第6話 『灘の男』について

何年か前、年も終わりの頃に読んだ本ですが、その年の中で一番心に残る文章でした。


今日の過大な人権尊重と民主化の果てにあるのは、偽善である。濱長はんにも重たんにも、偽善はかけらもなかった。二人とも、日本の中世の能狂言に出て来る悪太郎である。「悪」という字は、今日では「悪い」という意味に使われるが、日本古来は「強い」という意味であり、従って悪太郎とは、強い男である。だから、諧謔味があって、魅力的なのだ。


私もこういう文章が書けるようになりたいものです。



車谷長吉『灘の男』(文藝春秋、2007)

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