3.SIDE-A_8 水中演奏家
人はいない。時折水面が揺れて、ぴちゃぴちゃとした音が響くだけだ。青みが買った照明がプールの中を照らしていて、それが殺風景な部屋の様子と相まって、なんとなく不気味だった。
人間組はみな靴と靴下を脱いで、おそるおそるプール室に入った。
「エリーゼ、伯牙、お願いだからこっちに来ないでね……完全防水だったはずだけど、二人とも」
そう言って師匠は、プールサイドから水底をのぞき込んだ。僕も続いた。一番深いところで、五メートルくらいありそうだった。
僕はすぐに頭をひっこめた。カナヅチには、しんどい光景だ。
ところが、師匠が何かに気付いて、プールサイドに膝をついた。そして、水面へと頭を沈めてしまった。
「え、どうしたんですか」
僕が尋ねても、師匠には聞こえないらしい。ただ手招きするだけだった。仕方なく、僕はズボンを膝までまくって、師匠と同じ姿勢になった。プールのヘリをつかむ手が震えていて、我ながら情けなかった。
そして、過剰なくらい大きく息を吸って、頭全体を水に沈めた。
その瞬間、甲高い声の大合唱が聴こえた。
僕は驚いて、開くつもりのなかった目をひん剥いてしまった。
プールの底に、男の人影があった。
彼は黒い法衣のような服をまとい、底から伸びたパイプをつかんで立っていた。襟足くらいまではありそうな長い黒髪が、水草のように揺れている。彼の周りを囲む六つの縦長スピーカーが、水を媒介に音を伝えていた。
息が苦しくなって、顔を上げた。師匠はまだ戻ってこない。水底のあの人もだ。どんだけ息長いんだこの人たち。
「見た?聴いた?」
碓井先生が、にっこりしながら僕に尋ねた。僕は首が折れそうなほどうなずいた。
そのとき、ざぶん、という大きな水音ともに、彼が姿を現した。
立ち泳ぎで水面から顔を出しながら、顔にはり付いた髪を払っていた。水を吸って重そうな、ぶかぶかした黒服の中から、引き締まった、筋肉質の腕がのぞいた。
「こんばんは!」
快活な声が飛んできた。彫りの深い顔もこちらを向いた。でも、彼の両目は閉じ切っていた。顔色が流紋岩みたいに暗いのは、きっと水の冷たさのせいだろう。
彼は水から上がることもせず、しばらく水面近くを泳ぎ回っていた。僕はそれを眺めながら、小学校で飼われていた黒い金魚のことを思い出していた。
「あれがあたしの一番弟子、
美味しそうな名前ですね。危うくそう言いかけてこらえた。
*
そして十五分後。
僕らは全員、檻に入れられた状態で、プールに沈められることになった。
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