2.SIDE-A_15 知音
師匠と鍾さんは目を合わせた。僕はむくれた。
「意外そうな顔をしないでください――やるべきことが『八弦』の演奏なら、あの下り、全然いらなかったじゃないですか。僕の演奏だけ、無茶苦茶だったし」
「ふうん」
鍾さんが、あからさまににやりとした。
「きみ、本当に自分の演奏が無茶苦茶だったと思ってるの?」
「違うんですか?」
「これ見な」
鍾さんが、共有視界上にグラフを展開した。放射状にのびた五本の時間軸に、それぞれ折れ線グラフが這っている。
「さっきの『ティティナ』共創時の、評価値の推移だ。参加した五人全員に対応してる。きみの評価値のグラフは、真上に伸びてる軸のやつだ」
模試が思い出されて気が進まなかったけど、しぶしぶ自分への評価を確認した。
そして、目をむいた。
僕の演奏したサウンドやパートは、何度もひどい評価になっては、揺り戻していたのだ。もっとずっと、マイナス評価に振り切れていると思っていた。さらにいうと、僕含め全員が、評価値0で拮抗しているところが、それなりに長い時間あった。
「そこが、『琴瑟相和』になっている箇所だ」
僕の視線に気づき、鍾さんが補足した。
「でも、でもなんで?」
うろたえる僕に、鍾さんは、思い出してみろと言った。
「きみは確かに、実に雑な演奏をしたかもしれない。でも、結果的に見ると、それには役割があった。フランス語の原典の演奏と、チャップリンによるパロディのそのまたパロディ。噛みあわないように見えるかもしれないけど、あの共創をひとつの物語とみなしたとき、そのちぐはぐさも辻褄があっちゃったわけだ」
「すみません、理解が追い付きません」
「まず、エリーゼはあの演奏の中で自分の愛しい人を探していた。そこにきみが、でたらめに声をかけた。情けないくらいこびへつらった。目を輝かせ、彼女の美しさに虜になったみたいに振る舞った」
「はあ」
「でも、エリーゼは自分にとって美しい人を見つけた。そして彼女は、君と全く同じように、その美しい人の虜になった。きみは当事者だから気がつかなかったかもな」
勝手に口が開くのがわかった。師匠が続いて説明した。
「エリーゼは、守上君のリアクション――ステージ上だけじゃない、出会ったときから今までの、私に対する態度や、私に向けて奏でる音楽をずっと観察して、自分のパフォーマンスに取り入れていたの」
「その結果、自分でも意図しないうちに、きみはあの共創のなかで主体的な役割を果たすことになった。重要なモチーフを提示するコメディリリーフとしてね」
鍾さんが説明を
僕は、なんだか自分が情けなくなった。
空気読め?エリーゼたちのほうが、よっぽど空気を読んでいたんじゃないか。
「人間だろうと、人工知能だろうと、他者が自分の姿を自分以上に写し取り、わからせてくれることがある、てこと。そしてそれが思いがけない偶然を生んでいく。共創の楽しいところだよ」
師匠が言った。
「守上君、きみは立派な主役だったよ。そして、エリーゼは君にとって、
鍾さんが、また僕の肩を叩く。
知音?
聞き覚えのない言葉に首をかしげると、例によってMinTSくんの検索結果が眼前に表示された。
「互いによく心を知り合った友」
中国の春秋時代、琴の名手である伯牙は、その友鍾子期が亡くなると、二度と琴を弾かなくなった。伯牙の奏でる音をよく知り、真に理解していたのは、鍾子期ひとりだったからだ。
僕はこのとき、この故事が鍾さんと伯牙の名前の由来であることを、初めて知った。
「音楽に長けたければ、まずは隣人の音を聞くことだね。僕や伯牙のように」
ややキザな声色で、鍾さんか言った。
「まあまあ、しけた面しないで。あのパフォーマンスにはいろいろと意味があってね。ひとつは、僕らの相性を確認する。そして、翔君、きみに場慣れしてもらう。そしてもう一つは――この扉の奥に進んでもらうためさ」
そう言って、鍾さんは、控え室の一番奥の壁をごんごんと叩いた。
「何もありませんけど」
「こっち来て、壁に手をついてみな」
促されるまま手をついたとき、壁の中から声がした。
「守上翔さま」
電子音声だ。僕は飛び上がった。
「あなたを、『旧地下鉄街』のゲストとして認定しました」
ブーン、という音ともに、壁に切り目が入り、縦長の扉になり、奥へと開いていった。
「だから言ったでしょう。テスト、だって」
師匠が背後でそう言った。
振り向いたとき、僕はどんな表情をしていただろう。正直、僕にとってはどうでもいい。
だって、師匠が、笑っていたから。直接会ってから、初めての満面の笑みを浮かべていたから。
大きな瞳がすっかり見えなくなるくらい、細い眼をしていたから。
師匠が両手を広げ、やや大仰に言った。
「アーティストによるアーティストのための街、京都『旧地下鉄街』へようこそ!」
胸のうちが、じんわり暖かくなった。そして、言わずにはいられなかった。
「師匠、僕、魔法の言葉、決まりましたよ」
「え、なになに?」
「笑わないでくださいよ?えーと」
「早く教えて、もったいぶらないほら!」
「わかりましたよ、じゃあ、えーと」
――
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