2.SIDE-A_11 君の瞳に?

 師匠は、黒のタキシードで男装していた。そして、僕と同じ男性キーで歌い始めた。結い上げられた銀髪と晒された褐色の首元が非常にタキシードに映え、僕はまた危うく失神しかけたが全力で耐えた。


 しかも、あろうことか、男装した師匠は、僕とエリーゼの間に割って入って、エリーゼを歌いながらナンパし始めたのだ!僕は二重三重に嫉妬した。

 だがそこでまた、予想を裏切る展開があった。


 エリーゼが、まるで恋する乙女のように頬を紅潮させ、師匠の手を握ったのだ。

 僕の嫉妬は二重三重に、あらゆる方向へぐるぐるし、メビウスの輪顔負けになった。


 だが混乱はそこで終わらなかった。

 今度は、伯牙がオルガン演奏を放棄して、コーラスを歌いながら師匠の下へ歩み寄った。そしてエリーゼと歌の掛け合いをしながら、やっぱり師匠の手を握ったのだ。


 そのとき、感情が完全に決壊した。


 僕は成金ナンパ男という雑すぎる設定をかなぐり捨て、あんなに執心していたはずのエリーゼも無視して、そして流れに便乗して、師匠の手を握った。

 師匠の手を、握ったのだ。


 師匠はかなり動転して見えた。この展開が予想外だったらしい。演技だったかもしれないけど、もうそんなことはこの際どうでもよかった。師匠は自分より年下の少年少女から熱いまなざしを向けられ、歌で口説かれ続けるという、ある意味彼女の日常に近いのかもしれないシチュエーションに巻き込まれた。


 伯牙が放棄したオルガン演奏は、鍾さんがそつなくこなしていた。視野を広くとり、演者も客席も見渡して、タクトこそ振っていないものの、指揮者然としていた。実に悠然とした、大人の対応だった。


 一方、僕は完全に頭に血が上っており、どうすればこのステージ上で師匠の注意を惹きつけられるか、全身全霊をかけて考えていた。

 歌いかけ、踊り狂った。

 要するに、あほになっていた。


 「Can't君の take my eyes off youてる!」

 「Here’s君の looking瞳に at you kid!」

 「あなただけ見つめてる!」


 だから、僕だけ見ててください!


 でも、そんな僕の思いもむなしく、演奏は終わった。バンドが締めのロングトーンを弾く。師匠、エリーゼ、伯牙の三人は、ハーモニーを作っていた。

 僕はステージの隅に崩れ落ち、客席からは失笑が漏れた。


 もう、こうなったら。

 僕は、全ての音が止むのを待った。

 ステージから音が消え、観衆が拍手を始めるまでの一瞬の空白。

 僕はその一瞬の隙を突いて、歌い始めた。


 あの、八分の六拍子のサウンド。

 代理人氏に向けてうたった歌を。

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