第56話 運動の話


 トゥユが目を開けると辺りは一面、煙に囲まれていた。

 煙の中から辺りの様子を窺うが、シショウの姿は何処にも見当たらない。その代わり女性が倒れており、それを男性が支えているのと、少し離れた所にも男性がいるのが分かる。

 後ろからウルルルさんが顔を舐めて来てくれたお陰で、ウルルルさんとその上に騎乗しているナルヤの姿も見て取れた。

 一歩、トゥユが歩き出そうとした所でトゥユは倒れて気を失ってしまった。


「ご主人様!!」


 煙が晴れ、下で倒れているトゥユを見つけたナルヤは急いで下馬をするとトゥユを抱きかかえる。


 ──酷い傷、早く手当てをしなくちゃ。


 ナルヤが顔を上げるとそこは部屋の中だった。


 ──私は確か村の外でトゥユの戦いを見ていたはずだ。それが何故、部屋の中に居るんだろう。そして、あの人たちは一体……


 ナルヤの視線の先には男性が倒れている女性を抱きかかえており、不思議な顔をしてこちらを見ている。

 今は、そんなことはどうでも良い。早くご主人様を治さないとと思たナルヤは目の前の人に声を掛けた。


「すみません。何か治療道具はありませんか? 凄い傷で早く手当てをしないと」


 ナルヤの訴えにリラは力を絞って立ち上がると、アルバロにすぐに治療をするようにお願いする。


「リラ様、良いのですか? まだ正体も分からない者の治療をしてしまって」


「もうやけくそよ。あの人たちが味方になろうが敵になろうが召喚はしてしまったもの。あとは野となれ山となれよ」


 リラがふら付きながらも地下室を出ると、ソルも続いて地下室を出て行った。


 トゥユは部屋の一室でアルバロが呼んだ医者に手当てを受け眠っていた。そのベッドの脇ではナルヤが何度もおしぼりを替え、甲斐甲斐しく世話をしている。


「貴方、ちょっと良いかしら?」


 リラはナルヤを呼び出すと別の部屋に連れて行き、話を聞く事にした。リラは机を挟んで座るナルヤを見ると、ナルヤの体が震えているのが分かった。


「緊張しなくて良いわ。私は貴方から話が聞きたいだけだから」


 ナルヤが緊張しているのだと思い、そう声を掛けるが、ナルヤの震えは止まる事がなかった。

 それはナルヤが奴隷だった頃を思い出してしまったからだ。ナルヤは知らない人にトゥユと引き離されてしまったため、また奴隷にされるのだと思うと、どうしても震えが止まらないのだ。


 何時まで待っても体の震えが止まらず、視線の定まらない様子で部屋の中をキョロキョロ見渡すナルヤにリラはアルバロに水を持って来るようにお願いする。

 水が目の前に置かれるだけで、体をビクリとさせ怯えるナルヤにリラはどうしたら話が聞けるようになるか悩んでしまった。


「リラ様、この様子では話を聞く事は無理ではないでしょうか?」


 ソルの言う事は尤もだった。だが、時間の惜しいこの状態でもう一人の少女を待っている時間は勿体ない。

 その時、ナルヤに代わってトゥユの看病を続けていた従者からトゥユが目を覚ましたと連絡が入った。ナルヤを連れて再びトゥユが居る部屋に戻ると、トゥユはベッドボードに体を預けた状態で起きていた。


