2.SIDE-A_6 弦を継ぐもの

 沙原さんは首をすぼめた。まるで寒いとでもいうように。夕暮れ時とはいえ、陽気は真夏日。しかも全身をスーツで固めているのに。


「残りの断片は、いったい誰が?」

「わからない」

 師匠の問いに、沙原さんが首を振る。


「ただ、おそらくだが、『八弦』を持つものたちは、今回のニュースを受けて、京都に集まってくるだろう。あるいは、君たちに接触を図ってくる。そして彼の言葉の意味するところも」


――『究極のサウンド』は放たれた。『八弦』を集め、これを捕らえ、音楽を解放せよ。


「桐澤は恐らく、自分の遺作を完成させろと言っているんだ。君たちの手で、不完全な相棒とともに」


 そう言って、沙原さんは、僕の背後に行儀よく立っているエリーゼ――桐澤由宇理の残した、もう一つの未完成品を見やった。沙原さんが微笑みかけると、エリーゼも笑い返した。


「でも、まだわからないことがあります――『究極のサウンド』って、いったい何なんでしょうか」

 師匠がつぶやく。僕も応じる。


「わからないことは、それだけじゃないです。僕は、桐澤さんとは、生前一切接点がありませんでした。音楽が好きになったのだって、一年前からです。遺作の『八弦』のことも、その断片のことも、当たり前ですが全然知らなかった――でも、僕は、一本目の弦をマンドリンに張ることができた」

「偶然、断片の一つに書かれていたメロデイを奏でたってこと?」

「いや、偶然じゃないと思います。桐澤さ――あの人は、僕に言ったんです。幕が上がる前に」


 そうか。君が「弦」を引き継いだのか。


「なら、君はその謎を探るべきだ」

 沙原さんが、穏やかに、だがはっきりと言った。

「君が誰から、あるいは、その音を引き継いだのか。あるいは本当に偶然なのか。偶然だとして、それは君の素養ゆえなのか、あるいは――」

「……先を越されてしまったな」

 師匠がにやりと笑う。「先生が、よく言っていたことです」

「私だって、何十回も聞かされた」

 張り合う沙原さんに、師匠が噴き出した。

 この二人も、仲がいいんだなあ。僕は少しだけ寂しくなった。二人の会話が続く。


「まだわからないことはありますよ。どうやって……ただエリーゼと一緒に、『八弦』のフレーズを演奏すればいい、というわけではないはずです」

「それについては、私に考えがある」

「私もです。仮説ですが」

「なんにせよ、その仮説をともに検証してくれる仲間が必要だな」

 どういうことだろう。僕は少しずつおいていかれつつあった。やることがないので、僕はエリーゼの頭を撫でてみた。髪の毛のさらさらさに、僕は衝撃を覚えた。


「すねないの!」

 真後ろで、鈴の鳴るような笑声えごえ

 そして、髪の毛越しに触れる、冷たく柔らかい感触。


 なんてことだ。こんなことがあっていいのか。

 愛する師匠の世界一美しい手が、僕の頭を撫でていた。


 全身の血が沸騰し、逆流し、穴という穴から噴き出すような気がした。


「いい子だから」


 感情が閾値に達した。


――よし、死のう。


 僕は尊死しっしんした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る