2.SIDE-A_5 遺作

「よかったら、三人とも、会社の中で待っているかい。いや、できれば待っていてほしい」


 戴天興業本社ビルの屋上ヘリポート。ヘリから降り、出口へと歩いている最中に、沙原さんが言った。


「すでにうちの社員たちが調査に入っている。システム障害の件だけじゃなく、あの劇場の仮想空間で起きていたことについても調査している。あれはうちのサービスの内部に構築されたものだからね」

 師匠が、少しだけ驚いた様子を見せる。

「君たちに話を聞く必要も、きっと出てくる。君たちはあのとき起きたこと、そして桐澤についてよく知っているからね。協力してくれないか?」

「うーん」


 考えあぐねている師匠を尻目に、僕は手を挙げた。少し震えているのが恥ずかしかった。

 どうしても、訊きたいことがあった。


「あ、あの」

「うん?」


「さ、沙原さんは、今回の障害自体が、桐澤さんの仕組んだものだと考えているんですか?」

「えっ?!」


 声をあげたのは師匠の方だった。沙原さんは、目を閉じて頷いた。先を歩いていた沙原さんが立ち止まって、僕のほうへと振り返った。


「その可能性も考慮に入れるべきだと思う。というより、そのほうがつじつまが合うんだ」


 ゆっくりと、つとめて落ち着いた声で、沙原さんは答えた。質問している僕の声の方が、よっぽどせわしない。

「な、なんでですか?誰かの、その、なりすましである可能性は?」


 教え子を諭すような優しい笑みを、沙原さんは顔に浮かべた。

「君は、優しいね」

「えっ」

「彼の残した言葉――例えば、『八弦』がどういう意味であるか突き止めたかい?」

「それは――あの仮想空間にあったマンドリンのことだと思います。ふつうマンドリンの弦は八本ありますが、僕とエリーゼとし――ぎ、銀凛さんが演奏したときは、二本しかありませんでした」

「そうだね。でも、それじゃ答えの半分なんだ。なぜ『八弦』という言い方をしたのか、あのマンドリンは、彼にとってどういう意味を持つのか――私は知っている」

「それは――」


「あのマンドリンのモデルを調べた。あれは、桐澤の奥さんが持っていたものと同じだ。十年前に、彼は奥さんと娘さんを亡くしている」

 知ってる。それくらい、ネットで調べればすぐに出てくる。あの劇場にいたオーディエンスの中にも、指摘している人が大勢いた。でも、だからなんなんだ?


「では守上君、桐澤の遺作のタイトルを知っているか」

「遺作ですか?」

「ああ。彼が最後にひとりで創った、独立した作品だ。共創やセッションで生まれたものではない」


 桐澤由宇理についても相当勉強したつもりの僕だけど、とっさには出てこなかった。生前最後の共創だったら、二〇三五年六月三日、海外の共創家を迎えて行ったやつだ。中国人の創った音楽アンドロイド・伯牙はくが、アメリカから来たアゼリア・ブラックと――


「アゼリアたちとの対決は違うよ。あれは実に楽しかったがね。呑まず食わずで三時間共創し続けるという、狂気の企画だったが」

「そして、三十分の休憩ののちにまた三時間、ですよね」

「ああ。でもその話がしたいんじゃない。伯牙の開発者である鍾子期しょうしきとアゼリアは、その日の共創後、桐澤と夕食を共にした。そして彼に託された――を」


「断片……」

「ああ、桐澤の自宅で会食し、その終わり、突然彼が手書きの譜面――一枚きりの譜面を部屋から持ってきて、八つに引き裂いた。そして鍾子期とアゼリアに、そのうちの二つを託した。私はその話を、あとで鍾子期から聞いたのだが、驚いていたよ。アナログ嫌悪症の桐澤が、いきなり殴り書きの譜面を引き裂いて、差し出してきたとね――銀凛、君も渡されたはずだ。違うかね」

「……はい、その翌日、二人でお会いしたときに」


 師匠の声はかすれていた。僕には理由がわからなかったが。でも、察しの悪い僕でもようやく感づいてきた。


「その、一番最後に書かれたであろう曲が……」

「ああ、タイトル部分にはこう書いてあった――『八弦はちげん』と」

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