「ご主人様!!」


 ナルヤが走ってトゥユに抱き着くと、不思議と体の震えは止まっていた。


「あの人は?」


 トゥユがナルヤに部屋のドアの所で立っているリラに視線を向けて問いかけるが、ナルヤは大仰に首を振るった。


「分かりません。いきなりご主人様と引き離されたと思ったら見た事もない部屋に連行されて監禁されました」


「お、おい! 間違っては……いないが、言い方がおかしいだろ」


 リラは誘拐犯みたいに言われた事で慌てて訂正する。


「私はロトレフで国王をやっているリラ=ユーバンクだ。そちらの方に話を聞こうと思ったのだが、口を利いてくれなくて困っていたのだ」


 トゥユがナルヤを見るが、ナルヤはトゥユに顔を埋めて動こうとしない。トゥユは溜息を吐いてリラの方を向くと自己紹介を始めた。


「私はトゥユ、トゥユ=ルペーズよ。治療してくれたのは貴方ね? 助かったわ」


 やっとまともな会話が成立した事にリラは嬉しくなり顔を綻ばせた。従者に椅子を持って来るようにお願いするとトゥユの傍に座って会話を続ける。


「トゥユと言ったな。君はいったい何者だ?」


「それよりも、ここって何処? 私は帝国の村で戦ってたはずなんだけど、いつの間にか戦ってた相手もいなくなっちゃったし」


 リラは慌ててしまって漠然とした事を聞いてしまったのを反省する。一息吐き落ち着いた所で冷静に答える。


「ここはロトレフ。元々王国の一部だったけど私の父が独立をした国よ。そしてトゥユは私が召喚したの」


「召喚?」


 トゥユは耳慣れない言葉に首をかしげる。


「そう、私はある条件の元、召喚する魔法が使えるの。そのため、トゥユは戦っている最中だろうが何だろうが関係なしにあの地下室に呼び出したって訳」


 トゥユは得心がいったとばかりに頷いた。


 ──なるほど。だからいきなりシショウの姿がなくなっていたのね。そんな魔法があるなんてびっくり。


『我も人を召喚する魔法は聞いた事がなかった。面白いものだな』


 魔法に詳しい者なら知っていても不思議ではないが、ウトゥスも自分の使える魔法以外は興味がなかったので知らなくても仕方がない。


「それで、私を召喚した理由って何? 暇だから呼んでみたって訳じゃないんでしょ?」


 リラは今までの会話からトゥユを信用しても良いのではないかと思い、召喚した理由を答える。


「実は……、ロトレフは今、ミトラクランに攻められてるの。それで助けてくれる人が欲しくて召喚魔法を使ったの」


 これでトゥユがミトラクランと繋がりがあったら全て諦めようとリラは思ったのだが、トゥユの顔を見ると杞憂に終わった。


「アハハハッ、召喚魔法って凄いね。私はこれからミトラクランを潰そうとしていたんだよ」


 白い歯を見せて笑うトゥユを見てリラはもしかしたら最高のカードを引き当てたのではないかと思った。


「そうなのか、それじゃあ一緒に戦ってくれ。トゥユの軍隊は何処にいるのだ?」


 身を乗り出してトゥユの軍がどこにあるか聞くが、トゥユの返事はあっけないものだった。


「軍隊なんてないよ。だってまだ立ち上げてすらないんだもん」


 リラはしおしおと項垂れた。考えてみればこんな少女が軍を率いている事なんて有り得ないではないか。味方を召喚できた事で浮かれてしまった自分を恥じた。


「もしかしてトゥユは王国軍に居た事があるのか?」


 リラの後ろに控えていたソルが有り得ないような事を口走った。


 ──こんな少女が王国軍に居た事がある訳がない。ソルも困ったものだ。


 リラは呆れ顔でソルを見ると、


「えぇ、居たわよ」


 トゥユはあっさりと王国軍に居た事があると認めた。リラはもう何が何だか分からなくなってしまいソルとトゥユの方を交互に見るとソルがリラの肩にそっと手を置いた。


「リラ様、良くやりました。最高の人材を召喚したのです。自信を持ってください」


 急にソルに褒められてしまったが、このトゥユと言う少女が最高の人材とは到底思えなかった。


「私がイェニー城に居た時に聞いた事があります。僅か数日で軍に入ったばかりの少女が百人長にまでなった話を」


 ロトレフも王国の一部だったため、その話はリラも聞いた事があった。確かエリック王子を助け、ほぼ全滅の中ヴェリン砦から脱出した少女の話を。


「そ、それではトゥユは……」


「えぇ、そうよ。私はエリックさんを助けた事で百人長になったわ」


 間違いないと頷くトゥユを見て、リラは希望の光が見えたような気がした。


「そして、その少女は身の丈を超える戦斧を扱い、正に百人力の実力を示したと」


 ソルの言葉にトゥユと最初に会った時の事を思い出した。確かにトゥユはその手に身の丈を超える程の戦斧を握っていた。

