1.SIDE-A_10 宇宙的観客席

 三百人収容のこぢんまりしたホールは消え去り、代わりに現れたのは、ちょっとした宇宙だった。

 ステージの上から眺めた客席には、

 そしてそこの最奥部から押し寄せた拍手が、途方もない音の津波を作って、危うく僕は押し流されるところだった。


 がく然としながら、前を見た。


 普通のホールなら、規則正しく並べられた座席たちのさらに奥に出入り口があり、見上げれば二階席三階席があり、天井には照明がある。


 ところがこの客席はどうだろう。


 モンゴルの大平原をワインレッドのカーペットで埋め尽くして、そこに布張りのふかふかシートたちを区画ごとに敷き詰めたような見た目をしている。遠くの方の座席たちは、小さくなりすぎてなんだか羊の群れのように見える。照明はさながら星々のように、遥か頭上の天球に、数えきれないほど瞬いている。

 その客席の群れから、拍手が押し寄せている。


 一番異常なのは、地平線の真上の構造物――二・三階席ならぬ、螺旋状N階席とでも言うべき構造体だった。巨人が空にねじ穴をあけて、その溝に沿って客席を配置したような、ぐるぐるした構造が天井に穿たれている。

 その奥からも拍手が届いている。

 奥の方まではわからないけど、すべての客席が、埋まっているように見えた。


 僕とエリーゼは、演奏を切り上げた。エリーゼの瞳は青に戻った。


 一生分の拍手を浴びている気がした。でも高揚感はなかった。恐怖の方が圧倒的に勝った。何が起きているのか、自分が何に巻き込まれているのか、全く想像がつかなかった。


 代理人氏が僕に耳打ちした。


「僕の復活を祝うために、世界中からお客さんが集まってくれたんだよ」

「僕たちは、前座ですか」

「うん、前座の前座。不満かい?」

「いえ、その、ただ――状況が呑み込めなくて。あと、皆さんは、さっきまでの僕らの会話聞いてないんですよね?代理人さんのこと、桐澤さん本人だと――」


 僕の言葉を最後まで聞かずに、代理人氏はマイクの前に立った。


 客席が静まり返る。神官の宣託を待つ民衆のごとく。

「みんな」

 かすれた声だった。

「お待たせ」

 しかし表情は飄々として明るい。


 高低の声がN階席から押し寄せ、地層をなし、塊になり、小惑星になり、ステージにぶっ飛んできた。おかげで、それが歓声だとすぐには気づかなかった。どん、という衝撃が耳の奥まで駆け抜け、僕は思わず目を閉じたが、すぐに開いた。なに一つだって、見逃したくなかったのだ。


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