2.SIDE-A_4 理解者

「すみません沙原社長、助かりました」

「どうということはないよ」

 低く、淀みのない声が、師匠の言葉に応える。


「それより、社長呼ばわりは止してくれ。うちの社員だって、そんな呼び方はしないんだ」

「あ、すみません」

「いや――君たちは、大丈夫かい。さっきからずっと黙っているが」

「あ、はい!大丈夫です!」

 突然問いかけられて、思わず声が大きくなった。もっとも、そうしないと聴こえないんじゃないかと思ったのもあるけど。


 駆動するエンジンの音。風をかき分けるプロペラの轟音。

 僕たちは、ヘリコプターに乗っていた。


 革張りのシートに深く腰掛け向かい合い、師匠と沙原さんは談笑している。悠々とリラックスしている。一方僕は、ヘリなんて乗ったことないので、完全に借りてきた猫だ。エリーゼはというと、僕の正面に座って、虚空を見つめていた。


 *


 電話のあと、僕たちは急いでグラウンドへ向かった。模試のせいで部活もないらしく、がらんどうだった。そこにけたたましい音とともにヘリがやってきて、僕らを連れ去っていった。気づいた高等部の先生方が走ってくるのが見えたけど、あっという間の離陸だったので追いすがることもできなかった。


 そして、ヘリの中で待っていたのが、沙原さんだった。

「いらっしゃい」

 てっきり、師匠自前のヘリが迎えに来たのだと思っていた僕は、先客の存在と、その美しいバリトンボイスに不意をつかれた。

 そして思った。今日は有名人によく会う日だ。


 沙原さはら奇信あやのぶ、五〇歳。感情インフラ企業最大手、戴天たいてん興業こうぎょう株式会社の社長。

 そして、桐澤由宇理の、大学時代からの盟友だ。


 桐澤さんに負けず劣らず、若々しい人だった。

 薄く日焼けした、清潔感のある肌。目鼻立ちのはっきりした顔に、黒すぎる髪のオールバック。桐澤さんといいこの人といい、成功する人はみな、吸血鬼並みに若々しいものなんだろうか。


 そんなことを考えているうちに、ヘリコプターは、堀川御池の上空へとぐんぐん昇った。


 上昇中、学校の周囲を取り囲む、報道関係者や野次馬の群れが目に入った。ステージに上がったエリーゼ(のアバター)をみて、彼女が保管されていた高等部に行けば何かあるかもしれないと考えたのだろう。あれを避けながら学校から出る、なんて面倒なことにならなくてよかった。


 真下には稜華芸大の高等部、その東側に大学部、記念コンサートホール。西側には二条城がある。ヘリは一路、南東へ向かった。その先、四条烏丸のあたりに、ひときわ大きくそびえたつビルがあった。

 それが、戴天興業の京都本社だった。


 *


「さて、あまり時間がない。君たちの知っていることを、教えてくれないか」

 ヘリの中で、沙原さんが切り出した。師匠は、学校で整理した内容をもとに、端的に説明をした。特に隠すことはなかったし、隠すほどの情報量もまだなかった。


 師匠の説明を聞いて、沙原さんは宙を仰いだ。


「あいつは、一体何を考えていたんだろうな」

 声色が、急に細くなった。

「私はあの人の弟子でしたが、結局よくわかりませんでしたよ」

 微笑みながら、師匠が応じた。

「奇遇だね。私は三十年来、彼の親友だったつもりだが、わからなかったよ」


 二人の笑顔は、どこか虚ろだった。


「でも、私は、ステージにいたあのアバターから、確かに『先生』を感じました」


 噛みしめるような師匠の物言いに、沙原さんは黙ってうなずいた。

 僕は、あの暗闇に消えていった影を思い出して、胸苦しくなった。

 僕にとって、あの人は「代理人」だったから。

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