第66話 破棄の話


 イーノ村ではトゥユからの使者としてエイナルが来ていた。


「イーノ村を……、捨てるのですか……」


 エイナルがトゥユから言付かった内容はイーノ村の全員でネストール城に移動してくるようにと言う事だった。だが、レリアや他の村人にとって村を捨てるのを決断するのは簡単な事ではなかった。


「いえ、イーノ村を捨てるわけではありません。一旦、皆様にはネストール城に移動してもらいますが、落ち着いたら戻っていただいても大丈夫だそうです」


 一度移動してしまえば、今度は移動した所で情が沸いてしまう。それを考えると戻っても良いと言われても、そう簡単に戻れるものではないと感じていた。


「何かイーノ村を離れなくてもよい方法はないのでしょうか?」


 レリアは村人の声を代弁してエイナルに問いかけるが、エイナルは首を振る事しかできなかった。

 村人たちにとってイーノ村は故郷だ。王都から移ってきた者もいるが、この村で生まれた者もいる。酸いも甘いも経験してきた村を捨てるのには何か一押しが必要だった。

 不安がっている村人たちの中から一人の男が大きな声を上げる。


「トゥユちゃんがそうしろって言ってるんだろ? だったら俺たちは何も悩む事は無い。そうだろ? レリアさんよ」


 マールの一言にレリアは背中を押された感覚がした。


 ──そうだ、これはトゥユが村の人の事を思って言っている事だ。私たちが我儘を言って困らせてしまってはいけない。


 レリアはネストール城への移動を決断し、村人たちに声を掛ける。


「皆さん、これはトゥユが私たちの事を思って言ってくれている事です。ここで私たちが無理を言えば当初の目的であるミクトランを倒す事に支障が出るかもしれません。悪いようには致しません。移動しましょう」


 レリアの決断に村人たちも腹をくくった。全員が一旦、自分の家に戻ると移動に必要な準備を始めたのだ。


「ありがとうございます。マールさん。私だけでは今の判断をする事ができなかったかもしれないです」


 現在、イーノ村には宰相、ソフィア、ロロットはいなかった。一日前に来た兵がロロットにすぐネストール城に来て治療をしてほしいと言い、、宰相はレリアが行く前の視察、ソフィアはトゥユとの連絡のため、先にネストール城に移動していたからだ。


「俺もイーノ村は故郷みたいなものだ。本心で言うと離れたくなんかない。だが、親が子の言う事を信じなくてどうする。ただそれだけの理由だよ」


 マールは自分の言った事に少しだけ照れた表情を浮かべると「俺も準備してくる」と言って自分の家に戻って行った。

 レリアはそんなマールを見て一笑すると自分の部屋に戻り、必要な物を準備してくるのだった。


「レリア様、準備ができましたので出発します。我々が途中まで護衛しますのでご安心を」


 エイナルはイーノ村に来る時に数台の荷馬車を一緒に連れてきており、そこに村人と村に残っている全ての食料を載せるとネストール城に向かって移動を開始した。


「途中までなのですか? それからは私たちはどうしたら良いのでしょうか?」


 レリアの問に馬上からエイナルが答える。


「アルデュイノが途中で待っているはずですので、そこで護衛を交代します。その後はアルデュイノの指示で進んでいただければ大丈夫です。我々は途中まで行った後、もう一度イーノ村に戻ります」


 トゥユはレリアが移動した後、エイナルにもう一度イーノ村に戻る様に命令していた。それはイーノ村をミトラクランに取らせないためではなく少しでも時間を稼ぐためだった。

 但し、エイナルには死ぬ事はおろか怪我をする事さえ禁じ、少しでも危ないと思ったら何を差し置いても逃げるようにとも伝えていた。イーノ村は軍事上、全く意味のなさない場所で、そんな場所で兵を減らす事などしたくなかったのだ。

 ミトラクランには一人でも多くイーノ村に駐留してもらって動けなくする兵を増やすのが目的なので、エイナルには一度イーノ村に帰ってもらい敵に大切な場所なのだと認識してもらえばそれで作戦は成功だ。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 リラは独立国同盟の代表を重要な報告があると一堂に集めていた。


