2.SIDE-Column 『京都芸報オンライン』「号外」二〇四〇年七月二十八日 一九時

【コラム】『桐澤由宇理氏の「復活」に寄せて』(碓井謡)


 二十一世紀前半における、最も偉大な音楽家は誰か。

 私の答えは決まっている。

 作曲家であり演奏家であり、シンガーでDJであり、エンジニアであり、音楽という、人間が二足歩行のサルだったころから存在するとされる営為を、その概念ごと拡張するために闘ってきた人物。

 それが、桐澤由宇理だ。


 今や我々の生活にすっかり浸透している、感情インフラのシステムとツール――「MUSICA - Logics」を初めとする、デジタル音楽の最適化オプティミゼーションシステム、「Chord of Ethics」等の倫理審査プログラム、そしてそれらが活用された、パブリックスピーカー、プライベートサウンドスケープ、音楽教育や治療のシステム――といったものは、彼のアイデアなしには完成しなかった。共創家としての活動が華々しく取り上げられるため忘れられがちだが、こと音楽に限れば、彼は万能の天才と言っても過言ではなかった。


 私と氏とは、数十年来の付き合いだった。彼は私の主催する音楽サークルに所属し、音楽的にも学問的にも俊英な仲間たちに囲まれ切磋琢磨し、しかし抜きんでていた。親子ほどの歳の差がある私たちだったが、率直に言って、嫉妬させられることばかりだった。

 だが彼が世界的に評価され、先に述べたような重要な仕事をこなすようになったのは、彼が三十歳を越えてからで、それまではほぼ無名の存在だった。二〇二〇年代前半、クラウドミュージッキングのパフォーマーとして人気を博すようになると、友人である戴天興業社長・沙原奇信氏の引き立てもあり、活動の幅を広げていく。


 彼は自由奔放な遊興家だったが、同時に気高さや倫理観も持ち合わせていた。際限なく膨張していく娯楽の供給、可処分所得と時間を奪うことにやっきになるサービスたちの跳梁跋扈――自身もその恩恵にあずかりながら仕事をする一方で、より「善い」作品やパフォーマンス、サービスを生み出していく、という気概を持ち続けていた。音楽に何ができるかをストイックに問い続け、音楽を通じて人を動かし、社会を変え続けた結果、彼は音楽の在り方そのものを、感情インフラというかたちで、大きく作り変えてしまった。

 二〇三〇年には交通事故で妻子を失い、その五年後には本人も自殺するなど、決して幸福とはいいがたい晩年を彼は送った。彼の早すぎる死には、未だに多くの謎が残されている。だが彼の創りあげたものたちは、まだこの世界に息づいている。


 さて、本日、戴天興業が提供する仮想空間にて、桐澤氏のアバターが再び活動を始めた。そして現在、世界中で発生している感情インフラシステムの障害のさなかにあっても、彼の仮想空間の中でだけは、まだ音楽が鳴り響いている。

 一連の事象について、私はまだ信ぴょう性の高い情報を持ち合わせていないため、迂闊なことはコメントできない。だが、しかしこれだけは言える。その行いが、誰の手になるものであろうと、そして彼の遺志を継ぐものであろうとそうでなかろうと、その責は、大変に重いということだ。



<解説>

クラウドミュージッキング:二〇二〇年代以降さかんになった、クラウドネイティブのアプリケーションを利用した、音楽制作・配信・聴取活動の総称。またはそれに用いられるサービスそのものを差すこともある。「デスクトップからクラウドへ、指先から心へ」を合言葉に、戴天興業が生み出した統合音楽アプリケーション「Musicaliumムジカリウム」が代表的。AIによる作品へのフィードバックや創作サポート機能、簡易BCI(脳コンピューターインターフェース)を用いた直感的な制作スタイルは、このころ一般的になった。

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