3.SIDE-A_3 地下鉄街の月

 表通りは薄暗い。きっと、地上世界の夜より暗い。

「ここはいつだって夜以下だよ」

 誰にともなく師匠が言った。


 低い天井に、レトロ趣味の電飾と、けばけばしいプロジェクションマッピングがまだらに絡み合う。悪趣味なほどちぐはぐに。


 旧地下鉄街は、廃止された京都市営地下鉄東西線を活用したアートスペースだ。改装された駅舎とエキナカ、そして表通りとして整備された地下架線にひしめくのは、行政の施策により集積された芸術の拠点たちだ。ライブハウス、スタジオ、イベントホール、劇場、ギャラリー、工芸品店に織工品店、失われた伝統芸術や工芸をロボットが再現する工匠博物館――枚挙にいとまがない。


 でも、意外なほどに活気がない。

 車窓の向こう、軒先に明かりは少ない。


 もともと会員だけが出入りできるアートスペースだ。人が少ないのは当たり前だ。

 にしても、これじゃあんまりにがっかりだ。水やりを忘れられたプランターみたいに、乾いた土と埃のにおいが、窓の向こうから漂ってきそうだ。


「寂れたねえ、前に来たときより。京都を芸術と遊興の街にするんだなんて、みんながタコ踊りしてたころは――十年以上前かな。もっと羽振りがよかったじゃないか」

 鍾さんが嘆息した。

「それは、まあ、予算も減ってますし」

 師匠が答える。


「デジタルアートが銭の種になっていた時期は、その供給元になるアートスペースにも、行政からの支援があったんですけどね。それがどんどんしぼんでいって、昔はジャンルごとにもらっていた支援も、今は地下鉄街全体に少し割り当てられるだけ。戴天興業からの寄付がなきゃ、みんな干からびちゃいます――お、噂をすれば――はい」


 答えると同時、電車が停留所に着く。鍾さんは伯牙の、僕はエリーゼの手を引き、電車を降りる。師匠は電話を続ける。


「はい、今は鍾さんと合流して、これから碓井先生のところへ向かいます。連絡がついてラッキーでした。ええ、弦もちゃんと増やせました。今のところ、想定通りです。それより社長、会見お疲れ様で――ええ」


 はっきりと、でも落ち着いた、心安い調子の声。僕は少しだけ、奥歯をかみ合わせた。


「あはは、ええ、見てました。あんまり記者さんをいじめちゃ可哀そうですよ。でも、沙原さんのMAS-Qマスクにわざわざ記録されるなんて、よっぽど怒らせたんですね。こわいこわい」


 MAS-Qとは、頭蓋骨埋め込み型の電子副脳「Mass-Qualia Processer」の略称だ。戴天興業の売れ筋ハードウェアの一つだけど、現状はエグゼクティブのおもちゃだ。そこに記録されるというのは、「絶対にお前のことを忘れないぞ」という、明確な意思表示だ。

 

 少しだけ、背筋がざわつく。

 僕は生まれてこのかた、MAS-Qを持ってる人に会ったことなんてなかった。沙原社長は、きっと僕のことを忘れないだろう――それがいい意味であれ、悪い意味であれ。


 僕はもしかして、とんでもなく場違いなところにいるんじゃないか?今更な疑問が、冷や汗とともに噴き出してくる。


 迷ったら、歩くのが遅れた。鍾さんと師匠はさくさく先を行く。

 僕はエリーゼの手を握り直してから、その後を追った。


「何か、歌いましょうか?」


 鈴の鳴るような声が、すぐそばから聞こえた。僕は飛び上がりかけた。

 エリーゼが、歌うとき以外に声を発するのを、僕は初めて聞いた。


 歌声と、また雰囲気が違うんだなあ、なんてのんきなことを考えてしまった。でもその声一つで、僕はどうにもどきどきしてしまって、さっきまでの不安が消え去ってしまったのがわかった。握ったエリーゼの手が、どうにも冷たく感じられて仕方なかった。

 歩みが早くなったのが、自分でもわかった。


 落ち着かない気分で、夜空より低い天井に、映るはずのない月を探してしまった。

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