「本日は皆さんに報告があります。ロトレフの同盟国であるヴィカンデル王国がネストール城を無傷で占拠しました」


 各国の代表は感嘆の声を上げると同時にお互いの顔をを見合わせ「素晴らしい」と呟いた。


「お判りいただけましたでしょうか。ヴィカンデル王国は同盟を結ぶのに十分な実力を持ち合わせております。これ以上の引き延ばしは王国の心証を悪くしてしまいます。独立国同盟として同盟を結びませんか?」


 リラはここが勝負の賭け時と思い、王国の心証が悪くなると嘘ではない程度の煽りを入れつつ、一気に捲くし立てる。

 トゥユは実際、独立国同盟との同盟がならなかったとしても、わざわざ攻める事などする気はなかった。それはトゥユにとって独立国同盟は目標に入っていないからだ。

 だが、リラにとっては違った。ここで独立国同盟が一緒にヴィカンデル王国と同盟を結ばないなら、これ以上の説得は無理と判断し独立国同盟を抜けてしまっても致し方ないと考えていのだ。


「なるほどヴィカンデル王国の実力は分かりました。ですが、ヴィカンデルと言う名前は……」


 発言をした代表がそこまで言うと口を噤んでしまった。他の代表も同じで渋い顔をして顔を伏せている。リラは代表たちの表情を見ると、これでもダメかと諦めかけた。


「貴方たちは何時までも昔の亡霊に取り付かれているのですか!!」


 ソルの一声が会議室に鳴り響いた。雷を思い起こさせるような一喝はその場に居た者の脳を痺れさせ、背筋を伸ばさせていた。

 過去の亡霊に取り付かれた代表の一人もこの一喝で目を覚ます事ができた。


「ソル殿の一声で目が覚めました。確かに私は以前のヴィカンデル王国のイメージを捨てきれていなかった。それでは何も変わらない変化しない。私は変わりたいヴィカンデル王国のイメージと共に。だから……私は同盟に賛成します!」


 その代表はゆっくりと椅子から立ち上がるとリラの元に歩いていき握手を求める。リラはその手を大事そうに握り「ありがとうございます」と目の端に涙を浮かべお礼を言った。

 一人がヴィカンデル王国との同盟に賛成をするとそれからは早かった。瞬く間に全員が同盟に賛成を表明し独立国同盟をしてヴィカンデル王国と同盟を結ぶ事になった。


「それでは独立国同盟の代表としてリラ殿に交渉役をお願いしてもよろしいかな?」


 全員が再び席に付いた所で、独立国同盟の代表にリラが選出された。


「はい。この身に代えても同盟を成立させてきます」


 リラが立ち上がり、決意表明を行うと全ての代表から拍手が起こった。

 会議の後、全員が退出した部屋でリラは自分が請け負った仕事をなし終える事がき安堵の表情で座っている。


「ソルありがとう。貴方のお陰で代表の方々を説得する事ができました」


「いいえ、私は何もしておりません。代表の方々も今何が必要なのか分かっていたのでしょう」


 ソルは自分は何もしておらず、代表の人が必要な事は何かを考え答えを出したのだと言い張る。

 リラは無表情で自分の後ろに立っているソルの事を頼もしく思った。トゥユが居た時に撃退した時からミクトランは攻撃を仕掛けて来ていないのだが、今なら勝てるのではないかとさえ思える。


「それでは行きましょうか」


 リラは椅子から立ち上がり、今まで気が抜けていたのが嘘のように元気よく声を出す。


「リラ様、どちらに行かれるのでしょう?」


 会議は独立国同盟のある国で行われていたため、本来なら「帰りましょうか」という所を「行きましょうか」と言ったのにソルは違和感を感じた。


「もちろんネストール城よ。トゥユはそこに居るのでしょ? ネストール城ならそれほど遠くもないし、良い報告は早くしないとね」


 恋人に会いに行く前の女性のような顔を浮かべ、リラは足取りも軽く会議室を出て行った。

 本来なら一旦、ロトレフに戻り支度をした方が良いのだが、「仕方がない人ですね」と溜息を吐きつつリラを止める事なくソルも後に続いてネストール城に向けて準備を始めた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 ジルヴェスターは予定通りダレル城塞で千人の兵を補充すると休む事なくイーノ村に向かって進んでいた。

