして、泣き止んだ先輩は俺の体から離れようとはしない。その間も優しく撫で続けた。
「今までよく頑張りました」
「……うん」
「俺は先輩の味方です」
「……うん」
「だから……これからは本当の自分を見せてくれますか?」
「うん」
「実は寝顔の写真を撮りました」
「うん……えっ?」
チッ。この流れでいけると思ったんだけど。
「とても可愛かったので」
「消して。今すぐ消して」
「ごめんなさい無理です」
「ま、私も撮ったからいいんだけどね」
「えっ!?」
にへらっと溜まっていた涙をこぼして笑顔を見せ、バッと離れた彼女は携帯を取り出し、カメラフォルダから写真を選択し、フリフリと見せ付けてくる。本当に撮られていた。しかも連写してやがる。
クスクスと肩を揺らしながら笑う彼女を見て、釣られて笑った。
「じゃあお互い様ですね」
「そうだね…………ねぇ千草」
「どうしました?」
「ありがとう。ちゃんと見てくれて」
「いえいえ。……じゃあ話聞かせてくれますか?」
「うん。助けて、千草」
「もちろんです。霞先輩」
これでよかったんだと思う。
ずっと彼女は暗闇の中、何も見えない場所で手探りで歩いていたのだろう。
誰かが手を差し伸べてくれるまで。
それがたまたま俺であっただけ。
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