 リラはこれは間違いないと思い、トゥユに一緒に戦って欲しいともう一度お願いしようとしたが、ソルに止められてしまった。


「だが、私はその話を鵜呑みにはできない。何故ならこの目で見た事がないからだ」


 ソルの目が戦士の目になりトゥユを見つめる。


「素晴らしい判断ね。貴方はとても優秀な兵みたいね。それでどうするの?」


「兵が実力を測るには手合わせしかなかろう。お願いできるかな?」


 ソルの誘いにトゥユは二つ返事で了承した。


「ご主人様、体の傷が……」


 ナルヤがトゥユの体を心配し、顔を上げて見つめてくるが、トゥユは笑顔でナルヤの頭を撫でた。


「これ位大丈夫よ。戦場で傷がない事の方が珍しいもの」


 トゥユはベッドから立ち上がると、ソルと一緒に部屋を出て行く。二人は広場でそれぞれ槍と戦斧を手に持ち、対峙していた。

 トゥユは片手で戦斧をクルクルと回し、体の調子を確かめていた。


「トゥユ君の実力を見たくて真剣にしたが、寸止めで良いかな?」


「えぇ、もちろんよ。殺し合いをする訳じゃないしね」


 トゥユは回していた戦斧を右手で握ると、構えを取った。それを見てソルも槍を構えるとリラから「始め!」と開始の合図が下された。

 ナルヤには心配ないと言ったが、まだ肩の傷が疼くトゥユは短期決戦を目指し一気に距離を詰める。ソルは槍のリーチを生かし、トゥユが懐に入れないように距離を取りつつ、トゥユを牽制する。


「厄介な槍ね。でも!」


 トゥユは槍を跳ね上げると、ソルの懐に入り、戦斧を真横から薙いだ。槍が跳ね上げられた事で態勢を崩したソルだったが、強引に槍を地面に突き刺すと槍の柄で戦斧の柄を受け止める。


「なるほど、噂はあながち間違いではなかったようだ。今度は私から行くぞ!」


 ソルは槍を地面から抜くと目にも止まらぬ速さで突きを繰り出す。その突きの連打は今までトゥユが見てきた中でも一番速く、戦斧を盾にして受け止めるのが精いっぱいだった。


「うぉぉぉぉ! 凄いぞあのお嬢ちゃん。『冠翼の槍』と互角なんて信じられねぇ」


 トゥユたちの戦いを観戦していた兵が声を上げると、周りの兵も声を上げ双方を応援し始めた。敗戦で落ち込んでいた兵にはちょうど良い気分転換の場となっているのだ。


「お、おい、あれって『総面の紅』じゃないのか? 俺はダレル城塞で見た事あるぞ。間違いない!」


「本当か? それじゃあ二つ名同士の戦いなのか? こんなの滅多に見れるもんじゃないぞ」


 トゥユの二つ名を知っていた兵が声を上げると周りの盛り上がりは最高潮に達した。


「なるほど、この強さなら二つ名を持つのも頷ける。リラ様は本当に引きが強い」


 ソルは槍の攻撃を緩める事なく、兵たちの声を聴き、納得したような表情を浮かべる。


「そんな余裕があるならもっと早くしても大丈夫ね」


 トゥユはソルが余裕があると思い更にスピードを上げる。人の域を超える速さにソルは何とか槍で防ぐのが精一杯だった。

 右に居たと思ったらいつの間にか左から攻撃してくる。その動きはソルには速過ぎた。

 左からの攻撃で戦斧を逆袈裟に払いあげると、ソルの槍は手を離れ上空を舞って地面に突き刺さった。その様子を見たソルは負けたと分かった。何故ならソルの首には既に戦斧が首の皮を斬る位で止められていたからだ。


「参った。私の負けだ」


 その声に周りに居た兵が一斉に声を上げ、歓声や驚きの声が辺りに響いた。


「ソル、ご苦労様です。なかなか良い戦いでしたよ」


 リラがソルを労うが、ソルは首を振ってナルヤに抱き着かれ困っているトゥユを見る。


「完敗です。気づいていましたか? トゥユ殿は私に合わせて右手しか使っていなかった。それでもこのざまです」


 リラの表情が固まってしまった。確かにトゥユは最初から右手しか使っていなかったのだ。だとすれば両手を使っていたらどれほどの強さなのだろう。


「ソルさん、ありがとう。おかげで良い運動になったよ」


 戦斧を肩に担いで近寄ってきたトゥユは今の戦いが運動でしかないと言ってきた。


 ──この少女はロトレフの希望だ。


 そう思ったリラはトゥユに向けて頭を下げる。


「トゥユ、お願いだ。ロトレフを助けてくれ。君の力が必要だ」


 周りに居た兵も騒ぎが一瞬にして止まると、トゥユの返答を固唾を飲んで待っていた。


「構わないわよ。ミトラクランは私が倒す対象だしね」


 兵たちは一斉に歓声を上げ喜び、リラは安どした表情で笑顔を作り、トゥユの手を握った。


「凄いぞ! 二つ名を持つ人物が二人もいるなんて! この戦い勝てるぞ!!」


 兵たちの士気は一気に上がった。それまで死さえ覚悟し落ち込んだ表情をしていたなんて想像もできないような笑みを浮かべて。

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