 微かにイーノ村が見える所まで来ると、ジルヴェスターは斥候を放ち、イーノ村の状態を確認する事にする。


「報告します。イーノ村では城壁で兵士が監視を行っており、中の様子は確認できませんが、準備は整っているようです」


 斥候からもたらせる報告を元にジルヴェスターは作戦を考える。全軍で包囲してしまえば行けるかもしれないが、こちらの兵站も心許ない。

 ジルヴェスターは夜を待ってイーノ村を急襲する事に決め、兵たちをそれまでは休ませる事にした。


 エイナルは遠くにミトラクラン兵が見えた時点で撤退する作業を開始していた。

 トゥユに言われた通り安全にネストール城に帰るためだが、もう一つトゥユに言われていた事がある。それは敵が夜襲を選択した場合は、木で作った人型の板を城壁に設置をする事だった。

 ミトラクラン軍は姿が見えてから前進する事なくその場に留まっている所を見ると、休憩後、夜になってから攻撃を始めるのが予想できる。エイナルは部下に人型の板の準備をせせると暗くなるのを待った。


 宵闇迫る頃、ジルヴェスターは全軍を前進させ始めた。暗闇に乗じ、なるべく敵に悟られないように近づいていく。

 ジルヴェスターから見ても人が影が見える所まで迫っても、イーノ村から攻撃を仕掛けてくる様子はない。何か作戦でもあるのかと思いつつも、牽制のため弓兵に矢を射るように命令する。


「弓兵! 城壁に居る兵を狙って弓を射よ!」


 弓兵の放った矢は城壁に立っている人物に当たり、倒れ伏してしまうのだが、いまだにイーノ村からの反撃はない。

 明らかに敵の様子がおかしいと判断したジルヴェスターは馬を駆り一人でイーノ村の近くにまで行くと、反撃がない理由が分かった。


「完全にやられましたね。これでは中には誰一人残っていないでしょう」


 城壁に居たのが木で作った板だと分かったジルヴェスターはこれまで使ってしまった時間を惜しんだ。少なくともすぐに攻撃をしていれば板を設置した兵は包囲できたかもしれないが、それももう遅い。

 後方で待っていた兵に誰もいなくなったイーノ村の占領を命令し、ジルヴェスターは一応誰もいないか城壁の周りを確認する。


 エイナルは数人の兵だけ残し、他の兵はすでに撤退させていた。予定通り、ミトラクランがゆっくり攻めてくれたおかげで兵が逃げる時間は十分あり、誰も死ぬこともなく、怪我すらせずに逃げる事に成功したのだ。

 トゥユから言われた仕事は完ぺきに完遂したのだが、エイナルはそれだけでは物足らず、少なくともイーノ村の指揮官の顔を確認してから帰ろうと森の中に身を潜めていた。

 元々狩人のエイナルは普段から暗い森の中で獲物を探していたため、夜になっても他の人よりは良く見えるようだ。ただ、仮面を着けたトゥユやティートと比べると人の域を出ないのは仕方がない。

 エイナルの近くをジルヴェスターが通りかかり、隠れている兵たちの間で緊張が走った。


 ──絶対に動くな!


 エイナルが指で合図を送ると、兵たちも微かに頷き了解の合図を送る。

 ジルヴェスターがもう少し兵が隠れているかもと思い偵察をしていたならばもしかしてエイナルたちを発見できたかもしれないが、逃げられてしまった後という油断がエイナルたちの存在を見逃してしまった。

 ジルヴェスターが遠ざかっていくと、エイナルは音をたてないようにゆっくりとその場から離れていき、隠していた馬の所まで行く事に成功した。


「あれは『閃光の刃』だったな。トゥユ隊長に良い報告ができる」


 エイナルは自分にできる最大限の仕事をし、夜の闇の中、部下たちとネストール城に向けて駆けて行った。

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